ため息を 言葉にしてみよう 〜 階 段 〜

舞台『パラサイト』(原作:映画『Parasite(パラサイト 半地下の家族)』)を観ました。伊藤沙莉ちゃんの放ったセリフ「ずるい」で子どもの頃を思い出して、脇腹をつねられたような気がしたんです。幸せって一体なんなんでしょう。

その沙莉ちゃんはめちゃくちゃかわいいし、兄妹の身長差に萌えた人、いっぱいいるんじゃないかな。
両手のゲンコツで頭を押さえ力を込める「こめかみぐりぐり」(正式名称を知りませんが)を父と息子、大人2人がニコニコ笑いながらしているシーンがあります。親が子を叱る時の罰になるのでしょうが、あれは愛情表現で、宮沢氷魚くんの笑顔は古田新太パパ譲りだってわかる。
氷魚くんの顔の小ささと手足の長さにびっくり。でも隣に同じように顔が小さくて手足の長い江口のりこママがいる。だから「ありえない話」でもないのかも。

舞台では契機として震災が描かれます。設定変更に異論反論多々あることでしょう。私は映画を観ておらず比較する対象がなかったからかあっさりと受け入れ、どこか遠くの話でなく、むしろ身近に感じました。ニュース映像と対照的にいつもと変わらず淡々と過ぎる自分の時間とのギャップ、あのざわざわした感覚も蘇りました。


登場する3組の家族は、それぞれままならない事情を抱えて暮らしています。堤防の下にあるトタン屋根の集落に住む金田家。高台の豪邸に住む永井家とその地下室に潜む人たち。

舞台の3つのセットに共通する「階段」は、移動手段であり空間を立体的にするとともに、格差社会の階層を象徴するものなんでしょうね。 

金田家の頭上では痴話喧嘩が日常茶飯事で、しまいには刃傷沙汰が起きます。
「ここから抜け出したい」 
願いを阻むのは下手から上手へと下っていく階段と通路。光を求め天を仰いでも八方塞がりだ。

豪邸から見えるもの、全ては永井家の所有物だと言わんばかりの大きな窓。そこから真っ直ぐにのびる階段はもっともっと上へと気持ちを昂らせます。高台ゆえうっかり転がり落ちたら致命的で、地上からはもう這い上がれないかもしれない。

豪邸の一部でありながら誰も知らない地下室。階段を降りた先にある部屋は金田家より劣悪な環境ながら被災せず、家主が変わった後も逃亡者を匿い続けます。
そんなことできるワケないじゃーん、と思った。関わりたくなければ見なかった、知らなかったことにすればいい、ということ?ここに光なんてない。

死だけが誰にでも平等にあるという現実に、わかっちゃいますがゲンナリ。

何が一番つらかったかというと、氷魚くんの笑顔です。可愛い彼女とクリスマスデートをしたよ的に、事件の顛末とこれからの計画をどうしてそんな顔で報告してくれるのよぉ。

想像以上にメンタルが削がれていたらしくて、終演後、エスカレーター混雑緩和のためと誘導された非常階段が案外急で、足下を気にしつつ、踊り場で向きを変えるたびにため息が出ました。私、このまま地下に行くのかな、なんて。たどり着いた出口は地上。でも入場したところと場所が違い、一瞬、頭が真っ白になりました。「はぁ?ここはどこ?」
舞台の余韻に浸るなら歌舞伎町で正解だと思う。多種多様な飲食店からの排気とひといきれ、湿気を増した、そんな街の匂いが濃いから。
路上喫煙禁止の看板に意味があるのかわからないほど、タバコの吸い殻が落ちてますね。あの匂いには、タバコから立ち昇る青白い煙と吐き出された白い煙も混じってるのか……。

匂いといえば。
いわゆる関西マダムスタイルの真木よう子さんからはいい匂いがしそうでした。お高い香水をバシャバシャ浴びすぎて、だから鼻がバカになっていて、金田ファミリーをつないでいく胡散臭さに気づかなかったんじゃないのかな?

