感想:茗荷谷の猫

茗荷谷の猫 木内昇
 https://www.amazon.co.jp/dp/4167820013/ref=cm_sw_r_apan_glt_i_DSKFTXVE9S9QX95MDAGJ

●あらすじ

幕末~明治、大正を経て、昭和の高度成長期までを舞台にした連作短編集。

染井の桜:幕末、武士から植木職人に転職した夫婦の話。

黒焼道話:明治時代中期(多分)、「黒焼き」に精根つぎ込む若い男の話。

茗荷谷の猫:大正時代、未亡人画家の再生の話。

仲之町の大入道:昭和初期、下宿先の大家の依頼で借金取りまがいのことをする職工と、売れるためでなく書きたいものを書くことにこだわる作家の話。

隠れる:昭和初期(多分)、隠遁生活を送りたいのに送れない男の話。

庄助さん:昭和の戦前、映画に夢をみる若者と、夢を失い映画にかかわる館長の話。

ぽけっとの、深く:昭和の戦後、シケモク拾いと靴磨きで生計を立てる戦災孤児と、復員兵、闇市で働く大阪から親戚頼ってやってきた少年の目を通して描かれる世の中。

てのひら:昭和の戦後、東京で結婚した娘の元に遊びに、上京してくる母と迎える娘。

スペインタイルの家:戦後高度成長期、通勤途中にあるスペインタイルの家に惹かれ、なりたかった自分を思い出す男の話。


●感想(最後に少しネタバレ含みます)

すべてのお話の共通点は何かな、と考えた。

市井の人、と言えばそれまでが、何か似た思いを持った人だろうか、たとえば、成功を夢見たけど成功できなかった人。

でも、当てはまらないお話がいくつかある。

期待した通りに生きられない人?それもちょっと違う。
特にラスト2本のお話は、それまでと雰囲気が大きく違うように思う。
作者の木内さんはどういう意図で、これらのお話を短編集にまとめたのだろう?

一編一編、お話を読み進めていくと、時代も徐々に進んでいく。
過去に出てきた人物のその後が出てくることで、主人公としてとらえていた人物が社会や周りの人からどのように見られていたのか、感じ取ることができる。その人たちのいた時代、世界を経て、今がある。今の後に過去がある。たくさんの人々の想いや夢、挫折の上に、今がある。そういう意図でこの順番なのだろうか。

でも、何かしっくりこない。

一話一話を対象に考えてもそうだった。
ストーリーは分かる。登場人物の心情もわかったと思う。
だけど、分からないのだ。何かがつかめていないのだ。
特に、染井の桜のお慶さんの気持ちが分からない。
彼女はどうしてああしていたのだろう?

一発目で「わからない」を持ってしまったので、後の作品も表面上分かった気になって、理解できていない感覚が続いた。

想像力や読解力の欠如なのか、感性の乏しさなのか。それをすごく感じた作品。
ただ。頭で理解することはできていないけど、心に深く刻まれたような作品。

以下ネタバレあり
ポケットの、深く

のタッちゃんは、庄助さんの庄助さんが過酷な戦闘の中、過去の自分を据えざるを得なかったのであろうと、思うと夢を持ち将来有望な若者たちが夢どころか自分を捨てざるを得ない戦争が憎くてたまらない。
ただ、戦争はよくない。今あるもので満足しよう。と言うには、すでに搾取され追いやられた人たちが元の権利や土地を取り戻そうとすることはよくないのか?と、問われれば、何も言えなくなる。
私は恵まれているからこそ、戦争はよくない、と言えるのかもしれない。

堂々巡りになってしまうな。。。
それに、話が逸れた。

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