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ルカによる福音書*行って、あなたも同じようにしなさい

しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

イエスはお答えになった。

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

律法の専門家は言った。

「その人を助けた人です。」

そこで、イエスは言われた。

「行って、あなたも同じようにしなさい。」

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ルカによる福音 10.29-37
アシジの聖フランシスコ 修道者 記念日
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「隣人を自分のように愛しなさい」の「隣人」とは誰のことか、イエス様がたとえ話をしてくださったこのくだりは「善きサマリア人のたとえ」としてご存知の方も多いと思うのですが、個人的に何度でも読みたい大好きなお話なので、あえて長文のままで。

サマリア人の行いが素晴らしいのはもちろんだけれど、私たちがいつ、追いはぎに襲われた人の立場になるかもしれないことも、忘れないようにしたいと思います。

ケガをしたとき、病気をしたとき、仕事がうまくいかなくなったとき、だれかに手を差し伸べてもらったり、声を掛けてもらったりしないと、生きていけないかもしれません。

たまたま通りかかったサマリア人が、当たり前のように、自然に助けることができたのは、そんな思いもあったのかな、と想像してみたりしています。

助けたり、助けられたり。

そんな経験を繰り返しながら、私たちも神様の愛に触れていくことができますように。

かつては長崎の神学校や修道院で受け継がれてきた、手編みのロザリオ「長崎編み」。伝統を受け継いでいけるよう、ひと目ひと目、祈りを込めて編み続けたいと思います。