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『ライ麦畑でつかまえて/The Catcher in The Rye』J.D.サリンジャー<感想>

本の概要

  • 1951年出版 30か国語に翻訳され、累計販売部数6500万部以上

  • 著者:Jerome David Salinger  1919-2010 (米国)人気が出て静かな生活ができなくなり、1965年を最後に引退し隠遁生活を送った。

  • 日本語訳:野崎孝(1964)『ライ麦畑でつかまえて』 村上春樹(2003)『キャッチャー・イン・ザ・ライ』どちらも白水社(白水Uブックス)ほか

  • 今回は野崎訳 + ところどころ英語版(YouTube 「The catcher in the rye audiobook」)で読んだ。



簡単なあらすじ


主人公が、前年のクリスマスの頃に自分の身に起きたことを、読者に話しかける一人称の語り。一種の枠物語。 
時代は1948か1949年、舞台は米国ペンシルバニア州にある私立のプレップスクール(架空)
ニューヨークの裕福なミドルクラスの家に生まれた、16歳の主人公ホールデン・コールフィールドは、大人の世界で飼いならされることに抵抗する。
親からはアイビーリーグ進学を期待されるも、全く勉強せず退学になるが、親に言えないまま寄宿舎を飛び出した。

クリスマス前の土曜から月曜の3日間、彼はニューヨークの街をあてもなくさまよい歩いた。次々と知り合いに電話し、時に強引に呼び出してまで繋がりを持とうとするのは、寂しいからだ。それなのに何事にも批判的なホールデンは、ことごとく相手と対立し怒らせてしまう。
どこにいても、周囲の phony な奴らがやたらと目に付いて腹が立ち、そして気が滅入る。愚行を繰り返し、殴られたり、騙されたりさんざんな目に遭い、最後はヒッチハイクで西部に行き、聾唖のふりをして生きていこうと決める。しかし実際に孤独に生きるという選択はせず、最後は家に戻る。

「自分が phony でないとどうしてわかる?」

冷笑的でナイーブ、どこまでもイノセンス(無垢)であることを自他に求めるホールデンは、世俗にまみれた汚い大人の世界(彼はそれを phony ー偽りの、インチキ、と呼ぶ)を拒否し、学校からも家からも、社会からも逃げたいと足掻く。

この小説は一人称のホールデン視点で書かれているため、彼が批判する多くの人間が、本当にそういう人間なのかどうかはわからない。平気で嘘や作り話を言うホールデンは、現実と妄想の狭間で自身が悩む場面がある。

大人になるとは

いったい、大人になるとはどういうことだろうか?
『The Catcher in The Rye 』はアメリカの小説のジャンルでは、coming-of-age story(成長物語)とされるようだ。
現実社会では年齢で大人扱いされる。しかし個々人の成長はさまざまであり、その過程においてホールデンが感じていることは、だれにも程度の差こそあれ起きる葛藤や周囲との軋轢、疎外感に通じるもので、今も昔も変わらない。そういうところが時代を超えて若者の共感を呼ぶのだろう。

子どもでも大人でもない16歳のホールデンだが、身長188㎝、酒好きでヘビースモーカー。クルーカットの髪はすでに白髪交じりだ。
「兄さんは何になりたいの?」と妹に聞かれ「子供しかいないライ麦畑で、崖から落ちようとする子供を捕まえるキャッチャーになりたい」という。
子供のイノセンスを守りたい。だが現実は、学校を卒業して社会に出たなら、ホールデンが嫌う phony だらけの世界で生きていかなくてはならない。それを考えると気が滅入り逃げたくなる。

大人社会の実態は、たいていホールデンが phony と呼ぶものの上に成り立っている。それを上手くやり過ごす方法を学ぶのが、大人の階段というものかもしれない。それが嫌で家出し、見知らぬどこかに逃げたとしても、ホールデンにとって理解し合えない「他者」と何とか折り合いをつけ共生しなければならない現実は、どこへ行っても変わらない。いつまでもモラトリアムの状態ではいられないのだ。


セントラルパークの回転木馬

物語の終盤、家出する決心をしたホールデンは、一緒に行くと言ってきかない妹フィービーとセントラルパークにやって来た。
フィービーを回転木馬に乗せる。赤いハンチング帽をかぶったホールデンは、折からの雨に濡れながらベンチに座り、回転木馬に乗って危なっかしく金のリングを掴もうとするフィービーを、ただ黙って見ていた。落ちてしまうかもしれないが、手を出してはいけないと感じていた。
そして、なぜかわからないが、彼は突然とても幸せな気持ちになる。それはもう泣きそうなほどに。
人はいつまでも子供のままではいられない。成長し大人の世界に入れば、イノセンスは色褪せるか失われる。しかしその過程が、必ずしもホールデンが恐れているほど怖いものではないということを、フィービーを通して理解したのではないか。
フィービーが永遠に10歳の子どもでないと悟ったホールデンは、これからどんな大人になっていくのだろうか。

