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【短編小説】5・7・5・7・7 (Chapter4)

Chapter4. リュンヌ ÷ 短歌


1.  短歌

リュンヌは短歌のコミュニティサイトへ自作の投稿を続けている。年始の目標として毎日創作し続けることを念頭に置いているからだ。彼女のフォロワー数は50名程度と少ないが、コアな短歌好きが集まっているせいか、居心地がよく、慌ただしい日常からの唯一の避難場所になっていた。今日も一句っというハッシュタグをつけて投稿すると、見ず知らずの人からもいいねがもらえる。時々コメントしてくれる奇特な短歌ファンもいるので、リュンヌの日々の励みになっていた。

リュンヌが短歌に出会ったのは中学1年生の冬休みだった。母とショッピングモールへ食品の買い出しに行った際、ふらりと立ち寄った書店で、母は何を思ったのか短歌の週替わり卓上カレンダーを買った。それはカレンダーのお役目を終えるとポストカードとして生まれ変わるもので、リュンヌは母から毎週お役御免になったカレンダーを1枚づつもらい、自分の机の引き出しに閉まっていた。

リュンヌは高校生になると自ら創作するようになった。どこかの誰かに詠んでもらいたいという気持ちが強くなった頃、短歌のコミュニティサイトの存在を知った。初めのうちは、ただただ見知らぬ誰かの反応が楽しくて、適当に思いついた言葉をつなげていたのだが、プロの歌人の作品を目にするようになってから、彼女の意識は変わった。「これからは些細な出来事にも注意深く目を向けて、自分の感受性を磨かなければいけないな」と考えるようになったのだ。


最近は短歌の創作中にもジュゲムのことが頭をよぎる。リュンヌは集中したいと思えば思うほど、喧嘩別れになったことへの後悔と疑問が頭の中を駆け巡るのだ。

わたしもジュゲムくんも、お互い傷つけあって、怒りに任せてさよならして。もしわたしがふたりの物語の視聴者だったら、こんな結末なんて望んでないと思う。何よりわたし自身が納得してないから。あのときジュゲムくんは「冗談だよ」ってなぜ言ってくれなかったんだろう。本当は今すぐにでも会って謝りたい。でも、もう遅いかもしれないよね。そういえばジュゲムくんはThe National まだ好きかなあ。


今日もいつかのジュゲムの部屋で流れていた "I Am Easy To Find"を聴きながら「5・7・5・7・7」を考える。短歌を詠んでいるときだけは、何もかもから解放されるような気がしていた。


そういえばこの曲にはもう一つの物語があるんだよね。ジュゲムくんが教えてくれたんだった。ある女性の一生について。人間がこの世に生まれてから(人生の喜怒哀楽を経験して)死ぬまでの普遍的な物語。確かマイク・ミルズがディレクションしてるはず。久しぶりに観てみようかな。


わたし独りだけの部屋に 穏やかで 自由に満ちた 世界があった


リュンヌは誰もが感じるであろうことを頭の中に描いては言語化する。日常の面倒なこと。苦笑してしまうような失敗。社会の縮図のような学校や職場。煩わしい人間関係。世界で起きている惨事。心の機微。独身の寂しさ。四季の美しさ。可愛らしい猫。散歩中の老人と犬。公園の鳩。母親とベビーカーの赤ちゃん。砂遊びしている子どもたち。新しくできたおしゃれなカフェ。今日食べたランチ。満員電車。自分を取り巻く日常のすべてを短歌に凝縮することで、自分の平凡すぎる日々を昇華できたような気がした。


わたしの色褪せた毎日を未来が凌駕してゆく。事実は変えることは出来なくても過去は変えられる。今のままでいいんだ。ありのままの自分で。わざわざ自分で自分に足枷をつける必要なんてなかったんだ。



2. 夏の終わり

もう9月も終わろうとしているのに、うだるような暑さが続いていて、気象庁からは連日のように熱中症と光化学スモッグへの注意報が発令されている。リュンヌはとにかく夏の暑さが苦手だった。

