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6月30日は全国の神社で「夏越の祓」神事 茅の輪くぐりと蘇民将来説話


大祓の神事

毎年6月30日と12月31日は神社で「大祓おおはらえ※」神事が全国の神社で行われます。※「おおはらい」とも。
大祓とは、

自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。この行事は、記紀神話に見られる伊弉諾尊いざなぎのみこと禊祓みそぎはらいを起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。

神社本庁ウェブサイト

夏越なごしの祓

水無月みなつきの夏越の祓いする人は 千歳ちとせの命のぶといふなり(詠み人知らず)

拾遺和歌集

水無月は旧暦の6月。新暦では7月頃のため、7月31日に行う神社もあります。「無」は「の」の意味で「水の月」。
古くから夏越の祓をする人は長生きするといわれていたようです。

京都、平安神宮応天門

6月30日のこの神事は一般に「夏越なごしの祓」と呼ばれます。一年の半分にあたるこの日、無病息災を祈願します。一般人が参加できるのは、茅の輪ちのわくぐり・人形ひとがた(人の形に切った紙)を流す行事。神社によっては車の茅の輪くぐりも設置されます。
京都では、6/1~7月にかけて、神社によって日程は異なりますが、あちこちの神社で同様の神事が行われます。(参考:京都観光navi )

蘇民将来説話と茅の輪くぐり

茅の輪くぐりは、鎌倉時代末期の『釈日本記しゃくにほんぎ』に引用された『備後国風土記びんごのくにふどき』逸文の蘇民将来そみんしょうらいの話に由来。茅の輪の「茅」はイネ科の植物、チガヤです。空き地になどに生える雑草。

チガヤ

「茅の輪をもちて、腰の上に着けしめよ」

この説話は簡単にいうと、

「むかし武塔神が旅の途中、2人の兄弟に宿を求めた。裕福な弟の巨旦こたんは貸さず、貧しい兄の蘇民将来は一夜の宿を提供し粟粥でもてなした。後に再びそこを通った武塔神は、自分は素戔嗚すさのおであると明かし、蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪をつけさせ、「後の世に疫病があれば、蘇民将来の子孫と言って、茅の輪を腰に着けた人は免れるだろう」と言って立ち去った。弟は宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまった」というお話です。スサノオ怖い。

※武塔神、蘇民将来の出自不明。兄弟は「将来二人ありき」と書かれている。「蘇民将来」がどういう名前の構成なのかわかっていない(将来が姓?)。

この茅の輪にちなみ、人が通れるくらいの大きな茅の輪をくぐって、無病息災を祈ります。
日本各地に伝わる蘇民将来にまつわる説話は、民間信仰となって災厄や疫病を払う神として信仰されています。
「蘇民将来」の様々な形の護符は、日本各地のおもにスサノオを祀る神社で授与されます。
京都では家の門口に「うちは蘇民将来の子孫の家です、お守りください」という願いをかけ、「蘇民将来子孫也」の札や厄除粽を一年中飾る習慣があります。画像のような注連縄をかけている家もみかけます。


茅の輪のくぐり方:八坂神社


左回り→右回り→左回り と8の字を描き「蘇民将来子孫也そみんしょうらいのしそんなり」と唱えながら茅の輪をくぐる(どこの神社もこの回り方だと思う。唱える言葉は違うようだ)

※スサノオは平安時代以降、祇園社の祭神牛頭天王ごずてんのうと習合し、明治になって祇園社は八坂神社になり、八坂神社の祭神は素戔嗚尊すさのおのみことになった。

最も古い蘇民将来のお守り発見ー長岡京跡


2001年、蘇民将来呪符木簡そみんしょうらいじゅふもっかんが、長岡京(784-794)跡から出土。「蘇民将来」と記された木札は、日本各地から見つかっているが、そのなかでも長岡京跡から出土した木簡は、最も古い例である。木簡の上部には小さな穴が開けられ、ペンダントのようにして、御守として身に付けていたと考えられている。また、御守として利用された後も、建物の壁などに打ち付けられ御札のように使われていたと考えられる。(長岡京市埋蔵文化財センター

このことから、蘇民将来信仰は少なくとも8世紀には存在していて、庶民に広まっていたことがわかる。また八坂神社は蘇民将来信仰の発祥地でないこともわかる。
とても分かりにくいのだが、祇園信仰=牛頭天王ごずてんのう信仰で、牛頭天王は出自不明の疫病神。のちスサノオと習合し、牛頭天王が疫病神であるところから「蘇民将来」説話と混淆、牛頭天王は武塔神と同一視された。

八坂神社の疫神社えきじんじゃで夏越祭 7月31日

八坂神社摂社 疫神社 重要文化財

祭神:蘇民将来命 疫病退散の神

7月31日に、八坂神社摂社の疫神社えきじんじゃにおいて、祇園祭最後の神事となる「疫神社夏越祭」がおこなわれます。
疫神社は、蘇民将来を祀っています。31日は、この疫神社の鳥居に大きな茅の輪が設置されます。祭の無事終了を感謝するとともに、茅の輪をくぐって「蘇民将来子孫也」の護符を授かる神事です。

京都では夏越祓に和菓子「水無月みなづき」を食べる

水無月

白い外郎ういろ※に小豆の甘煮をのせて蒸したもの。京都発祥。昭和になって京都の和菓子屋がつくり始めたそうです。
▼三角形が特徴:
古くは水無月に、氷室ひむろ(冬の氷を保存しておく所)から宮中に氷を献上し暑気払いをする習わしがあり、三角の形は、この氷の形を模したものといわれています。小豆の赤い色は魔除けの色です。外郎に抹茶や黒砂糖を練り込んだりいろいろな種類があります。

京都で有名なのは、五建外良ごけんういろ屋さん。外郎の専門店です。

※「外郎ういろう」はもとは室町時代に広まった、仁丹に似た薬の名。江戸末期に麦粉、米粉などから作った練り菓子が、形、色合いともにこの薬に似ていた事から「ういろう」はいつの間にか菓子の名前として定着。五建外良屋では外郎薬と区別するために、現在の屋号に使われている「外良」とし、呼び名も「ういろ」としたそうだ。
(参考:五軒外良屋ウェブサイト)

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