見出し画像

長い道のり

小さい頃はしょっちゅう鼻血を出していた。
風呂屋でのぼせて鼻血。戦争の写真を見て鼻血。「このろくでなし!」と殴られて鼻血。体育の授業中に鼻血。大人になるにつれ鼻血を出すことも少なくなっていったが、わたしは知らず知らず心を病んでいったらしい。あの頃流していた血は鬱血して、気づけば体中があざだらけになっていた。

鼻の中を生暖かいものが滑り落ちてくる感触がして目が覚める。六畳間の暗闇で家族が寝静まっているなか、もそもそ体を起こして手探りでティッシュ箱を探し、体を丸めて鼻を押さえ続ける。起こした背中が寒い。パジャマが汚れないように手元のティッシュを増やす。布団をかけてほしい、と言いたくても、皆眠っている。心細くて、情けなくて、涙が出そうになる。眠っている人を恐ろしいと思ったのは確かにその時のことだ。そして鼻を押さえる時に覚えた孤独は、その後の病気の治療の際にそこはかとなく感じていた孤独によく似ていた。

精神的な病気の治療をはじめて10年程になる。家族の偏見があったため、病院を探すのも、病気に関する役所の手続きやら、這うようにようよう通院することやら、すべて一人で行い、主治医に会い、処方箋を出されておざなりに薬を鞄につっこみ帰る、というその繰り返しで、病気の症状とは別の虚しさと心細さがあった。

一人の人として生まれ落ちた以上、孤独がつきまとうことはとうにわかっている。病院の帰りに孤独を紛らわすために本を4冊も買ってきた。背負う鞄が重たい。いつも歩いている商店街から自宅への帰路が、とてもとても長い道のりのように感じられる。自分に何かを課すように読みきれない本を詰め込み、いつも重たい鞄を引きずるように持ち歩いていた頃、「愚かだねえ。もう少し荷を下ろしたらいいのに。」と言われたことをふと思い出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?