雨に濡れたキムラ緑子さんからは地下室の冷たさが伝わってきました。人間の生々しい匂いは血に由来するんだ、きっと。
   

THEATER MILANO-Za から市川市文化会館へ。
総武線車内でぼんやり景色を見ながら、カラカラに乾いていた喉に冷たい水を流し込む。それでも最後のシーンはうまく咀嚼できずに飲み込めないまま。

エンタメから世の非情を突きつけられ、そしてエンタメに救われた日。

観劇&ライブのマチソワ日程にしてチケットを購入したちょっと前の自分を「よくやった」と褒めました。あのままでは声の出し方も忘れてしまいそうだったもの。

及川光博さんのワンマンショーツアー2023「踊って!シャングリラ」、ツアーコンセプト&テーマカラーはオリエンタル&黄色です。お題から程遠いとはいえ少々浮かれた格好をしている自覚はあり、だから可笑しくて。これでは舞台の見どころを「オシャレして観に来て、イヤ〜な気持ちになってほしい(笑)」とコメントした古田新太さんのまんまと思う壺ではないか。

よし、映画を観よう。つらくてたまらなかったと散々書いておいてアレなんですけどね。

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この後に映画を観ました。公開していた記事に映画の感想を追加し、ちょびっと体裁を整えつつ仕切り直しです。


映画『Parasite(パラサイト 半地下の家族)』を観ました。

つらい。
このつらさ、舞台版以上。しばらく放心。

舞台では家族ごとでの笑顔のカーテンコールがあったから立ち上がれた気がする。山内圭哉さん演じる父が、愛想良く振る舞うちゃっかりとした娘(恒松祐里さん)からほっぺにチューされます。打算的でも永井家では父と娘が横並びで会話しますが、パク家の希薄な親子関係においてはありえない光景でしょう。
いまわの際に息子(みのすけさん)への思いを語るキムラ緑子さんと、足蹴にされたけどいい人だとチュンスクの名前を何度か言いながら、後に息絶えるムングァンと、こちらも対照的ですね(あれ?夫へは何かないの?)。
一見、強気なのに実は照れ隠しで、ぶっきらぼうな物言いでも語尾に温かさを感じる関西弁(超個人的な偏見です)も一役買っているように思います。

ちょっと辛辣よね、ってシーンに出くわせば眉をひそめ、韓国で「半地下で生活する」ことの過酷さに目を見開き(「半地下」は建物の構造上のことだけだと思ってたよ)、「山水景石(水石)」は何モノなのか、結局さっぱりわからないし。まぁとにかく色々凝視しすぎて眉間とおでこのシワがさらに深くなっていくわけです。
ポン・ジュノ監督が役名に意味を込めていたということを後で知りました。他にも言葉と文化の違いで意味や重要性がわからずにスルーしちゃってる部分もたくさんあるんだろうなぁ。悔しいなぁ。

そんな中で、そうか!とひらめき膝を連打したシーンがあります。ギウが(勢いを見せ)大学生を演じ、ダソンについて「pretend」という単語を使い英文を作るよう課題をダヘに出すところです。
舞台では「私は1匹のヒョウ……」と耳元で囁かれるシーンがありましたが、あれも「pretend」だったのか!と(今頃気づいたの?って言わないで)。
服装や言葉の力を借り、見せたい自分、なりたいイメージへと変身するための洗脳で何かの儀式みたいだった。それとも匂いから何から全て、本当の自分を消去してしまうための自己暗示かな。お召し物のアニマル柄に引っ張られて(よくお似合いでした)核心を見失ってたわ。
「pretend」を使えば、登場人物の行動を端的に言うことができます。
ミニョクを演じるギウ、学歴や経歴詐称、インディアンごっこ遊びにタヌキ寝入りなどなど(意味はこちら↓を参考に。はっ!吉兆ネタもそうだったの?)。


映画で一番つらかったのは、気力と体力も失せ、表情までも抜け落ちてしまったようなギジョンの姿を見た時です。
浸水で水没した家財などから、兄は水石(ファンタジー)、父は母の銀メダル(過去と名誉)を持ち出します。非常時の選択に人となりが伺えますが、母がもしそこにいたら、何でもいいから食べられるもの(現実と生命力)でしょう。
その頃ギジョンはトイレにいて、下から突き上げる汚水に蓋をして自らが重しとなり、天井にあったため濡れなかったお金とタバコを手にします。ふぅっとため息をついてタバコを吸う姿は沙莉ちゃんが時折見せた物憂げな表情とも重なりました。

前半には太陽の光を浴びキラキラ笑顔がこぼれるシーンもあります。かわいい。桃を手に悪事を企んでいるんだけどね。ギウやグンセは日差しが眩しくて立ち止まるのに。
ギジョンにお金と幸せ、どっちが大事?と尋ねたら「両方」って言うかな?その勢いで世に蔓延る古臭い慣習や思考をメタメタに破壊してくれないかなぁ。うーん、そんな観る側がスカッとするだけの展開は、壁を乗り越え自らの意思で階段を駆け上がっていく「(ただの)シンデレラ(の)ストーリー」になりかねず、それはそれは陳腐なエンディングとなりそうな予感も。前言撤回。
ガラスの天井ならぬトイレ天井の点検口に隠していた自我。やむなく手元に下ろした、そんなギジョンのやるせなさに勝手に同調してせつなくなりました。