いつも冷房の効いた部屋にいるのに、仕事へのモチベーションがまったく上がらず、何度もデスク前の椅子に立ったり座ったりを繰り返す。時にはベッドの上であぐらをかいて、ヒーリングミュージックを流しつつ、瞑想してみるも、まったく気分転換にならない。

リュンヌのキーボードに乗った10本の指は、かれこれ1時間以上ピクリとも動かない。会社へ進捗状況の報告をするにも気が引けるほどだ。「たぶん思考も身体の機能も一時停止しているのだと思う。そう、これはきっと自己防衛なんだよね」っと言い訳を考えて自己肯定する。そんなときアマネからiPhoneに連絡が入った。


「突然の電話でごめんね。今お話ししても大丈夫かな?」

「はい。どうしたんですか?」

「実は急で申し訳ないんだけれど。今日ニノミヤがあなたと話がしたいって言っているの」

「今日ですか? アマネさん、ごめんなさい。どちらにしても困ります!」

「そうよね。きっぱり断ってくれてかえって助かります。お忙しいときに無理なお願いをしてごめんなさい。どうか聞かなかったことにしてください」


リュンヌは1度断ったが、ニノミヤと自分の間に挟まれているアマネのことがどうしても気がかりで、仕方なく承諾することにした。折り返しの電話を終えた後、アマネ経由で待ち合わせの時間と場所が記載されたメッセージが届いた。ニノミヤからの提案で、リュンヌの自宅から電車で10分ほどの距離にある恵比寿の純喫茶で待ち合わせすることになった。


リュンヌは約束の時間の20分前に到着すると、入口横のショーケースの中の精巧な食品サンプルに目を奪われていた。

プリン・ア・ラ・モードにクリームソーダ。イチゴミルク味のかき氷でしょ。それから小倉あんとたっぷりのホイップクリームがお皿に乗ったパンケーキ。やっぱり夏はチェリーの入ったレモンソーダかな。ぶどうのパフェもおいしそう。どのスイーツにもエディブルフラワーが添えられている。どれもかわいいなあ。

少し時間を潰すつもりがあっという間に約束の時間になった。リュンヌが店内に入ると、真っ先に壁面に飾られたドライフラワーが目に入ってきた。素敵なお店だなっと感心していると、初老の店主が現れて「おひとり様ですか? それともお待ち合わせ?」と穏やかな低い声で語り掛けてくれた。彼女からは珈琲の匂いに混じってほんのりとバラの良い香りがした。

すでにニノミヤは窓越しの席に座っていて、珈琲を飲みながら雑誌をパラパラとめくっている。彼は入り口に立つリュンヌに気がつくと「ここだよ!」と今まで見たこともないような笑顔で手招きする。その声に呼応するように、まばらに座っている何人かの客はリュンヌの方をちらりと見た。


