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『義』 -東京での再会- 長編小説
東京での再会
蝉の鳴き声が大輔のアパートへ燦々と降り注ぎ、ちっとも秋の気配を感じさせない気候が続いていたが、日めくりカレンダーは仕事に励み、いつしか大学の夏休みが終りを迎えようとしていた。吉田の敗戦以降、大輔は午前中に大学のトレーニングルームで身体を動かし、午後には大学で借りた本を読んだ。テニスコート脇を歩き、練習風景を眺めることもあったが、知人と会うことはなかった。孤独だった。一千万人住む東京で孤独だった。しかし、吉田の敗戦で崩れた『義』の再定義が出来ないのなら、孤独でも構わなかった。
簡素な夕食を終え、ベッドで寝っ転がっていると、喉が乾いてきた。水を飲みたいというより、アルコールを飲みかった。起き上がり、冷蔵庫を開けると、水とお茶のペットボトルが入っていた。
新宿へ出よう、と思い着替えを始めた。孤独を愛したが、どこかで人を欲していたのかも知れないと思うと、悶々とする自分が心底馬鹿らしくなった。適当な洋服に着替えて、アパートを飛び出した。BARへ生き、吉田に会っても話しても良い。女の店員でも構わない。辞めたバイト先の店長と『義』についての議論をしても楽しいかも知れない。
新宿駅を出ると、行き交う人の多さに圧倒され、後悔と念と若干の期待を感じた。西の空がうっすらと赤い。吉田がBAR来店する時刻はまだ先だ。BARにて女の店員と話しても良いが、間が持たないだろう。唾を飲み込むと、喉の渇きを感じ取れたため、入れそうな店を探して駅の周りを彷徨いた。
人混みに流されなが歩いていると、流れを阻害するように立ち竦む男が見えた。リュックサックを背負い、帽子を深く被った華奢な男だ。大輔は自分のことを棚に上げ、立ち竦む男はきっと田舎者だろう、と決めつけながら男に近寄った。野次馬精神ではないが、人の流れが男の方へと流れていたため、仕方がない。
すると、男が振り向き大輔と目が合った。その瞬間、大輔は足を止めた。人の流れを阻害し、歩く人が迷惑そうな顔をしていたが構わない。田舎者だと揶揄されても構わない。目の前に立っている男が、幼馴染の貴洋と酷似しているからだ。いや、もしかすると貴洋かも知れない。大輔は声を掛けようかと躊躇する。万が一違っていたら、羞恥することだろう。
「大輔くん?」
男が大輔に問い掛ける。大輔は瞼を擦った。この広い東京で、大輔の顔を見て、正確に名前を言える人は皆無に等しい。更に、貴洋の容姿と酷似した知人はいない。即ち、目の前にいる男は貴洋そのものだ。喫驚する大輔は、貴洋に駆け寄って手を握り、取れてしまうほどに激しく振った。
「貴洋くん、どうして新宿にいるの? 驚いた。本当に驚いた」
「大輔くんに会いに来たんだ。それにしても、凄い人だね。右も左も人だらけで、ビックリしちゃった。心細くて動けなくなっていたんだよ」
貴洋は小鳥のように可愛げに首を振って、辺りを見渡す。
「ここじゃ、邪魔になるから、脇に避けよう」
大輔は貴洋の腕を引き、人混みから避けてビルの壁を背にした。
「ここなら大丈夫。それにしても、驚いたよ。貴洋くん独りで来たの? さっちゃんは?」
「独りだよ。僕は大輔くんに会いに来たんだ」
「ようこそ、東京へ。人が多くて疲れたでしょ。貴洋くんは、ご飯食べた?」
「まだ、食べていないよ」
「何か、食べたいものある?」
貴洋は首を横に振る。
「じゃあ、居酒屋へ行こう。熊本の居酒屋に比べると、味が劣るだろうけれどね」
大輔は貴洋の腕を引き、居酒屋を探した。
小さな居酒屋を見つけ、二人は中へ入った。店員に案内され、個室のテーブルに座る。喧騒の中に作られた秘密基地のような空間だ。注文したビールが届き、大輔がメニュー表に載っている料理をいくつか注文した。
再会を羞恥する二人は、見つめ合い乾杯した。
「いつ来たの?」
「今日だよ」
「どうやって、飛行機?」
「うん」
「いつ帰るの?」
「明日だよ」
貴洋は柔和な表情を変えることなく、淡々と答える。
「ええ。もっと居れば良いのに。そんなに短ければ、東京見物も出来ないだろう。熊本から東京に遊びに来るなんて滅多に無いのに、勿体ないなあ。あ、そうだ。夏休みで暇をしているから、帰る日を延期出来るかな? もちろん飛行機のチケット代は払うし、泊まるところは俺のアパートに泊まれば良いしさ。どう?」
「ごめんね。大輔くんの気持ちはすごく嬉しいけれど、帰らないといけないんだ」
「そっかあ。残念。仕事?」
「うん」
「今日は、たまたま新宿へ飲みに来たけれど、もし俺が居なかったら、独りで東京を観光して帰ったのかい? この前会った時、連絡先を交換していなかっただろ」