ガラスの天井(ガラスのてんじょう、英語: glass ceiling)とは、資質・実績があっても女性やマイノリティを一定の職位以上には昇進させようとしない組織内の障壁を指す 。女性やマイノリティが実績を積んで昇進の階段をのぼってゆくと、ある段階で昇進が停まってしまい先へ進めなくなる現象。鉄でなくて ガラスであるのは「目では見えない障壁に阻まれている」ことからの表現である。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

さて、映画を観た後に向かったのは近くの図書館。頭の中を整理し、少しでもこのモヤモヤを言語化できるといいな、と思って本を借りてきました。

ポン・ジュノ 
『パラサイト半地下の家族』で頂点を極めた映画の怪物 
(KAWADEムック 文藝別冊 河出書房新社  2020.8)
「パラサイト 半地下の家族」で、韓国のみならず世界の映画史に新しい歴史を刻んだポン・ジュノを特集。ポン・ジュノ×イ・ドンジンの対談、蒼井優のインタビュー、ポン・ジュノ監督長篇全作品解説などを収録する。

2冊目は同じ記事も掲載されているため393ページと厚く、ゴロ寝して読むには重たかったです。

ポン・ジュノ映画術
『ほえる犬は嚙まない』から『パラサイト半地下の家族』まで 
(イ ドンジン/著  河出書房新社  2021.1)
韓国屈指の映画評論家が、ポン・ジュノ監督とその作品について徹底討論。「パラサイト半地下の家族」189シーンの全場面解説のほか、インタビュー、「母なる証明」「殺人の追憶」はじめ全7作品の評論などを収録する。

著者による「全場面解説」はとても参考になりました。
「……ったく、困った人だ。説明するよ。でもこれはあくまで個人の考察。あとは自由に解釈して」
と言われた気がして、映画を隅々まで観たくなったんです。つらいって言ってるくせにどうかしてますよ。

誰にも感情移入しない。2回目は映像作品として俯瞰で観ることに徹しました。
SNSでもネタバレや考察を読んではいましたが、隠と陽など対比にはしっかりと線が描かれていて驚きました。度(ライン)を越すなという警告かな。
ド素人でもなんかあるゾって感じる間と構図の妙。それが不意に再現され(同じようなの、さっきどこかで見たよ!)戸惑いながらもニヤリ。シンボリックな描写、言葉遊びのような隠喩、それらの配置ポイントといい、仕草や表情の仄めかし具合といい、嗜好的にどハマりでニヤニヤが止まらない。見えないものを見ようとして、聞こえないものが聞こえそうで、あるはずのない匂いまで吸収できるんじゃないかと鼻息も荒くなり、五感はフル稼働。ものすごくヘンな顔してたんだろうな。

ヨンギョがキム家4人をつなぐにおいに気づかなかったのは何故なのか。
嗅覚には個人差があるし、真っ先に気付いたダソンは多感な子ども、と思いながらも、納得の落とし所が見つけられません。
嵐の夜、ソファでのあの不用意な会話で、夫が地下鉄の中のにおいについて語り、ヨンギョが「地下鉄に乗ったのはずいぶん前」と答えるシーンは、だからそのにおいがわからない、思い出せないという、ただそれだけのことなんだけど。現在、運転手付きの車で送迎される夫妻は、地下鉄の世界線からアレやコレやあって高台に登ってきた人たちなのだろうか?誰か教えて欲しい。

エンドロールで流れる曲も解せぬまま。  
PM2.5、足の裏、手のひら、グラスにあふれた焼酎、赤い右の頬……「雨が降る」の歌詞で終わる『Soju One Glass(焼酎一杯)』。監督自らの作詞で、ギウを演じたチェ・ウシクさんが歌っているそうです。
タイトルからして、どういうことよ?ですよ。わからないなら、もう1回観たらいいじゃないってこと?何杯あおっても後味の悪さしか残らないのに。
なんなんだ、この中毒性は!(半ギレ気味)
口ごもるだけだから「面白かった?」と YES or NO で感想を尋ねないで欲しい。大絶賛してオススメしたい映画だから、お願い、もっとしゃべらせて。

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