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【短編小説】5・7・5・7・7 (Chapter2)



Chapter2. リュンヌ + アマネ


1. 脚本家

リュンヌは今春ローンチされたばかりのキュレーションサイトへの配属が決まり、企画部のスタッフとして、とても充実した日々を過ごしている。

ただ、ひとつ心配事があるとしたら…。

最近社内で人事異動があり、リュンヌの部署にも他社からヘッドハンティングされた敏腕マネージャーが配属された。彼は今秋から始まるWebドラマの担当責任者で、今まで社内コンペは企画部と制作部の特権とされてきた暗黙の了解を、今後は全社員候補対象とすると一斉メールで告知して一蹴したのだ。

正式な内示が社内のプラットフォームで発表されてからは、社員の間で誰がどんなアイデアを持っているのか、企画書を誰が出すのか、誰と誰がチームを組むのかなどの腹の探り合いが続いていた。


今夜もいつものようにベッドに入って目を閉じる。静かな夜だ。心が波打つのがわかる。自分の鼓動が聞こえる。リュンヌは人一倍他人の気持ちに敏感で環境に影響を受けやすい。最近の社内のざわめきを思うと感情が昂ってなかなか寝付けなかった。リュンヌはグルグルと考える。

あまり争いごとには巻き込まれたくないけれど挑戦してみたい。こんなわたしにもチャンスが巡ってきたと思っていいんだよね。

リュンヌは10代最後の年をただ終わらせてしまうのは勿体無いような気がしていた。

たった一度の人生だから、自分にとって価値のあることをしたい。自信なんて1ミリもないけれど。わたしの中にアイデアは眠ってる。今の自分の全力を出して結果を残したい。他の誰よりも優れた作品になるって思わなきゃ。負けたくない。でもわたしみたいな新人が出しゃばっていいの? 同期や部署のみんなから身勝手な奴だと思われたりしないかな。

あれこれ考えすぎて不安が頭をよぎる。やっぱり眠りたくても眠れない。明日も仕事だから眠らなきゃと思えば思うほど気持ちが焦ってしまうのだ。ベッドの上で寝返りを何度も繰り返す。眠らなきゃっと思うと同時に、アイデアがふつふつ沸いてくる。リュンヌは、いつもは臆病で慎重なくせに、大胆不敵なことを考える自分の性格が心底嫌だと思った。


コンペの締切当日。始発電車に乗り会社に向かうリュンヌの姿があった。人もまばらな社内にカタカタとパソコンのキーボードを弾く音が聞こえる。徹夜して何度も推敲を重ねて出来上がった企画書を提出するときがついに来た。リュンヌは躊躇いながらもエンターキーを押す。緊張の瞬間だ。

1週間後。企画制作部のマネージャーからリュンヌのいる企画部に連絡が入り、リュンヌの企画案が採用されたことが正式に決まった。今リュンヌは脚本家のアマネにプロットを依頼する段階で、直属のボスのツテを頼りに彼女へアプローチをしている最中だった。


キタゾノアマネ。脚本家。1980年2月5日生まれ。シングルマザー。キタゾノのスピリチュアルを題材としたオリジナルストーリーには定評があり、リアルとファンタジーが綯い交ぜになった独特の世界観には、一定のファンがついている。


リュンヌは毎日のように ”キタゾノアマネ” のことを考えていた。彼女に関する記事をリサーチしてなるべく目を通し、過去のキタゾノ作品を何度も繰り返し熱心に観た。彼女はふと思う。

わたしは誰かのことを四六時中考えたり、他者を深く知りたいと思ったり、愛し君に身を焦がすような経験はしてこなかったなあ。特に推しと呼べる人もいないし。ただ今わたしが向き合っているのは、あくまで仕事相手で恋愛対象ではないけれど。誰かに恋するってこんな気持ちなんだろうか?

今では彼女に関するプライベートも含めた情報も、キタゾノ作品のドラマと映画のタイトルやあらすじも、すべてをスラスラと言えるほど夢中になっていた。

わたしの企画が通った初めてのプロジェクト。どうしても成功させたい。そのためにはキタゾノアマネの脚本が必要。神様お願い、望みを叶えて。



2. 会議室

初日の顔合わせも兼ねた企画会議の当日。約束の時間になってもキタゾノアマネは会議室に現れなかった。企画部に「家庭の事情で20〜30分ほど遅れる」と連絡はあったようだが、リュンヌたちはすでに1時間近く待たされていた。マネージャーが業を煮やして「待ち人来ずだな。みんな少し休憩しよう」と口にすると、無言で席を立つ者、他の業務を始める者、居眠りする者、何度も大きなため息を漏らす者、怪訝そうな表情でリュンヌを見る者、スマホを見始める者が出てきて、収拾がつかない状態になった。リュンヌは無言のプレッシャーを感じて、何度がアマネの事務所に連絡を入れるも留守番電話が流れるのみで、直接話すことは出来なかった。

