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高校サッカー1年目(後編)


そして、コロナウイルスが落ち着いてチームとして大事な選手権シーズンになりました。

そこでまた自分は発熱をしてしまいました。

またかと。すぐ病院に行くと

「扁桃腺が腫れすぎてるから手術しましょう」

せっかく先輩に救われて、必死にもがいてトレーニングしていたのに台無しになってしまった。

それからチームは選手権に向けてピリピリし始めてる中で、自分は2週間の入院生活が始まりました。

手術後、5日程は何も食べられず地獄のような生活でした。ですが、同級生や先輩から沢山の連絡を貰い、こんなとこで終わってしまう訳にはいかないと心の底から思いました。

体調が良くなってからは
毎日サッカーノートを書いたり、
ひたすら鹿島アントラーズの試合を見たり、
日本大学サッカー部のnoteを見たり、
復帰してからのモチベーションを上げていました。

そして、2週間の入院生活を終え退院しました。

すぐに学校には行けなかったので、家で勉強したりして過ごしていました。

一方、チームは全国の切符を掛けた
「全国高校サッカー選手権予選」の最中でした。

寮には戻っていなかった為、母親と一緒に
西武サッカー場に見に行きました。

試合が終わった瞬間、
「来年は自分が必ずこのピッチに立って全国に連れていく」と燃え上がってきました。

あのピッチに立つ先輩や同級生は、悔しいけれど正直かっこよくて、遠い存在に見えた。

WBCで大谷翔平選手が
「憧れるのをやめましょう」
という言葉が自分の心に響いてきました。

あのピッチに立っていた2年生はもうラストシーズン。自分はその選手達を踏み台にして、必ずピッチに立ちたいと思います。

扁桃腺の治療も終わり、足首も完治し、半月板も良くなってきているとの事で、走りったりボールを蹴ったりして復帰に向けて準備し初めていいと言われました。

なので、走り遠征や走りトレーニングに参加して沢山上げをしていました。ですが、少しずつ膝の痛みが強くなってきた時にもう一度病院に行くと膝の傷が深くなっているので「運動禁止」とドクターに言われました。

手術も考えて欲しいから、次の病院までに手術するかYESかNoの判断をして欲しい。


もう何が起こっているのか分かりませんでした。


あんなにきついことを乗り越えてきたのにまた4ヶ月の離脱です。

けれど、寮に戻ると夏に声をかけてくれた1番尊敬している先輩に声をかけられ、ここからだぞと言われました。


監督にもトレーナーにも手術して早く復帰できるように頑張って行こうと言われました。

こんなに期待して、応援してもらっているのだからもう一度這い上がらないといけないんだと感じました。

なので、しっかりと治して


必ず2024年シーズンは

「選手権メンバー」

 に入ります。




そして必ず


「自分を救ってくれた1番大好きな先輩と同じピッチに立って全国に行く」



ふたつの大きな目標を掲げ、必死にもがいて努力し続けようと思います。




覚悟を決めて頑張ります。

拙い文章でしたが、
最後まで読んで頂きありがとうございました。







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