見出し画像

ひとりで生きていくと宣言したアラサーへ

好きなインスタグラマーが失恋のち「おひとりさま」宣言をした。まだ30前半の方だ。
コメントには称賛や肯定の言葉が並んでいたが、私は複雑な気持ちになった。

恋愛している時の彼女を見ていたからかもしれない。あるときは多幸感にあふれ、あるときはもがいて傷つき情緒不安定で、それがドラマチックで人間らしかった。
フォロワーが増えていくにつれ、彼女はより真面目にインスタグラムの更新に励み、本も執筆した。

私にはわかる、この人の心が外に向いていればまた恋をして、家庭をもつ幸せが待っていることを。

でも自分生活と仕事に専念する人生を「宣言」してしまったのだ。
共感してくれるフォロワーさんたちを、私は裏切りませんよという約束みたいに思えた。

彼女は現在、ひとり用のマンションの購入を検討しているみたいだ。
フォロワーの共感が彼女を後押しすることは目に見えている。が、もしインスタがなかったら、フォロワーがいなかったら、彼女は同じ選択をしていたんだろうか。
人生の選択が、人々の称賛やブーイングの影響によるもので、いいのだろうか。

恋愛して結婚して家庭を持つという幸せを、まるで古い慣習のように扱い、そうでない生き方を選択することに、「見栄」はないだろうか。

以上、知り合いでもないインスタグラマーの人生を杞憂しつつ、いろんな形の幸せを選択出来る時代になったことを実感する日々である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?