キタゾノアマネが現れたのは会議の予定時間から2時間経った頃だった。

「ごめんなさい。だいぶん遅れてしまいました」

明るく柔らかな声が社内に響く。驚いたことに彼女の腕の中には小さな少女が抱かれていた。

リュンヌがアマネに事情を訊くと、いつもお願いしているナニーが急病で、他の預かり先を必死で探したがなかなか見つからなかったのだと話した。彼女曰く、娘は少々気難しいところがあり、事務所の他の人間にはやはり任せられないと判断した為やむを得ず会議に連れてきた、と言う。

リュンヌはまばらになったメンバーを慌てて招集して会議を始めた。アマネの膝の上には小さな来客が座っていて、大人たちの真剣な話を不思議そうに聞いている。案の定5分もジッと座ってはいられず、机の上を両手で叩いたり「ママ、ママ」と急に叫んだりするので、とても集中できる状況ではなかった。

アマネを見送った後、リュンヌの耳には、スタッフ全員からのどよめきのような、落胆するような、何ともいえない声が聞こえてくるような気がした。みんなの視線が痛くて、いたたまれない気持ちになる、彼女は社内での立場をすっかり失なっていた。少なくともリュンヌにはそう思えた。心の中でカラカラと乾いた音が鳴っている。自分の中でアマネへの情熱や期待が高まっていた分失望も大きかった。

こんなネガティブなマインドじゃいけないってわかってる。でも正直言って今日のことはあり得ない。人選ミスだったんだろうか。果たしてこの企画は成功するのかな。それよりわたしはこの会社で過不足なくやっていけるの?

リュンヌの頭の中をいくつもの不安がよぎった。


翌朝リュンヌはアマネのオフィスに「昨日のお詫びもしたいから」と呼び出された。

リュンヌがスタッフに案内されて応接室に入ると、アマネは満面の笑みで出迎えてくれた。

「昨日はごめんなさい。すべてがこちらの不手際です。非常識なことは重々承知しているの」

「いえ、仕方のないことですからどうか気にされないでください」

「ありがとう。今さら言い訳がましくて申し訳ありません。私としては今回の企画にとても関心があるんです」

「はい。ありがとうございます。わたし個人としましても、ぜひキタゾノ先生に書いて頂きたいと思っております。また弊社としましても、ご依頼当初から何ら意思は変わっておりません」

「ああ良かったです。ぜひ引き受けさせてください。とんでもない奴に依頼したなって思われないように必ず良い作品にします。あなたに後悔はさせません」

「とても嬉しいお言葉です。ありがとうございます!」

「一緒にがんばりましょう!」

「はい。わたしには至らない部分もたくさんあると思います。初めてのことなので大目に見て欲しいとは言いません。だからキタゾノ先生も遠慮なく何なりと仰ってくださいね」

「ありがとう。ではいきなりで申し訳ないんだけれど。実はあなたにひとつ確認しておきたいことがあるの。とんでもない奴って言えばニノミヤのことだけど。あなたは彼のことを知っていますよね? もしかして何かありましたか?」

「あの、別に。特に。何もありません」

「実は先日ニノミヤの部屋から出てくるあなたを偶然見かけたの。私たちは同じマンションの別階に住んでいるんです」

「あの、すみません。何も知らなくて」

「私も公認していることだし、ニノミヤのことは理解しているつもりだけれど。あなたと仕事をご一緒するにあたって聞いておきたかったんです」

「キタゾノ先生、お気遣いさせてしまってすみません」

「謝らないで。あなたは大丈夫なの?」

「はい。一応大丈夫です」

「でも、無理はしないでね」

「はい」

「いつでもあなたの相談に乗ります。どうか遠慮せずに何でも話してください」

「ありがとうございます」


3. セレモニー

初夏の新緑が眩しい午後だった。リュンヌはアマネから「打ち合わせ場所を変更したい」との連絡を受け、アマネの事務所からさほど遠くない場所にある公園内のコーヒーショップにいた。リュンヌはレジでカフェオレを注文して席に着くと、ほどなくしてアマネが娘と現れた。

「アマネさん、お疲れさまです!」

「わざわざ来ていただいてごめんなさい。実はね、今日もナニーがみつからなくて」

「そうでしたか。わたしは大丈夫です。今日は晴天で微風も気持ちいいですし。ずっと社内にいると何だか息が詰まってしまうんです。なので気分転換になって、とてもありがたいです」

「ありがとう。そう言っていただけると、こちらとしても助かります」


1時間程の打ち合わせが終わり、リュンヌが帰社するための準備を始めると「もし急いでなければ公園の中を少し歩かない?」とアマネからの提案があった。リュンヌもまだ会社には戻りたくない気分だったので「もちろん、OKです!」と快諾すると、彼女の娘を真ん中にして、3人仲良く手をつないで歩いた。

