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『義』  -大輔と貴洋- 長編小説




大輔と貴洋

 貴洋はスッキリとした表情で、小さな口を閉じた。

「すみません。ジントニックを二つ」

 大輔は店員へ注文をした。貴洋の話を咀嚼出来ずに、返答する時間を欲した。

 大輔は空のグラスを覗き込みながら、思案する。貴洋の人生は、幸せなのだろうか。もし、自分の存在がこの世になければ、貴洋の人生が別の方向へシフトしたのではないだろうか。もし、中学生以降も、今日のように楽しい交友を続けていれば、もっと違った未来を、一緒に迎えることになったのではないだろうか。不穏の渦巻きは続いていた。

 店員がジントニックを運び、二人の前に置く。

「ねえ、大輔くん。僕の話を聞いて、自分を責めたりしたらダメだよ。ジントニックを飲もうよ。大輔くんに、曇った顔や涙は似合わないよ。僕らは約束したよね?」

 大輔は頷き、ジントニックを飲んだ。水のような味だった。

「そうそう。僕なんて、どうなっても構わない。大きな夢や希望を持つ器がなかったんだ。でもね、大輔は違うよ。幼馴染の僕が言うから、間違いない。だから、元気に大輔くんらしく生きて欲しいんだ。約束してくれる?」

 貴洋は微笑んだ。

「ありがとう。約束する」

「ねえ、東京の話を聞きたいなあ。何か面白いことあった?」

 貴洋の問いに、大輔は周りを見渡して、人が近くにいないことを確認した。

「実はね、以前話をしていた格闘家の吉田さんが負けてしまったんだ。決して強い相手ではなかったけれど、もう、あっさりとね。俺はセコンドについて、喉が枯れるほどに、そしてリングマットを叩く掌が真っ赤になるほどに応援していたけれど、願い届かずだった。寂しかったなあ」

「負けちゃったんだ。それは、寂しいね。大輔くんの、大好きな人なんでしょ?」

 貴洋は同調した。

「大好きと言うより、憧れと言うか、同じ『義』を志している師匠さんみたいな、存在かなあ。そんな吉田さんに、実は幼馴染がいたんだ」

「幼馴染って、僕らと一緒だね。奇遇だね」

「二人は幼稚園から一緒で、ずっと仲がよかったんだ。でも、中学一年生の時に、吉田さんの幼馴染が亡くなってしまったんだ。そして、吉田さんは強さを求めるために格闘家になられた。友のために戦い続ける男だよ」

「正しく『義』だね。男だね」

「正しく。貴洋くんは、俺の言いたいことを分かってきたなあ。やっぱり、幼馴染だ」

 大輔は笑いながら、貴洋の背中を叩いた。

 女の店員が二人の前に立った。

「仲が良いのですね。お二人共、楽しそうだなあ。大学の友人ですか?」
店員が二人の顔をそれぞれ見た。

「いえ、幼馴染です」

 大輔は答えた。

「へー。大人になっても、幼馴染と仲良しだなんて素敵ですね。良いなあ。女は大変なんですよ。やっぱり、妬みや僻みあったりして。好意を寄せる異性が同じとなると、その時点で歯車が狂っちゃいますからねえ」

 店員は苦笑いをした。

「残念ですが、妬んだりする男達もいるんですよね。でも、俺らはそんな関係ではありません。紆余曲折ありましたが、こうやってお酒を飲んでいるので、幸いなことです」

「やっぱり、男って良いなあ。来世は絶対に男になります。男臭い、男になりたいな」

「真の男は『義』を重んじるのですよ。正義や大義の『義』です」

「『義』かあ。男臭い素敵な言葉ですね。何かを貫くって、想像しただけで素敵。言葉だけで、惚れ惚れしちゃいますね。吉田さんからは、『義』を感じますよね」

 店員の言葉に、大輔と貴洋は目を合わせて、ニヤリと笑った。

「吉田さんは、最近来られますか?」

「はい。昨日、いらっしゃいましたよ。いつも通りのバーボンを飲んでいらっしゃいました。でも、今日は来られないと思いますよ。もうこんな時間ですしね」

「そうですが・・・」

 大輔は心配になる。

「最近は来られないことが、ちょこちょこあるんですよ。お仕事が忙しいのではないでしょうか」

 店員は別の客に呼ばれて二人の前を去った。

「吉田さんが来店しないなら、BARを出よう。貴洋くんは、ホテルに宿泊するの?」

 貴洋は首を小さく、横に振る。

「じゃあ、漫画喫茶かな?」

 再び、貴洋は首を振る。

「そっか、まだ決まっていないんだ。だったら、狭苦しいけれど、俺の家に来なよ。東京で人疲れしただろう」

 貴洋は頷いた。

 終電が走り去り、新宿の街は迫り来る時間に追われる事なく、張り詰めた空気が氷のように溶け、各々の酩酊する時間を享受している。二人はBARを出て、タクシーを捕まえに歩いた。甲州街道へ出ると、首を長くして待っていたタクシーがすぐに捕まり、大輔のアパートに向けて走り出した。大輔は貴洋を眺めた。貴洋は車窓に広がる、人工灯を眺めていた。

 二人はアパートへ着いた。部屋へ入り、大輔は冷房をつける。

「大輔くんの部屋は、広いんだね」

 貴洋は物珍しそうに、部屋を眺める。

「天草に比べたら、恐ろしく狭い部屋だよ。置いている物が少ないから、スッキリしていると思うけれど。シャワー浴びるだろう。ほら」

 大輔は貴洋にバスタオルを渡し、浴室へ案内した。

 交互にシャワーを浴び終え、下着姿でベッドに座った。

「シーツを替えて、新しいタオルケットを出したから、ベッドで寝なよ。明日も長旅だろう」

「ありがとう」

 貴洋はタオルケットを受け取り、ベッドへ横になる。大輔は床に冬用の掛け布団を敷き、照明を落として横になった。真っ暗な室内にて、色彩を失った天井を眺めた。いつもと変わらない天井のはずだが、そこには星々が瞬いていた。深夜の秘密基地で見上げた星々だ。酩酊し、楽しかった童心へと回帰しているのだろう。

