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わたしの仕事には名前がつけられない



自分は「何処かに勤める」という働き方を辞めて良かったなぁと心から思う。



勤めるという働き方が、向いている人と向いていない人がいるけれど、私は確実に「向いていない人」だったから。



最初の就職先は、東京にある大きな病院だった。


四年大学を卒業後、上京してさらに2年間大学へ入り、たくさん勉強して、辛い実習も耐えて、国家資格までとって就いた仕事だった。


この仕事に就けば、将来は安泰だと思った。




私の就いた職は、当時まだマイナーなものだったため、その病院の教育体制が整っておらず、尚且つ人手不足で、新人にとってはなかなか過酷な職場だった。


まだまだひよっこで分からない事だらけなのに、お医者さんや看護師さんから色々と尋ねられたり、場合によっては命に関わるかもしれない患者さんを相手にするのに、頼れる指導者もおらず、毎日辛かった。


当時は別に、人間関係が上手くいかないとか、

仕事が人よりできないとか、

そういう訳ではなかった。



私はマイペースだけど、協調性は多分あるほうなのでトラブルを起こしたり和を乱すようなタイプではない。
仕事上の人間関係も、気を遣ってすごく疲れるけれど、表面上では良好な人間関係を築いていた。

仕事も分からないなりには必死でなんとかこなしていた。

そういう意味では組織向きではあるけれど。



だけど、とにかくその時は、毎日がストレスフルで

憂鬱な気持ちを抱えながら出勤し、

休日の度に、出勤の前日になると憂鬱で憂鬱で仕方がなくなるほどだった。



結局、1年半ほどして結婚が決まり、夫の仕事の関係で地元へ戻ることになったので、その病院は退職。

地元で再度就職する時も、もちろん同じ職につく予定だったし、面接をして内定も貰っていた。




だけど、

だけど、、






「嫌だ。」







「もうやりたくない」








地元の病院に内定をもらった後すぐに、私の心がそう泣き叫んだのだった。










え?でも、必死で勉強して資格取ったんやよね?
時間とお金をドブに捨てる気?
てか、仕事はどうするの?
教員免許あるし、学校で働く?
それも絶対に嫌?
じゃぁ、どうすんの?
大学6年間も行かせてもらってまさか誰でもできるような仕事をするつもり?
ありえへんやろ。
他の人にどう思われる?
asumiちゃんって結局は地元帰ってきてそこいらの仕事に就いてるんや〜wって笑われるで?いいん?
そんなんだったら大学行かんかったら良かったんちゃう?
金食い虫!
根性ないんやな!
皆んなはきちんとお堅い仕事で働いているのに、それをしないのはただのわがままちゃう?
将来の事ももっと考えたら?








って、私の思考が私を激しく責め立てた。(ひどいし、偏見の塊ですね)






だけど、私は、






いや。無理。

絶対、嫌。

もうあの仕事は一生しない。






今まで、流されるように生きてきた私だったが

そう決めた時、私は初めて、自分の意思で自分の人生を決定できたような気がした。




内定を断ると、私の心は羽が生えたように軽やかになった。


最高の気分だった。





私、これからなんでもできるんだ!

なにをやってもいいんだ!

自由なんだ!!


これから何をしよう?




そこで思いついたのが、図書館だった。


小さい頃に、本の虫だった私は

前から、司書の仕事に憧れていた。




タイミングよく市が司書の仕事を1人募集していたので、面接を受けたら採用された。




病院と違って、命に関わる重たい責任が無いというだけで、私は嬉しかった。


分からない事は、すぐに質問できる環境が有り難かった。


怖い先輩もいたけれど、優しい人も多くて人間関係も良かった。






だけど、



だけど、、、






なにか、違う。





仕事内容的には


本の貸し出しや
本の修理
学校への出張貸し出し
調べ物の手伝い
子供たちへの絵本の読み聞かせ
展示物の制作


など、それなりに楽しかったし、仕事の内容に不満はあまりなかった。






でもなんだろう?