リュンヌはアマネの顔を横目でチラチラ見ながら、どこか気恥ずかしい気持ちを紛らわすように話しかける。


「今日はお忙しいところありがとうございます」

「いいえ、いつも無理を聞いてもらって。お礼を言うのは私の方です。今日リュンヌさんにご相談して本当に良かったー。あなたのアドバイスのおかげで良い本が書けそうです」

「そんな…。キタゾノ先生にアドバイスだなんて。おこがましいです」

「そうそう、リュンヌさん知ってる? この公園の敷地面積ってね、東京ドーム10個分あるみたいなの」

「へぇー、そうなんですね。東京のど真ん中にあるのに意外と広いんですね。それに思ったより緑も多いですよね」

「そうね、この木々の大半はソメイヨシノなの。都内でも有数の桜の名所みたいよ。春には一面ピンク色に染まって、遠目からも、それはそれは見事なんです。それにしても今日は風が気持ちいいですね」


木漏れ日の中、リュンヌとアマネは仕事の話とたわいもない世間話を交えながらゆっくり歩いた。アマネの娘に歩幅を合わせるとちょうど良いスピードになる。リュンヌは今まで感じたことのない心地良さと安心感に包まれて、この人たちといるこの時間が大好きだと思った。


彼女たちが公園の中央にある噴水広場に差し掛かると、聴き馴染みのある音楽が大音量で聴こえてきた。誰からともなく一瞬立ち止まると、アマネだけが音のする方へ吸い寄せられるようにスタスタと歩き出した。リュンヌはアマネの娘の手を離さないように、アマネを追いかける。

目の前のステージには、遠目から見てもわかるくらいの人だかりができていて、アルコールを片手に踊り歌う観客で大盛況だった。

その中心にいたのは、若い男たちのアマチュアバンドで、ギター、ベース、ドラムのトリオだった。彼らの即興の演奏に合わせて、観客が飛び入りで参加するカラオケ大会が開催されていて、みんな気さくに談笑しながら楽しんでいる。

リュンヌたちは、しばらくその場で見ていたが、ある楽曲のイントロが流れるとアマネは大きく手を振り「私! ME!」と歌えることをアピールして芝生のステージに駆け上がった。

リュンヌが呆気に取られていると、ドラマーが「Ceremony!!!」と叫んでオーディエンスから大歓声が上がる。アマネは生き生きとした表情で縦横無尽に跳ね回り、ときどき音程を外しながらも大声で歌っている。その姿はすべてを振り切っているように見えて、とても清々しかった。


袖触り合うも他生の縁と言う諺があるように、今わたしたちがここにいるのは単なる偶然ではないのかもしれない。アマネさんの影響かな。最近そんなことをよく考えるようになった。


アマネは、観客の拍手に見送られながら芝生のステージから戻ると、リュンヌの手を両手で握りしめて「ありがとう。私ね、人生で1度は大観衆の前で歌ってみたかったの」と言って無邪気に笑った。その様子を少し不安気な表情で見つめる娘に気がつくと、すぐさま抱きしめて、いつもの優しい母親の顔になる。

「わたしはこの子には何も願うことはないの。もし願うとしたらあなたらしく自由に生きてねってことだけ」

「素敵な考えですね」

「そういえば日本で仕事の依頼を受けると"よろしくお願いします"ってみんな頭を下げてくれるでしょ?」 

「はい。そうですね。社交辞令と言いますか。わたしは社会人としての礼儀だと思っています」

「私は仕事をする上でみんな平等だと思っているから、少しだけ違和感を持ってしまうの。ちょっと考えすぎかしら」

「わたしは今までそんな風に考えたこともありませんでした」

「私はひねくれものでナーバスな人間だから、正直に言うと"ああ、私はまた誰かの何かの期待を背負っちゃったな"って時々辛くなったりもします」

「もし今回キタゾノ先生に、わたしが妙なプレッシャーを与えているとしたら申し訳ありません。でも、もしも誰からも必要とされなくなったらって考えると怖くなりませんか?」

「うーん、どうかな。来たるべき時には筆を折ればいい。どこか好きな場所で、あまりお金のかからない暮らしがしたいかな。願わくば自給自足生活が理想なんです。私の憧れの仏女優もプライベートでは野良仕事を趣味にしていて。いつも写真集を見て素敵だなって思っているの。まずは手始めに郊外で野菜を育ててみようかしら」

アマネは屈託なく笑うと、リュンヌの肩をポンっと叩いて「お互い頑張りましょうね」と頭の横でピースサインを左右に何度が振った。


アマネと別れた後、リュンヌは自分の母親のことを考える。最寄り駅までの道をゆっくりと歩きながら。大好きで大嫌いだった母のことを。ひとつひとつ想い出そうとする。

わたしをたくさん愛してくれた不器用な人。あなたのことを想うと胸がいっぱいになるよ。ごめんね。どうして愛しているって素直に言えなかったんだろう。いつかきっと。またどこかで会おうね。今日はもう少し歩きたいな。このままオフィスへ戻るにはあまりにも夕焼けが綺麗すぎるから。


茜色 風の手のひら
撫でる頬
小鳥が歌う あなたは笑う


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#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

初めまして。見て読んで下さって、本当にありがとうございます。これからも楽しみにしていて下さい♡