はじめまして、きゃなです!
きゃなと申します。30代真ん中あたりのワーママです。
現在は夫と息子と実父と実母と5人で暮らしています。サザエさんで言うと夫はマスオさん的存在です。
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noteを始めたキッカケ
2018年7月に第一子を出産しました。
出産をするまでの私はいわゆる仕事人間でした。定年まで同じ会社に勤めることが当たり前。だから現職で出世することが一番だと思っていました。
でも出産のために産育休を約1年取得したことで、現職以外の世界を知る機会が増え、今後の生き方や働き方を見直すキッカケになりました。Twitterを始めたことが原点です。
その気持ちの変化などを文章に残したいと思いnoteを始めました。
同じ思いや経験をされている方とつながりを持つキッカケになれば嬉しいです!
ひとまず自分のこと 〜学生時代の挫折〜
自分で言うのも何ですが、学生時代から勉強が好きで成績は割と上位をキープしていました。これは完全に公文のおかげです。とても良い先生に巡り会うことができ、親と先生にはとても感謝しています。
小学生から公文を始め、中学生までは数学が好きで偏差値70超えだったことが今でも自慢です(笑)ただ、その代わり国語と社会がすごく苦手でした。答えを導き出す過程や理科の実験等も好きだったため、高校受験では理系を選択するつもりでいました。安易ですけどね。
勉強以外ではバレーボールも小学生の頃からやっていて、そのまま進学した中学校が強豪校だったこともあり、スポーツ推薦で高校まで進学することが普通な流れでした。
土日も朝から夜まで練習に明け暮れていました。
中学3年生の引退後に顧問の先生から「スポーツ推薦の話がきている」と言われました。それを聞いた時は素直に嬉しかったです。
家に帰ってすぐ母にスポーツ推薦の話をしました。母はとても喜んでくれました。
推薦の話をくれたのは地元でも有名な進学校。そして女子校。普通受験ではなかなか入れないくらい人気な高校でした。
懸念点はスポーツ推薦クラスは文系コースしかないところ。せめて普通コースだったらありがたかったのですが・・・。
自分の中では「勉強>部活」の比重でやっていきたいと言う気持ちが大きかったし、苦手な国語や社会で戦っていくのか・・・と不安な気持ちだったのを覚えています。
理系に進学することを考えていた私に、母はスポーツ推薦を猛プッシュしてきました。
「女性は文系」「面倒な受験勉強をしなくていい」「大学まで行かせてもらえる」「自分が叶えられなかったキャリアウーマンになってほしい」
上記のようなことを言われた覚えがあります。
その時は「親の言うことが絶対だ」と思い込んでいましたし、「親を喜ばせたい」と言う思いが強かったんだと思います。
あとは「親の反対を押し切ってまで理系に進んで何がしたいんだろう」と言う気持ちもありました。
結局、自分の意思も半分の状態でスポーツ推薦で進学することにしました。
今となってはとても後悔しています。
やはりどこか「親が敷いたレール」を走っている意識があって、「親を喜ばせるため」に自分を押し殺して頑張っていたところがありました。
「親のために」勉強を頑張る。
「親のために」部活を頑張る。
「親のために」言うことを聞く。
上記の考えで頑張ったところで限界がありました。
2年生からは理系教科が減ったことで苦手な文系教科だから成績も伸びず、自分のメンタルの弱さからバレーボールでも選手の道は諦め、マネージャーに転身することにしました。
女子校と言う点が私にはハマっていたみたいで、毎日楽しく登校をすることができましたが、全体を通しても「挫折の高校時代」と思っています。
「勉強できない」「成績も中途半端」「部活も途中で挫折」
「落ちこぼれ」と言う言葉がピッタリ当てはまります。
この頃から、どんどん自分に対して自信がなくなっていきました。
大学進学後も周りの学生たちがキラキラして見え、自分がこんなところにいていいのか?と思い込み始めて、最終的に通学できなくなってしまいました。
この経験を通して
■自分の人生を子供に背負わせないこと
■子供の意見を尊重すること
■子供が成長できる環境を作ること
上記3点は必ず実行すると心に決めています。自戒を込めてnoteに残そうと思います。
次からは転職に至るまでの葛藤などを書きたいと思います!