「ねえ、大輔くん、そっちへ行っても良いかな」

 貴洋はベッドから大輔を見下ろす。貴洋の瞳が、天井で瞬く星のように、淡く輝いていた。

「構わないけれど、寝辛いと思う」

 大輔が答えると、貴洋はすぐに降りてきた。

「こうやって横で寝ていると、子供の頃に戻ったようだね。キャンプに行ったことを覚えている? あの時、担任の先生が怖い話をしたから、僕は眠れなくなって、大輔くんの腕をずっと掴んでいたんだよ。大輔くんの腕を掴んでいると、すごく安心したんだ」

「懐かしいなあ。先生の怖い話は、記憶にあるけれど、貴洋くんが腕を握っていたことは気が付かなかった」

「恥ずかしかったから、先生や女の子にバレないように、こっそりと握っていたんだ。僕って怖がりなんだ・・・。ねえ、また腕を握っても良いかな?」

「ああ、構わないよ。減るものでは、ないからな」

「ありがとう」

 貴洋は指先を大輔の腕に絡ませた。大輔は全身が強張った。貴洋の指先が氷のように冷たかったからだ。しかし、承諾した手前、突き放すことは出来ない。いや、もしかすると、熱帯夜では心地よいかも知れない。

「やっぱり、大輔くんの腕は大きいなあ。立派な腕、力強い腕、とても安心する」

「毎日、トレーニングルームで鍛えているからな。貴洋くんも、毎日鍛えると、きっと大きくなる」

「僕は大きくならない。だって、大輔くんが、僕の分の戦ってくれるから。ねえ大輔くん・・・、もし吉田さんの幼馴染みたいに、僕が死んでしまったら、大輔くんは悲しい?」

「そんなこと言うなよ。悲しいに決まっているだろう。貴洋くんは、生きている。俺の腕を、しっかりと握っている。俺たちは、永遠の幼馴染だ」

「ありがとう。大輔くんは、僕の分も強くなってね」

「ああ、もちろんさ」

 大輔は力強く言った。

 大輔は目を閉じ、睡魔の足音を待った。すると、すすり泣く声が聞こえてきた。隣で寝る、貴洋の声だ。か細く、息を吹きかけると消えてしまいそうな小さな鳴き声。時折、鼻水をすする音も聞こえきた。貴洋のために出来ることを模索した。それは、傲慢さから派生する貴洋に対する優越感や、倫理観への憧憬ではなく、貴洋の悩みの源泉へ潜り、引っかかる悪魔を退治し尽くしたいと思う、確固たる意志だ。例え、貴洋を取り巻く悪魔が強靭で、自分の命を懸けなければならないとしたならば、もちろん、何の迷いもなく差し出そう。それが男ではないだろうか。『義』を志す崇高な男ではないだろうか。大輔の中にて、過激な思想が暴れ出していたが、現実的な一面が顔を出し始めた。結局のところ、時代が違うのだ。人のために命を懸ける機会が皆無の時代。では、そのような時代にて、貴洋のために何が出来るのだろうか。やはり、資本主義のルールに則り、金銭的なサポートになるのだろうか。幸いにも、吉田のセコンドにて、大学生にとっては多過ぎるほどの金を持っている。この金を使うならば、貴洋の生活を立て直すことは容易だろう。もし、貴洋の部屋がゴミ屋敷ならば、清掃社を雇い、不要なものを捨て整理整頓すれば良い。もし、会社へ行くためのスーツが無いならば、紳士服売り場で買えば良い。もし、食べるものが無いならば、スーパーにて食材を買い出せば良い。恐らく、大抵のことは出来るだろう。しかし、何かが違う。何かが引っかかる。金にて解決出来るものは、例えるなら、大海原に浮かぶ氷山舐め回し、芸術品を作り上げ、完成した芸術品を自ら喜び、鑑賞する人々が更に喜び合うような行為だ。極めて安直だ。水面下には手付かずの氷山が眠っている。即ち、彼が流す涙の源泉に辿り着かなければ、全てが無意味だ。

 その時、大輔の腕を掴んでいた貴洋の指先が、Tシャツを捲り上げて胸を撫で始めた。大輔は驚くも、すすり泣く貴洋が少しでも落ち着けるなら、と思い仰向けの体制を保った。貴洋の指先は、円を描くようにゆっくりと乳首を撫でている。十周位経った頃、貴洋のすすり泣く声は止まった。大輔は、貴洋の役に立ったのだ、と深く安堵した。貴洋の中に住みつき、悪魔を一匹やっつけたのだ。

 すると、貴洋の手が胸から移動し、大輔の陰部へと向かい、大輔の陰茎を撫で始めた。

「おい」

 大輔は目を見開き、咄嗟に声を漏らした。だが、貴洋の指先は止まらず、更に動きが早くなり、陰茎を握り上下に擦り始めた。大輔は開いた瞼を閉じた。突然の出来事に思考が困惑し、手足が言うことを聞かない。一方で、刺激された陰茎は、みるみる反り立ってゆく。

 これも貴洋の悪魔退治の一つなのだろうか。いや、例え、違ったとしても構わない。隣にいる幼馴染のためだ。大輔は射精の衝動に耐えつつ、貴洋の苦しみが解放されることを懇願した。


続く。

花子出版   倉岡



文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。