なんだか、「やりがい」が感じられなかったのだ。



図書館で働く人たちは、本が大好き、図書館が大好きな人が多くて、

みんな生き生きとして見えた。





でも私はそうじゃなかった。











本の整理をしながら、


「私はこれをするために生まれてきた訳じゃない」

「何がしたいのかはわからないけど、もっと違うことに時間を使うべきな気がする」


という気持ちがどんどんと湧き上がってきた。






そして私はその気持ちに従って、図書館を辞めたのだった。






私は、その時に気づいた。



私は、自分が一番居心地の良い場所で働きたいんだ、と。

私にとって居心地の良い場所とは、自宅のことだ。

そして、何をするのか内容が決まっている仕事や、人から言われてする仕事は、自分には魅力ややりがいが感じられないのだという事にも気づいた。

私は、自由が好きだった。


今まで、そんな事にも気づいていなかった。

自分の事を知らなすぎたのだ。



よーし、自宅で何かやってみようー!!


と考えていた、そんな時。




愛猫との出逢いがあった。

小さくて可愛いくて一瞬で心を奪われて夢中になった。
毎日、愛猫のことで頭がいっぱい。


私は仕事のことなんてもうどっかへ行ってしまったのだった笑



そして、しばらくして妊娠が発覚。



完全に、仕事のことはどこへやら、という感じになった。



変わっていく自分の身体に驚きながら、愛猫との平和な日々を過ごしていた。



そして、息子を出産。



正直、そっからはものすごく大変だった。



万全ではない身体で、赤子と過ごす日々。。

毎日寝不足だし、日中ゆっくりもできないし、あちこち痛いし、愛猫にかまえず寂しい思いをさせていないか心配だし

ただでさえ慣れない育児で疲れているのに

その時期がコロナと被っていたのであらゆる情報に頭を悩まされたり、、

予防接種に頭を悩まされたり、、、


もちろん息子は可愛かったけど、いろんなストレスのせいでその可愛さを全力で堪能できなかった気がする。



今思い返しても、しんどかったーーーー!



毎日、平和なんだけど、すごくマンネリな日々。

幸せなんだけど、充実感がない感じでした。



そして、それがストレスだった。


息子が1歳半になる前、保育園に預けて働く、という選択が頭に浮かんできた。



とりあえず、就職先はこれから探すという理由で、保育園に申し込みをした。


そして、ネットからハローワークで自分に合う仕事がないか探す日々。


だけど、そんなのあるはずもなく。




そして私は、やっぱり在宅で働きたいと思った。

お金でもなく、仕事内容でもなく、


在宅ワークが私の第一条件だった。


だって、大好きな猫と一緒に居たいから。(本気)



私は、フリーランスのwebライターをする事に決めた。


業務委託の仕事に応募できるサイトに登録し、自分でやり方を一から調べながら、自分で仕事をとってきて働くという事をやり始めた。

完全に手探りだったけれど、それでお金をいただけるようになったのだ。


そして、WEBライターではなく、シナリオライターの方が自分に向いていることが分かり、シナリオライター一本に絞った。


最初は安い単価だったが、経験を積んで単価を上げてもらったり、単価の高い仕事に応募したりして、レベルアップしていくのがなかなか楽しかった。






だけど、、笑





それって、適職ではあったけど、


やっぱり天職ではないんですよね、、、。






「私、これをするために生まれてきたんじゃない」







またこの思いが湧いてきたんですよね。。。。






私は、降参した。


そう。


私は、スピリチュアルな仕事がしたかったんだ。

セッションというものをしてみたかったのです。


いや、うすうす分かってたというか、


心の底では、めっちゃやりたがってたの知ってた(笑)


なんなら、図書館を辞めた時から分かっていた。




でも、だって、怖かったんだもの。


自分にできるとは思えなかったんだもの。






とまぁ、こんな感じでスピリチュアルなお仕事を始めたのだった。




そんな、回り道をしまくった私だったけど、



間違いなく今が1番、私を適切に生きていると思う。



そして、私は辿り着いた。


私にとって1番ドンピシャに合っている働き方とは


私が今その時にしたいと感じた事をする


という事だ。


だから、私は結構メニューもその時の感覚で頻繁に変えるし、

期間限定で何かをするのも大好きだ。



だから、ずっとスピリチュアルな仕事やセッションをするとも限らないし、


本当にその時自分がしたい事をしたい!!って思う。


だから、職業を聞かれても答えられない。


だって完全に自由な仕事だから。



遊ぶように働きたい。



そんな働き方が、私には1番合っている。



それに気づくことができた私は幸せ者だ。




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