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私が死ねる時

 作家という職業を舐めてはいけない。そう痛感する。白い紙の前でお気に入りのペンでも握れば何とか書けるのではないか、そんな淡い期待が叶うのならばこんなにも簡単なことはない。何が書けるのか、何が書きたいのか、何を書けば良いのか、さっぱり分からない。

 ところがどうして、書きたいのだ。向いていない、出来ないと何度も考えるのに、気が付いたら書こうとしている自分がいる。何故だか分からない。どうしようもなく、書きたいのだ。何が書きたいのかさえ分かっていないくせに、ただ書きたいとそう願う。矛盾――矛盾とは故事成語で矛と盾のことだと習ったことがある――。あの頃にはもう、文学に夢中だった。ところがどうして、書けない。

 書けない、書けないと何度唱えたところで、素晴らしい文章が思い浮かぶわけもない。これは思い切って羽目を外してやろうと飲みに行っては、ただ飲んだくれて帰ってくる。アルコールは文学には取って代わらない。お洒落なイタリアンもお高い紅茶も名を知らぬフランス菓子も全て水の泡となった。私の乾きを癒すものは文学以外に有り得ない。

 読めば書けるかしらと思い付いた時は世紀の発明かと考えたが、あまりにも当たり前の発想だった。とにかく、読もう。読み漁って読み漁って、しかし書けるようになるというわけは無かった。読むのが多少早くなり、言葉は知っただろう。大体、元より読むのは好きで昔よくやっていたではないか。それだけで書けるようになるなら、ほとんどの人間が書ける計算になる。いや確かに、書ける。ほとんどの人間は母国語で文章を書くことは容易だろう。そういうことを言っているのでは無い。文学を、紡ぎたいのだ。

 ここまでくるともういっそ病気なのではないかとさえ思う。ただ憧れを拗らせて自分にも出来ると勘違いしてしまった可哀想な人形病。人間的に立派とは言い難い文豪たちが書いているから、勘違いしたのだ。母国語だからといって、簡単だとは限らない。現に、書けないのだ。書けないのだからと一応の納得をしたようにみせて、そして次の日また気に入りのペンを持って紙に向かうのだ。これはもうれっきとした病だ。依存症だ。


 ところで「双極性障害二型」というのも病だ。これは昔、躁うつ病と言われていた。近年では、双極症と言ったりもするらしい。名前を変えたところで本質は変わらないのだが、文句を言ったところで仕方が無い。ともかく、テンションが高すぎて困ったことになる躁状態とテンションが低すぎて困るうつ状態を繰り返すのがこの病気だ。躁状態が軽い場合、二型と言う。

 私はこれで、うつ状態が長い。重い。有名なうつだが、これは集中力が無くなる。思考力も低下し、読解力が無くなる。従って、文学レベルの読み書きなど出来るわけも無い。小学校高学年、中学校、高校、大学時代をずっとうつ状態で過ごした。寝たきりの引きこもり。その間ずっと私は、趣味を読書とし続けた。夢を作家とし続けた。もちろん読み書きは出来ていない。

 書けない、書けない。あまりにも当たり前だった。思考力、読解力、集中力、どれもが読み書きにおける必須項目ではないか。出来るわけが無かった。

 その間代わりの出来ることを探し、写真を撮りだした。これが中々、好評を得た。インスタグラムの台頭という時代も手伝って、良いところまでいった。それなのにカメラを置き、ペンを手に取った。撮りたいんじゃない、書きたいのだ。

 映画を観ても花を愛でても大抵のことは人並み以上に出来たのに、そのどれもが趣味で終わった。

 書けない。書けないのに、書きたい。


 これは間違いなく、病だ。

 私は病魔に侵されている。血液や細胞の一つ一つまで、侵されている。書きたい、その欲望が抑えきれない。文学を紡ぎ、作家となりたい。幼少期に抱いた憧れはそのまましっかりとした形になった。

 脳や心がそう願うのは当然のこと、目は自然と活字を追うし耳は文学賞のニュースを逃さない。鼻は決して紙の匂いを忘れはしないし、口から出る言葉は「書きたい」だ。本の背表紙を撫でた肌触りを一生愛すだろうし、紙をめくる音が一生耳から離れまい。美しいものといえば文字の羅列だし、破滅の文豪人生も私にとっては憧れだ。その道筋をこの足で歩きたい。

 作家になるまでは死ねない、ただその信念だけで生きてきた。躁とうつに悩まされた二十年余り、一度も自殺未遂はしていない。文豪に憧れていると言うのにも関わらず、だ。

 この病が治らないことには、私は死ぬことさえ許されない。

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