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国語指導の哀しさ

「漢字が書けなくて。。。」
と、国語の退会理由をおっしゃる保護者。学校の漢字テストで散々な点数を取ってくるという。

小4男子、アニメとかは好きだけど本はほとんど読まない。教室でも音読は小さい声、会話は少ない。宿題は枚数はこなしてくるが、ほとんどミスありプリント。字は雑。筆圧のないゆるい字を書く。
算数と国語を学習中。算数は分数を学習しているのでそこそこ学校でできる方であるらしく、自分でも自信を持っているようだ。しかし国語はC。小3相当も怪しい。小2の妹に追い越されている状況。
ディスレクシアとは言いがたい。音読をさせてみるとスラスラ読む。しかし文意を尋ねてみたり言い換えを促してみるとできない、意味を知らない言葉が多い。

うちの教室でこのような生徒は珍しいわけではない。低学年男子が多いような気がする。根拠はない。読むのも書くのもとにかく面倒くさそうにしている。小3相当の文章程度でも、理解できていない。音読はすらすらやるのに読解ができないのには、機械的に音に直しはするが、頭にはイメージがない読み方をしているからだろうと思う。イメージしないから、つまらなくなる。めんどくさい。

教室ではこのような生徒をどのように指導しているかというと、シンプルだが一緒にひたすら読んでいる。一緒読みをして、イメージできてなさそうな時は合いの手を入れてイメージを喚起する。先生と一緒によめばわかる、と言うが、一人で学習する時は同様のことができない。一人でも同様のことができるようになるまでひたすら付き合ってやるしか方法が見つけられないでいる。

このような生徒には手間がかかる。スタッフの手もめちゃめちゃかかる。要するに経費がかかる生徒。指導の仕方が悪いと言われればそれまでだが、国語・英語の場合は理解を促す手がかりを与えることが必ずしも良いとは言えず、一緒に読んだり聞いてやったりすることのほうが理解を促す学習経験となる。
文字を覚える時も感情を伴えば記憶に残りやすくなる。英語・国語においては新出の語彙は必ずストーリー性のある文章の中で登場する。「こんな言い方するんだね」「変な言い方だね」なんてことを言い添えると笑ったり怪訝な顔をして反応を示してくれる。表情が変われば覚えてくれたっぽいなと安心できる。

さて、こんなめんどくさいことが毎回強いられるわけだが、効果があるからこのようなめんどくさいことも続けてやっている。続けていればいつかは自力で読んで理解できるようになり、本好きにもなっていく。放置していてもそうなるか?否。断言できる。大人になっても勉強しなかったり本を読まない新聞読まない(読めない)人は大勢いる。文盲であるわけではないが、自発的に読むことのない積極的な文盲。読めることのありがたみを全く感じていない。放置された挙句がそのような大人を育ててしまう。
だから放置はできない。手間暇惜しまずが今の所の最良。

そう信じて続けてはいても、冒頭のような、「漢字が書けなくて」「国語力がつかなくて」などといった訴えは手間暇かけている生徒の保護者から投げかけられる。
保護者には生徒の成長が届かない。保護者の目にとまるところまで辿り着かせられていない。
塾にうつりたい、と申し出られた時どうするのが正解なのだろう?おそらく件の生徒は塾ではお客さん状態で放置され、置いてけぼりにされるのが目に見えている。が、こちらとしては手間が軽減される。その子にかけていた時間や手間を他の生徒に回せ、より手厚くすることができる。もしかしたら、私の思い過ごしで塾でならちゃんと指導してもらえるかもしれない、塾にうつることの方がこの生徒のためになるのでは?でもそれって詭弁?
どちらがいいの?堂々巡りの答えの出ない疑問。


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