「会えると思っていたから来たんだ」
「可笑しいなあ。天草と東京の人口を比べたら、夜空に浮かぶ、月と星の数ほどの違いがあるんだよ。まあ、結果的に会えたわけだけれどね。こんな偶然もあるもんだ。宝くじを当てるより難しいだろうな」
「必然だよ」
「必然かあ。さあ、料理を食べよう。遠慮せずに。今日は、俺が奢るからな。東京に来てくれた、お礼。それと、俺たちの秘密基地を管理してくれている、お礼」
貴洋はにっこりと微笑み、運ばれてくる料理を食べた。大輔は貴洋の食事の姿を見て、小学校の給食の時間を懐古した。
貴洋は、鯉の捕食のように小さな口を細かく動かし、給食を食べた。昼休みになろうとも、お構いなく、時間を一杯に使う。嫌いなグリンピースが給食に混ざっていると、箸を使い、器用に避けながら食べるため、午後の授業に食い込みそうになることも多々あった。食べ残したグリンピースは、最後に牛乳で流し込む。器用なことをするものだ、と大輔は面白可笑しく眺めていた。先生や周りの女の子から、小馬鹿にされていたが、貴洋の食事の姿は一向に変わらなかった。
貴洋は大輔の視線に気がつき、頬を赤く染めた。
「どうしたの、大輔くん。僕の顔に何か付いているの?」
「俺の思い出が張り付いている・・・」
大輔は聞こえないような小声で言い、ビールを一気に飲み干した。
「貴洋くんは、変わらないね。小学生を、そのまま二十歳にしたような大人だ」
「あんまり成長しなかったからね。僕に比べて、大輔くんは大きくなった。逞しくなった。幼馴染として、誇らしい。きっと、天草の誇りだよ。こんな大都会で頑張っているんだからね」
「頑張っているのかなあ。あんまり実感出来ないけれど。ねえ、二軒目はBAR行こうよ。美味しいバーボンが飲めるよ」
「うん。楽しみ」
二人は食事を進めた。
程好く酔っ払い、二人は居酒屋を出た。大輔は持てる限りの知識で新宿の街を案内した。蒸し暑い空気が頬を掠め、身体から汗を絞る。普段は苛立ちさえ感じる空気が、貴洋と一緒にいると、全く気にならない。貴洋は大輔の案内に、目を輝かせていた。
大輔の瑣末な観光案内を終え、二人はBARへ入った。カウンター席に座る吉田の背中はなかった。女の店員は大輔の来店に気がつき、駆け寄ってきた。
「今日は、吉田さんではなく、お友達なのですね。いらっしゃいませ。カウンター席にしますか? それともテーブル席にしますか?」
「カウンター席」
大輔は答えた。東京へ来た貴洋を、吉田へも紹介したかった。
いつもの銘柄のバーボンを注文し、二人は乾杯をする。
「うう。強いお酒だね」
貴洋は眉を顰め、小さな舌を口から出した。
「これが、大人の味だよ。貴洋くんには、まだ早かったかな?」
大輔が小馬鹿にする口調で問い掛けると、貴洋は負けじと、もう一口呑んだ。
「うん、美味しい」
「他にも、飲みやすいお酒があるんだし、無理しなくて良いよ」
「大輔くんと同じお酒を飲みたいんだ。それにしても、お洒落なお店だね。天草には、こんなお店は無いと思うよ。良いなあ、東京・・・」
「貴洋くんも上京すると、良い。仕事なんて山ほどあるし、住む場所も沢山ある。家賃は恐ろしく高いけれど、まあ何とかなるよ。あ、でもさっちゃんがいるか。さっちゃんは、熊本が大好きだから、連れてくるのは大変だなあ。それでも、貴洋くんが東京に来てくれたら、きっと楽しいだろうなあ」
「ありがとう。でも、僕は動けないから、大輔くんの活躍を見守っているよ」
「見守ってくれても、期待に応えられないかも知れない」
「東京に独りで住んでいるんだよ。十分頑張っているよ。僕と言ったら・・・」
貴洋はバーボンを苦そうな表情で飲み干し、水を飲んだ。
「飲みやすい、カクテルを頼もう」
大輔は店員を呼び、ジントニックを注文した。
「ねえ、貴洋くんの話を聞かせてよ。秘密基地では話してくれなかっただろ。中学卒業後、天草を出て熊本市内へ進学したことまでは、風の噂で知っているけれど、それ以降の貴洋くんが何をしていたのか、を殆ど知らないんだ」
「僕の?」
大輔は頷く。
「僕の話をしても、面白くないから、美味しいこのカクテルが不味くなるよ」
「構わない。俺らは、幼馴染だよ。不味くなっても構わない。秘密基地で一緒に食べた、賞味期限切れのお菓子以上に不味くなることはない。そう言えば、あの味を超える不味い食べ物に出会ったことがないなあ」
呑気な大輔は、貴洋の背中を軽く叩いた。貴洋はジントニックを一口飲んで、小さな口をゆっくりと開いた。
続く。
花子出版 倉岡
文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。