「ニノミヤさん、お久しぶりです」

「ああ、どうも。君と初めてお会いしたのって確か2月くらいだっけ?」

「はい。そうです」

ふたりは、比較的和やかな雰囲気の中、軽く挨拶を済ませた。「君の好きなもの、何でも注文していいからね」とニノミヤは言うと、メニュー表をリュンヌにさっと差し出した。

「僕は君と短歌を考えていたとき、すごく楽しかったんだよ」

「すみません。わたしはあの日のことをあまり覚えていません」

ニノミヤは少し面食らったような表情になるとふたたび話しを続けた。

「僕は君のおかげで忘れていた感覚を呼び起されたんだ」

「それはお役に立てて良かったです。ただわたしはまだ生みの苦しみを知らないだけだと思います」

「そうだね。君は僕の半分も生きていないんだから当たり前だよ」

リュンヌは、彼はわたしに何を頼もうとしてるのだろう? という一抹の不安を持ちながらも、自分を律することで気丈に振舞おうとしていた。

「実は僕の家に君が置き忘れたメモがあって」

「はい」

「それを編集者に見せたらすごく気に入ったみたいでね、今度ぜひ君に会いたいって言ってるんだ」

「それは光栄です。詳しいお話を伺う前にお聞きしてもよろしいですか? 今回はお断りしても問題ないでしょうか?」

ニノミヤは「えっ」と、どこか意表を突かれたような表情で肩をすくめると、またリュンヌを説得するように話始めた。

「もしかしたら君の作品が雑誌に掲載されるかもしれないんだよ。すごいチャンスじゃない? 君は嬉しくないの?」

「はい。わたしにはまだ早いですから」

「でもね、早い遅いなんて関係ないよ。僕がデビューしたのだって17歳の時だし」

「いいえ、まだ納得がいかないんです。あの日のわたしの短歌には19年と28日分の言葉がつまっていました。そしてニノミヤさん、あなたの言葉も一緒に、です。だからやっぱり返してもらえませんか?」

ニノミヤは深いため息をつくと「尊重します」と一言だけ呟いて席を立った。

リュンヌも慌てて立ち上がりニノミヤに深々とお辞儀をすると、ニノミヤは少し照れながら「もう、いいよ。僕がこんなこと頼める立場じゃないけれど、君にはずっと書くことを続けてほしい。まだ若いし可能性に満ちてると思う。どうか自分の才能を諦めないでください」と言って軽く会釈をすると、2人分の会計を済ませ喫茶店をあとにした。



3. シュペール

リュンヌは恵比寿駅からJR山手線に乗り、マイライブラリに入っている曲をイヤフォンで聴いている。まだ16時過ぎで帰宅ラッシュには早い時間だが、都内の電車はそれなりに混雑していた。ちょうど1駅進んだところで目の前の座席が空き、彼女は座ると同時に眠りへ落ちた。リュンヌは夢をみている。眠りながらみる夢は久しぶりだった。


わたしは太陽の下白い砂浜の上に立っている。肌が焼けるように熱い。正面から誰かが走ってくる。大きな花束を持った少女だ。わたしは彼女から花束を受け取る。そしてエトワールのように軽やかに飛びあがり、空中を舞いながら優雅に踊っている。子どもの頃のわたしはバレリーナに憧れていた。ずっとギエムみたいにエネルギッシュに踊りたいって思っていた。これは夢。夢だよね。なんて最高なんだろう。


最近リュンヌの移動中のお友は90sのフレンチポップスやボサノバだった。アマネの青春時代を彩った音楽たち。今でも彼女がよく聴いていると知って少しでも近づきたかった。

わたしのまだ生まれていなかった時代の音楽は、ときに懐かしくて、ときに新鮮で、なぜか子どもの頃のおぼつかない記憶を辿っているような気持ちなる。温かくて優しい。もしかしたら母のお腹の中で、両親と一緒に聴いていたのかもしれない。


今イヤフォンから流れているのはマチュー・ボガートという宅録系SSWで、彼の楽曲の中でもユニークな "Super" が特にお気に入りだった。うつらうつらとする意識の中で、リュンヌはうっすらと瞼を開ける。背後の窓からは西陽が差し込んで電車内に影をつくっていた。「わたしの影が光の中で陽炎みたいに揺らいでいる」とリュンヌは思った。まだ目覚めるにはすべてが眩しい。

「次は代々木、代々木」という車内アナウンスですくっと立ち上がると、なるべく入り口付近に立っている人たちとぶつからない様に、気を配りながら降車する。

彼女は改札を抜けて自宅までの道のりを軽やかな気分で歩く。リュンヌは何もかもがリセットされたみたいに晴れやかな気持ちだった。歩きながら短歌を思いつくことは今までにも経験していたが、今日はいつになくたくさんの言葉が頭に思い浮かぶ。自分でも収集がつかないくらいだ。彼女はポケットに入っていたミントタブレットを一粒取り出して、勢いよくポンっと口に放り込んだ。


シュペール 弧を描いてる
シュペール 私の手脚 泡沫の夢

現実世界の単純なわたし。夢の中のクールなわたし。どちらも最低だけど、わたしにしては上出来だ。


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#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

初めまして。見て読んで下さって、本当にありがとうございます。これからも楽しみにしていて下さい♡