見出し画像

『義』  -夏の終わりと、咲子の心- 長編小説




夏の終わりと、咲子の心

 大輔と健斗は空のビール缶をリュックサックに入れ、秘密基地を離れて貴洋の家へ向かった。貴洋の家の前に、喪服を着た咲子が立っていた。大輔は庭先から、咲子に手を振った。手を大きく振っていると、咲子は気付き、目を見開いて、二人の所へ走ってきた。

「大輔くん、帰ってきたんだ。久しぶり。あっ、そうでもないか。数週間ぶりか。何ね、Tシャツ汚れとるけん。どこ行っとったっと?」

「ちょっとね。そんなことはどうでも良い。貴洋くんがこの度は、大変なことで・・・あれ、何を言うんだっけ?」

 大輔は吃ってしまった。

「そんなに畏まらんでよかよ。突然でびっくりしたやろ。こっちは、もう大変だったとよ。孤独死だけん、警察に呼び出されてから検死だったり、異臭がするやろ? だけん周辺住民に謝りに行ったり、特殊清掃の業者さんを呼んだりとね」

「いろいろと大変だったね。お疲れ様。突然の訃報で驚いた。人っていつ亡くなるか分からないものだね。幼馴染がいなくなって寂しくなるな」

「大輔くんは、そぎゃん身体しとるけん、そっとのことじゃ死なんばい。貴洋は身体が元々弱かったけん、仕方なか。言うのが遅うなって、ごめんね」

 咲子の瞳に、透明な涙の膜が張り、冷たく輝いている。大輔は笑顔を作ることしか出来なかった。すると、健斗が口を開く。

「ねえ、さっちゃん。何か手伝おうか? 何でもするよ」

「健斗くんありがとう。今は大丈夫かな。何かあったらお願いするかもしれんけん、そん時はお願いね。健斗くんて、ほんと優しいとだけん。二週間くらい前に父さんが怪我したったい。すると、健斗くんが、草刈りとかを加勢してくれたとよ。ほんと助かった」

 照れた健斗は、頭を掻き毟る。大輔は健斗を見た。東京の育ちとは思えないくらい日焼けし、肩周りも大きくなっていた。

「健斗。『義』だな」

「ああ、『義』だ」

 大輔と健斗は見つめ合った。

「『ぎ』って、何?」

 咲子は不思議そうな顔をした。

「何でもない。男だけの話さ」

 大輔は言った。

「何ね、もう。『ぎ』って東京の言葉とね? 東京じゃ、そぎゃん言葉が流行っとるったいね。変わっとるね」

「明日は、何時から葬式?」

 健斗が問い掛ける。

「葬儀は午後からよ。葬儀社である。健斗くんも来ると?」

「もちろん」

「ごめんね。東京の人に、こぎゃん田舎の葬式に出席してもらって。なんか悪かたい」

「問題ない。ここに来ている以上は、村の一員だからね」

「格好よかね」

 咲子の涙は消えていた。

 咲子が貴洋の家の中に入り、大輔と健斗は自宅へ帰った。

 自宅の居間では、父と母がテレビの音が鳴り響く中、ひっくり返ったカエルのように腹を出して仰向けになり、すやすやと寝息を立てていた。呑気な両親の子であるとの安堵と、一抹の不安を感じつつ、大輔はテレビを消して二人へ薄い毛布を掛けた。その後、大輔と健斗は交互にシャワーを浴びて、部屋に入った。

「何か飲む? バーボン?」

 大輔は本を読む健斗へ問い掛けた。

「いや、明日葬式だから、麦茶にしよう」

「そうだな。賢明だ」

 大輔は立ち上がり、冷蔵庫から麦茶を取り、部屋に戻った。氷の入ったグラスに、麦茶を注ぐ。手に持ち、グラスを重ねて乾杯をすると、出来の悪い風鈴と似た音が鳴った。大輔は夏の終わりを感じ、麦茶のポットから垂れる水滴と同じように哀愁を畳の上に零した。

