【短編小説】5・7・5・7・7 (Chapter5)
Chapter5. リュンヌ = ライフ
1. 再会
リュンヌのWebドラマは来春リリースになることが正式に決まった。自分なりに着々と準備を進めてきただけに、発表当初はかなり落ち込みもしたが「今回のような不可抗力には誰も敵わないから」と言う周囲の慰めもあり、早々に諦めがついた。ただ彼女の中でどうしても諦められないことがあるとしたら、それはジュゲムのことだ。
ほんの1週間前。リュンヌは何気なくインスタを見ていた。ちょうどこの時期は、音楽フェスが盛んに開催されていて、バンドやミュージシャンの打ち上げ写真が続々とポストされている。
「今年も忙しくてやっぱ行けなかったな」と、ため息をつきながらスマホの画面を親指でサクサクとスクロールしていくと、あるトラックメイカーのアカウントにポストされた写真で指がとまった。
「この一緒にいる人、もしかしてジュゲムくん?」リュンヌは集合写真の中にジュゲムとよく似た男の姿を見つけて、居ても立っても居られなくなった。彼女は勇気を出してメッセージを送ってはみたものの、数週間たっても既読がつくことはなかった。
ジュゲムくんにはもう会えないのかもしれない。
リュンヌが諦めかけていたとき、彼女のインスタにビデオチャットの不在着信が届いた。それはフォロー外の jyuge_mix03=03:)というアカウントからで、真っ黒な背景に白の象形文字が書かれたアイコンにどことなく見覚えがあった。リュンヌはすぐさまタップしてみる。
「あっ、リュンヌ?」
そこに映ったのはスキンヘッド、黒縁メガネに無精ひげの青年で、彼の大きな瞳がじっとこちらを見つめていた。
「もしかして、ジュゲムくん?」
リュンヌは嬉しさのあまり笑い出す。
「うん。俺、変わったでしょ? マジで。ダサくてごめん」
ジュゲムは坊主頭を軽く撫でると照れくさそうに微笑んだ。
「Yeee, 君はクール」
「俺な、寂しがり屋やから、案外容易く見つけられるで」
「うん。きっと。そうだね」
「リュンヌ、また会えるかな?」
「sure. I'll see u soon」
「yeah, see ya!」
「またね!」
「うん。またね!」
2. 始まり
アマネから「お待たせてしていた脚本ですが、ようやく納品が可能になりそうです。先程無事に推敲が完了しましたので、まずはご一報入れさせていただきました。一度目を通してもらえないでしょうか」とのメッセージが入った。
リュンヌは移動中の電車内でテキストデータを開き脚本に目を通す。アマネの作品は思っていた以上に素晴らしく、彼女は人目もはばからず「ヤバい」と感動を口にした。
自宅に戻るとアマネに Zoom のミーティング IDとPWを送り、約束の時間を待たずにミーティングルームへ入室する。それから5分ほど遅れて、アマネは入室するとリュンヌを見てニッコリと笑った。
「キタゾノ先生、急にお呼び立てして申しわけありません」
「いいえ、遅くなりました。いつもお世話になっております」
「こちらこそ、いつもお世話になっております」
「さきほどは素晴らしい作品をお送りいただいてありがとうございます。早速拝読いたしました。読み進めていくうちに、自分でもどんどん物語に引き込まれていくのがわかりました。わたしにも物語の情景がイメージ出来て、キタゾノ先生はやはり天才なんだなっと感動しています」
「とんでもない。リュンヌさん始めチームの皆様にお力添えいただいたおかげです。こちらこそ大変感謝しております」
ふたりは一連の社交辞令を済ませると、録画モードをオフにして、プライベートの顔に戻る。
「リュンヌさん、元気だった?」
「はい。もちろん元気です!」
「そう、よかった!」
アマネは窓から差し込む陽光を浴びて凛とした美しさを纏っている。リュンヌにはまるで天使が舞い降りたように見えた。
「今日のアマネさんは一段と美しいです」
「そう? いつも通りだけど。でもありがとう!」
リュンヌは、アマネの柔らかい笑顔が、薄茶色の瞳と柔らかくカールされた髪が、ほんのり赤く染まった頬に広がるソバカスまでもが、心底愛おしかった。
「アマネさんにずっと隠していたことがあります。わたしはアマネさんのことが大好きです。初めてお会いした時からずっと憧れの女性です」
「ありがとう。私もリュンヌさんのこと大好きです」
「いえ、そうではなくて。わたしが言っているのは…。アマネさんに恋しているということです。もしご迷惑でなければ、わたしのことを愛してもらえませんか?」
「うん? リュンヌさん、いきなりどうしたの?」
アマネは咄嗟に身をひくとかなり驚いた様子だった。
「アマネさん、驚かせてごめんなさい。でもわたしは真剣なんです。わたしなりによく考えた結果なんです」
リュンヌは、今どうして自分がこんな申し出をしているのか、自分でも自分の言動がよくわからくなっていた。
アマネは口元を片方の手のひらで覆いながら「どうしたらいいかな?」と小声で呟き、しばらく俯いたまま考え込んだ。2~3分経った頃、アマネはしっかりと画面越しにリュンヌを見つめて、落ち着いた口調で話し始めた。
「リュンヌさんの気持ち、とっても嬉しいのだけれど。私には娘とニノミヤがいるの」
「はい。わかっています」
「これから私が話すことをどうか誤解しないで聞いてね」
