差別と違いは発言する人で判断される。真意とは。
こんにちは。
「農作業してる人達とは違い、皆さんは知性の高い人達だ。」
入社式の訓示での発言が物議を醸し、辞職に追い込まれた川勝知事。この発言を聞いた時、皆さんはカチンときたのでしょうか。
例えば、私は嫌がらせを受けて一部上場企業のバックオフィスの職を手放しました。転職活動までも妨害にあい、日雇いのバイトでなんとかやっていました。いろいろな場所へ行くので、中にはSNSで私のことを知っている人達にも出くわしました。
「結局なんにもならんかって、こんな所にきたんやろなぁ」
そんなヒソヒソ話を背に、言われた仕事をこなしていました。
「終わりました。次は何をしましょう。」
聞いていないフリをしながら、声を掛けます。
「どないしよ?何してもらう?」
「…。あぁ。トイレ掃除でもしてもらえば?」
意地悪く放たれた言葉でしたが、やりましたよ。全フロアのトイレ掃除。排水溝が詰まっていたらしく、水が流れなかったので、最後はその人に任せて帰りました。
さて、こんな日々に耐えながら、渾身の怒りを込めて言い放ちました。
「こんな底辺の仕事をさせたかったのか!?」
この場合、物議を醸すのでしょうか。私は大学を中退したので、学歴もキャリアもありませんでした。派遣で入り、努力して正社員になりました。そこから転落し、体力仕事しかなくなりました。バイクで走っていても、知的好奇心を刺激されることもなく、ただ数字を追いかけています。
「こんな底辺の仕事をさせたかったのか」
親はみんな、こういう仕事しかなくなることを知っているから、大学を出ろと子ども達に言い聞かせます。
実際、体力的には雲泥の差です。
逆に、知的作業も雲泥の差です。
これは職業の「差」です。
でも、川勝知事が言うと「差別」になり、
私が言うと「差別」にはなりません。
「差別」は被害者意識から生まれるものです。妬みと同じで、自分を虐げられたように感じるから言葉の暴力として「差別」を掲げて抗議をしているわけです。
この点を踏まえて、気を付けなければならないのは、妬みの対象となるであろう立場が上の人達です。彼等が一線を引いて、区別をした瞬間に「差別」が生まれます。
私はカチンときませんでした。
「皆さんは知性の高い人達だ。」
「他の人達から見れば、特権階級であることを忘れてはいけない。プロらしく、最大限の努力を。」
私にはそう聞こえました。
川勝知事が「切り取りだ!」と訴えたのはなぜでしょう。以下にリンクを貼っておきます。
想像力の欠如からくる炎上に、果たして誰か謝罪をすることはあるのでしょうか。
残念ながら、未だそんなシーンを観たことはありません。
ただ怒りをぶち撒けている芸能人の言葉に流されず、自分が感じた違和感が何かを突き止めることが必要だと思います。
では、また。
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