「バーボンと色が似ているな」

 健斗はグラスを覗き込み、味わい深く言った。

「色は一緒だな。透き通った琥珀色。なあ、健斗。色々と、さっちゃんのサポートしてくれて、ありがとう」

「水臭いなあ。好きでやっている事だから、気を使わないでくれ。俺は、さっちゃんの事が好きなんだ。天草に住んで、仕事を探そうかな」

「大学はどうするの?」

「辞める」

 健斗は思い悩む事なく即答した。

「安安と言うなあ。天草には、広告代理店や、外資系企業や、テレビ業界の仕事等は皆無だぞ。そう言えば、入学当初『将来、朝はコーヒーを飲みながら英字新聞を読み、スーツを着こなして六本木にあるオフィスに出勤し、クリエイティブな仕事する。そして、定時に上がり、ジムで一汗掻いて、帰宅する。このような生活を送る偉大な大人になります』と、言っていたぞ。健斗の言葉を、この耳ではっきり覚えている」

「よく覚えているな。大輔の記憶力は、恐ろしい。入学当初の俺は、都会の生み出す幻影に、浸っていたんだ。実際には、あんな生活を送ることは不可能。俺には、器がない。でも、これだけは理解して欲しい。決して、都会から逃げたい気持ちで、天草に住みたいのではない。都会の人からすると、過疎化する田舎に逃げていた馬鹿な野郎だ、と思われるかも知れない。実際に、都会の人に限って、田舎を軽視する傾向があるからな。奴らは田舎を知らない。俺は、少なからず知っている。木々の温もり、小川のせせらぎ、浜辺を彩る潮騒、緩やかの時間の流れ。住人の穏やかさと、感情の豊かさ。俺はさっちゃんとこの地で暮らしていきたいと思う」

「田舎を買ってくれてありがとう。俺は、全力で応援するよ。暫くは、この家に居候しても、良いだろう。事情を話すと、俺の親も賛成すると思う」

「連れて来てくれて、ありがとう」

 健斗は微笑んだ。大輔は、日に焼けた健斗に逞しさを感じた。

 二人は布団を敷き、明かりを落とした。

 昼下がり、貴洋の葬式が終わった。住職のお経が短かった、と噂する人がいた。あの住職はサボりがちだ、と噂する人もいた。大輔はどちらも分からなかった。それから、斎場の出口にて、久しぶりに会った同級生と近況の話をし、咲子の元へ向かった。咲子は参列者への挨拶のために、入り口に立っていた。

「なあ、さっちゃん、ちょっと話せる?」

「よかよ」

 大輔は咲子を斎場の影に連れて行った。

「どぎゃんしたと?」

「えっとね。こんな忙しい時に言うのは、不謹慎かも知れないんだけれど。話しても良いかな?」

「え、なになに?」

「健斗のことだけれどな。健斗はね、さっちゃんの事が好きらしい。大学を辞めてこの村に住みたい、と言っているんだ。健斗のことをどう思う?」

「なんね。そぎゃんことね。私も、知っとるよ。健斗くんからは、実は、何回も告白されたとよ。でも、うちは貴洋の妻だけん、もちろん断ったたい。気持ちは嬉しかけどね」

「あいつ、抜かりないな・・・。それで、健斗がこの村に住むことになったら、どうする?何か、困らない?」

「そうねえ。まだ、分からん。だって貴洋が亡くなってから、まだ日が浅かし、忙しくて気持ちの整理も出来んもん。それに、世間体もあるけんね。すぐに付き合ったりとかすると、何を言わるっか、分からんたい」

「それは、そうか。考えてみれば当然と事だな。ごめんね、忙しい時に、引っ張り出してしまって」

「あ、ばってんね、私も健斗くんことは好きよ。献身的だし、優しかけん。もし、こん村に来てくれるなら、たいぎゃ嬉しか。神様が許してくれるなら、お付き合いしてもよかかなあ。あ、これ内緒だけんね。絶対にね」

「ありがとう、その言葉が聞けてよかった。もちろん、さっちゃんの気持ちは誰にも言わないから安心してくれ。じゃあね、さっちゃん」

「大輔くんは、もう東京へ帰ると?」

「うん。大学も始まるし、他にやることもあるからね。また、大きくなって帰ってくるよ。貴洋くんも、お墓参りもしたいからね」

「大輔くんはやんちゃだけん、怪我せんごつね。じゃあね」

 咲子は笑顔を作った。大輔も笑顔を返し、咲子の元を離れ、健斗が待つ車へ向かった。

 車の扉を開けると、健斗はシートを倒して、寝ていた。不慣れな土地での不慣れな葬式に疲弊したのだろう。大輔は静かに扉を閉め、健斗にシートベルトを付け、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。


続く。

花子出版   倉岡



文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。