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ありがとうをあなたに

2020年も、お疲れさまでした。わたしと、一年共に過ごしたあなたへ。

きのう、大晦日に使うお猪口を買いに100均にいくだけの散歩にいった帰り道。夫が滑ったのにつられてわたしが盛大に転んだ。帰宅してタイツを脱ぐとわたしの膝が今までみたことないくらい青く、こんもり腫れていて、そんなにわかりやすい怪我をしているとは思わず「うおー!なんだこれ!!!こんなに?!?!」と二人でげらげら笑った。そのあとテレビをみながらおならをしたら、わたしのおならが臭すぎて夫が「くっさ!!!え?!なにこれくっさ!!え?は?!くっっっさ!!」とのたうちまわりながら爆笑していた。

この間、生理で情緒がおかしくなりベッドで横になりながらばたついていたところ、夫が横で「今なら耳たぶフリーだよ」と突然の告知をしてきた。わたしは彼の身体の中で耳たぶがいちばん好きで、ふたりでソファにかけているときも思い出したらふにふに触れている。妻の女性ホルモンの暴走を目の前にして、彼なりに精一杯考えたであろう耳たぶ触り放題タイムというやさしさがかわいくて、そしてとても彼らしく、つい笑ってしまった。

一緒に住んでから今まで、こういうエピソードに事欠かない。彼の朗らかでやわらかな人間性と、ほんとうにしょうもないやりとりを延々にできるわたしたちの相性のおかげだとおもう。今年も1年本当に楽しかった。

そんな楽しい2020年、最も楽しかったのはやはり結婚式の日だった。

当初予定していた友人たちとのパーティーは中止。双方の両親と兄弟だけでの神前式と会食というちいさなちいさな式になったけれど、素敵なドレスと色打掛を纏い、荘厳な境内で式を挙げ、美味しいご飯を食べながら両家が楽しく話す時間を設けられて本当によかった。去年亡くなった父にかわり、晴れ姿を本当に喜んでくれた夫の父。挨拶を頼んでいた母親が「泣く予定じゃなかったんだけどな」と言いながら「今日のあなたたちをみて、何も心配することはないなと思いました」と話してくれた大切な時間。式の締め、夫からの挨拶の始まりが式の準備や施行に奔走していただいたプランナーさんたちへの感謝の気持ちで、改めて感じた彼の誠実さ。月日が経って記憶はどんどんおぼろげになってしまったけれど、あの日の胸いっぱいの幸せな気持ちはずっと覚えている。あの式を無事開催できたのも、わたしの意向を汲みながら一緒に舵取りをしてくれた夫があってこそだった。

結婚式を終えてからは、これからの人生について自然と考えをめぐらせた。いまの仕事をいつまで続けるのか。3年もやってる想像はまったくできないなとは思っていたけれど、気になることを改めて洗い出していたら辞めるのは3年どころかもっと近い将来の話かもしれないなと思い始めて、そうこうしているうちに新たなお仕事のお誘いの気配がした。それについて考えているうちに目の前の仕事がどんどんぼろぼろ崩れてきて、次第に家の中でもぼろぼろ崩れてしまい、休日前夜以外大体元気がないという異常事態。「仕事やめれば?」と夫に頻繁に言われるようになった。そうしてわたしは想像よりもかなり早いタイミングで退職することに。最初は春までに離れられていたらいいかなと思っていたところ、実際は12月には無職になっていた。これだけ退職時期を早めることができたのは夫の強いすすめがあってのこと。何かと頑張りたがってしまうわたしの頭に健やかなブレーキをかけてくれた彼。コロナ禍で次の職探しだって難しい可能性があるにも関わらず、なるべくはやい退職をと強く伝えてくれた彼に心から感謝をする12月だった。

無職で迎えた12月、家の片付け、編み物、読書、散歩、家の中での軽い運動などなど、小さなあれこれをこなしているうちに時間はどんどん過ぎていく。今辞めて家にこもってもあんまり暇しない気がするなと思っていた退職前の予想は大正解。仕事を終えて帰宅する夫を家で迎え、二人で夜ご飯を食べてあれこれ話し、早寝の彼は速やかに就寝、わたしはひとりの時間を楽しむというルーティンはとても快適だった。


今まで「好きを仕事に」が根底にある人生だった。自分には目にみえるスキルはないから待遇はあまり気にせず、接客を通したやりがいを重視して、業務を通して自己実現ができる仕事。人生における自分なりの仕事の楽しさ・やりがいみたいなものに重きを置いてきた。けれど夫の言葉に甘えてえいやっと仕事を辞めて1ヶ月、気づいた。家の中を守ること、結構すきかもしれない。この生活になってからわたしがいつも元気なのでそれに伴い夫もだいたい元気という、この上なく健やかな日々が過ごせている。今まではざっくりと、自分の人生がいちばん大事だと思って生きてきたけれど、今は「自分と彼がふたりで楽しくいられること」がいちばんになったみたい。この生活でふたりの楽しい時間が明らかに増えて気がついたことだ。

そんな風にあれこれ考えていた先日、仕事を終えて帰宅した夫から報告があった。

「ずっと目標にしていた仕事に近づけるチャンスがきた。そっちに進むと春から忙しくなるし、給料はちょっと上がると思うけど、もしうまくいかなければ数年で任期が終わってしまうかもしれない。そしたら俺は職なし。そっちに進まなければ今の職場でぬるま湯で安定。どう思う?」

「人生は面白い予感のするほうがいい。やったらいいじゃん!」

「あなたは絶対そういうと思ったよ。」

仕事にひた走るのではない生き方も結構いいのかもしれない、そう思ったタイミングでやってきた彼の人生のステップアップチャンスだ。もちろん応援する。

超朝型人間で朝6時前には家を出る彼は、ベッドに眠るわたしの枕元で毎朝必ず「行ってきます」と伝えて出発する。どんな料理を作っても美味しいと呟き(自らを馬鹿舌という彼曰く、世の中にまずいものなんてほとんどないらしい)、食後にソファでのんびりしながら「いつも料理作ってえらいねえ、ありがとう」と何気なく伝えてくれる。彼の素晴らしいエピソードを逐一並べるとものすごいことになるのでこのくらいでやめておくけれど、端的にいって本当にやさしくて素敵な人間だし、ザ・適当人間のわたしをなぜこんなに好いてくれているのか、ひとまず自分が積んだ前世の徳に感謝する日々だ。

そんな夫が、わたしと出会う前から掲げていた目標に近づく機会。叶えるべきは彼のそれなのだ。トライアンドエラーを重ねて曖昧な自分の夢に向かって走るのがいままでのわたしの人生だったけれど、きっとわたしよりも彼のほうが余程確固たる叶えるべき夢をもって生きてきていた。わたしは少し社会に出ながら家の中を慈しみ、彼が万全の状態で目の前のものに挑めるように整えている、そういう立場でいることが正解なんじゃないか。「好き」の軸を仕事から家庭や私生活に移して愛でていく人生。2021年、そっちに向かって走ってみよう。


2020年、文字通り健やかなるときも病めるときも隣で支えてくれた夫には盛大なありがとうを伝えたい。ここには書ききれない、毎日の小さな幸せにありがとう。2021年も、ふたりで歩いていきましょう。

   

   

  

    

   


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