【HAPPY MOTHER'S DAY!】母の日がうまれた理由。
もうすぐやってくる母の日。いつもは照れくさくて言えない感謝の気持ちを、ちょっとの勇気を出して伝えたくなる日です。
毎年この時期には、お花屋さんに、小さな”子ども”から大人の”子ども”がたくさん、お母さんにプレゼントするお花を探しに来ます。「どれがいいかな」と悩む姿は、渡すお母さんに思わず見せたくなるほど一生懸命な姿。
花屋として、とても大切なイベントです。
「母の日」のルーツ、ご存知ですか?
では、母の日はどのようにして始まったかはご存知ですか?
また、カーネーションを贈るのが母の日の定番となっている理由は知っていますか?
とても身近な存在である母の日ですが、そのルーツや由来についてはあまり詳しく知らない方も多いと思います。
ということで…、今回は、母の日の由来やカーネーションを贈る理由についてお話します!
「母の日」の起源はアメリカ
「母の日」の起源は、今から100年以上前のアメリカが舞台。当時、南北戦争(1861~1865年)が繰り広げられていたときのことです。
ウエストバージニア州で敵味方を問わず負傷兵の看護にあたったアン・ジャービスという女性がいました。
アンは、【Mother's day work club「母の仕事の日」】というボランティア団体を設立し、衛生状態を改善し、病気治療と母乳の汚染防止を通じて、乳児死亡率を低減することを心がけるような正義感のある人でした。
人びとに教育をしたり、社会に貢献していく彼女は、たくさんの人に尊敬され愛されていました。
母と子の絆 ~白いカーネーション~
アン・ジャービスには娘がいました。娘の名前は、アンナ・ジャービス。
アンナは、正義感のあるお母さんがとても大好きでした。
しかし、アン・ジャービスは1905年の5月9日に亡くなってしまいます。
アンナは考えました。
「自分の母が亡くなっても、母を敬う気持ちだけは世の中に残しておきたい。」
そして、後の「母の日」となる母のための祝日を設ける運動を開始します。
母 アンの死から2年経った1907年5月12日のこと。アンナは、アンが日曜学校の教師をしていた教会で、亡き母を偲ぶ会を催しました。
このときアンナは、参加者全員に白いカーネーションを贈りました。母の日のシンボルフラワーが、カーネーションになった由来になったのは、ここからだといわれています。
白いカーネーションの理由
①母のアンが好きだった花が、白いカーネーションだったから。
②キリスト教では、白いカーネーションが、母と子の繋がりを象徴する花だったから。(十字架にかけられたキリストに、マリアが流した涙の後から白いカーネーションが生えたと伝えられてます。)
母を思う気持ちは、世界へ
母に対するこのアンナの思いに心を打たれた人々は、いつも母を思う大切さを認識しはじめました。白いカーネーションを配った亡き母を偲ぶ会の翌1908年5月10日には、生徒たちとその母親を集め、母を祝うまでになったのです。
アンナさんの運動は徐々に賛同者が増えていきました。
そしてとうとう、地元のウエストヴァージニア州で「母の日」の制定が認められました!その後もさらに運動は全米規模に拡大しながら続けられ、ついに1914年・ウィルソン政権の時に、アメリカ連邦議会は5月の第2日曜日を「母に捧げる祝日」とする法律を可決しました。翌1915年には法律が施行され、世界で初めての国全体における「母の日」が誕生したのです。
アメリカから日本へ
日本に、「母の日」が伝わったのは大正時代でしたが、広く知られるようになったのは1950年代に、米国に倣って5月の第2日曜日に母の日が行われるようになってからでした。
ちなみに、日本で初めて母の日を祝う行事は、1915年青山学院大学の当時教授だったアレクサンダーによって紹介されたそうです。やがて、キリスト教関係の団体が中心になって広めていきました。
こうした歴史があって、今の「母の日」に繋がっていったのです。
いつの時代も全世界で共通する思い
「お母さん、いつもありがとう」を
花にのせて…。
HAPPY MOTHER’S DAY!
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