「はい」
アマネは頷くと話を続けた。
「あなたの愛は、来る誰かのために、取っておいたほうがいいと思うの」
「はい。わたし…アマネさんを困らせてしまってますよね? 本当にごめんなさい」
「ううん、謝る必要なんてないのよ。さっきも言ったけれどリュンヌさんの気持ちすごく嬉しい。ありがとう。でも、私には愛情を注がなきゃいけない娘もいるし、ニノミヤのことも放ってはおけない」
「はい。わたしも最初から無理だとわかっていました。なのに言わずにはいられなかった。アマネさん、真摯に答えてくださって本当にありがとうございます」
「こちらこそ。あなたに良いお返事が出来ずにごめんなさい」
「いいえ、わたしは平気です」
「あなたが素直に打ち明けてくれたことに心から感謝します。リュンヌさん、実際愛は無限にあるようで儚いものだと思うから。これから出会う誰かと一緒に大切に育ててね」
ふたりはもうこれきり会うことはできないだろうと感じていた。しばらく沈黙が続いたあと、アマネは自分から先に別れのセリフを言うことにした。
「リュンヌさん、今まで本当にありがとう。あなたのプロジェクトの成功を心から願っています」
「アマネさん、本当にありがとうございました。素晴らしい作品になるように精一杯頑張ります」
3. ワルツ
リュンヌはアマネから受け取ったいくつかの言葉を思い出していた。ほんの数か月の出会いだったけれど、彼女から得たものと失ったものの比重を合わせると、すべてがイコールになっているような気がした。リュンヌはアマネとのある日のやり取りを思い出す。
そういえばジュゲムくんとケンカした夜。たぶんわたしは浮かない顔をしたままアマネさんとリモートで話したんだっけ。
「私は19の頃から中身は何も変わってない気がするの。あなたを見ているとあの頃の感性を忘れちゃいけないって強く思うよ」
「わたしも出来れば、今を、この時の自分を忘れたくありません」
「そうね。みんな学生を卒業したら勝手に大人の社会に押し出されちゃうけれど。若い頃はもう少し抗って生きてもいいんじゃないかな?」
「はい。このままでいたい。でも、わたしは大人になれるのか心配です」
「焦らなくても大丈夫。私もそうだったけれど、社会が、個人が、文化が、ひょっとしたら芸術も。あなた方をちゃんと大人にしてくれるから」
「本当ですか?」
「本当。私の言うことを信じて。リュンヌさんは心の優しいままでいてね。自分を大切にして。自分をもっと愛してあげてね」
アマネさんがひとりの人間としてわたしと向き合ってくれたこと。本当に嬉しかった。若くて世間知らずなわたしに歩み寄ってくれた人。仕事仲間として尊重してくれた人。アマネさん、ありがとう。
リュンヌはアマネからもらった言葉をもう一度かみしめる。
「私にとって無害な人ばかりじゃなかったから。この業界にいると女であることは決してプラスに働かない」
「若い頃は生意気だって思われることも多かった。誰に対しても一貫して言えることは、あなたが何を持っているかより、あなた自身はどうなのかを知りたいってこと」
「私は私の娘には何も願うことはないの。親の期待を背負わせちゃいけないって思うから。どうかあなたらしく自由に生きてねってずっと言い続けるつもり」
「どんな親もね。きっと子どもが健康でいてくれたらそれだけで十分幸せなんだと思う。リュンヌさんもどうか忘れないで」
「月並みだけど、きっと愛があれば乗り越えられることも多いと思うんだ。私たちにとって作品は子どもみたいなものだから」
いつだって仕事や人間関係で悩んでいるわたしを見透かしたように自分事として話してくれたこと。きっと、ずっと、忘れない。大好きなアマネさん。わたしはあなたがいつまでも笑顔でいられるように心を込めて祈ります。
*
数日後、リュンヌのオフィスにアマネから小包が届いた。「このプロジェクトの成功を祈っています」とメッセージが添えられていて、箱の中身はポータブル・レコード・プレイヤーと1枚のジャズの名盤だった。
リュンヌは帰宅すると着替えることも忘れて、すぐにアマネからもらった12インチレコードに慎重に針を落とした。初めて聴くジャズだった。
ピアノだけで喜怒哀楽が伝わってくる。まるで音そのものが人生みたい。たった6分弱の世界に、人生の機微のすべてが凝縮されているよう。まるで魔法にかかったみたい。なんて軽快で豊かな音色なんだろう。躍動感があるって言うのかな。ジャズのことはよくわからない。でも音楽を聴いてこんなに感動したのは初めてかもしれない。Bill Evans Trio. 彼は何を伝えたかったんだろう。もしも窮屈な時代に産まれた音楽だとしたら。今のわたしには、もっと自由で軽やかに生きていいんだよって、強く背中を押してくれているように思える。
ひと通り聴き終えると改めてジャケットを眺めてみる。パープルの背景に少女の横顔らしきシルエットがおぼろげに浮かんでいた。「なんて幻想的で美しいんだろう」とリュンヌは思う。
よく見ると半透明のインナースリーヴには小さな付箋が貼られていて、アマネからの ラスト・メッセージとも取れる言葉が綴られていた。リュンヌは自然と涙が溢れた。心配そうに近づいてきた愛犬を抱きしめると声をあげて泣いた。
初めまして。見て読んで下さって、本当にありがとうございます。これからも楽しみにしていて下さい♡