成長物語では終わらない

ところがサリンジャーは、このような「子どもが苦難を経て成長し大人になる」という単純なハッピーエンディングにはしていない。
最終章#26。3日間の彷徨の末、実際には何も起こらず、ホールデンはどこへも行かず家に戻り、入院中(精神科?)である。
周囲から、新しい学校に入り、やり直す気はあるか、3日間に何があったのかを聞かれるたび「話したくない、くだらない質問」「そんなことわかるわけがない」と不安な発言をする。内在する問題はまだ解けていない可能性を示唆している。

ただ成長したと思われるのは、あれほど phony 扱いしてきた人々でさえ「話してしまうと、いないのが寂しくなる」と言っていることだ。向き合う兆しが見える。

野崎訳について

原書の文体は当時の若者言葉、口語体、俗語や下品な言葉が多く、翻訳が困難だったと、翻訳者の野崎は解説で述べている。
また同解説によると、原書にはアメリカの初版本のものと、イギリスで出版されたものがあり、両者の間にはかなりの相違があるという。イギリス版は一部改変があり、野崎本のテキストにはこの作品を初めて出版したアメリカの Little, Brown and Company の本を使用したそうだ。

野崎本はもう60年前のもので、現代の特に若い人には、言葉や言い回しが古臭く感じるだろうことは否めない。昭和世代の私でも古いなと感じた表現が多数あった。例えば「奴さん」「おカタイこったの」「イカスな」「モチさ」など。ほかにも「ちゃらっぽこ(口から出まかせ)」「筒井筒(幼馴染)」など、辞書で確認せずにはいられない言葉も出てくる。
それらに抵抗があれば、私は読んでないが村上春樹訳の方がいいかもしれない。きっと春樹風の「ライ麦」になっていると思う。

評価・反応

本書について好き嫌いが分かれるのは、1951年初版の時から言われてきたことで、賞賛を受ける一方、1961年から1982年の間、本書は米国の高校や図書館で最も検閲を受けた本だった。(Wikipedia)
ホールデンが下品な言葉を頻繁に使うことや、飲酒喫煙、嘘に起因する否定的な反応だ。
ホールデンは自分で自分を嘘つきという。「僕は嘘をつき始めると何時間でも続けられる」
偽名を使い、年齢を偽るなど朝飯前、平気で作り話をする。誇張表現も多い。「体重が1㌧」「(学校で働いている)百歳くらいの女性」「60歳くらい年上の奥さん」など、合理的に理解しようとすると、どこまで真面目に話してるのかわからなくなる表現が多く、誇張と無視していいのかどうか、何か意味があるのかと考えてしまう。こういうところも、分かりにくいと嫌われる原因かもしれない。

ジョンレノン殺害犯、マーク・デイヴィッド・チャップマン(1955-服役中)が犯行時に本書を所持していたことでも有名。チャップマンはホールデンに執着していたという。なにがどうなって事件に繋がったのか、犯罪者の心理はわからない。

後 記

今回二十数年ぶり三回目の再読でしたが、半分くらい忘れていました。
私の場合、若いときの読書というのは「名作、傑作を読んだ」ことに意味があるようなもので、よく理解していないままなことも多かった。
今回はアメリカ文化を調べながら読みました。途中から面白くなって真剣に読みだし、読了に一週間かかりました。
今さらですが、すばらしい名作です。
赤い耳付きのハンチング帽をかぶったホールデンは、現代も若者のアイコンですね。

ですが、途中で挫折することも想像できます。私も最初はそうでした。大学生の頃の私「どこが面白いのかわからない」

ハンチング帽やセントラルパークのカモ、アリーのグローブ、そしてスコッチ&ソーダ(ハイボール)などのモノたちや映画、小説、宗教、戦争、性など、博学なホールデンからさまざまなジャンルの話がでてきます。嘘や大げさが綯い交ぜになった、脱線気味の話にも面白さがあります。それらにフォーカスして読むのも楽しい。

※ホールデンが気にしていたセントラルパークのカモ(duck)ですが、野崎訳では、アヒル(家鴨)になっています。ホールデンは池が凍る冬にどこへ行くのかと疑問を持っているので、カモだと思います。カモは渡り鳥。アヒルは家禽、カモを家畜化した鳥で、渡り鳥ではないし、そもそも高く飛べません。

カルーセル(回転木馬)にフィービーが乗っているときに流れる曲が、ジャズの名曲『Smoke gets in your eyes(煙が目にしみる)1933年』です。
読了後、小一時間聴きました。
いいですねぇ…  多くのカヴァーがあります。プラターズもいいし、ナット・キング・コールもいい。

***END***
読んでくれてありがとう。

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