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デザイナーはアーティスト化するのかも

これからのデザイナーが食べていくには、アーティストっぽくなっていくんじゃないかとぼんやり思ったので書いてみました。
※グラフィック中心のお話です。
※正しい歴史・事実を調べたりせず思いつきをばーっと書いてるので、間違っているところもあると思います。

アーティスティックなデザイン

まず前提として、当たり前ですが、デザインとアートはまったく別のものです。(よく、デザインは問題解決、アートは自己表現、などといいますが、詳しく語り始めると日が暮れてしまうので割愛します)

けれど、もともと(特にグラフィックの)デザイナーにはアーティストのようなところがあったかもしれないなぁとふと思いました。

ミュシャのポスター|http://www.mucha.jp/framepageposter.html
横尾忠則のポスター|https://www.fashion-headline.com/article/8049/82402
福田繁雄のポスター|https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/65694039497.htm

(まぁ実際、ミュシャや横尾忠則は画家でもあるんですけども)
私が指す「アーティストのよう」というのは、「個性」みたいな意味です。それが誰のものか一目でわかる、その人にしか作れない価値が個性です。

デザイナーの技術職的側面

DTPが主流になってから、デザイナーはMacを使いAdobeを中心としたデザインソフトを扱えることが必須になりました。

今はサブスクになりましたが、もともとAdobeは何十万もするとても高価なソフトで、一般人には簡単に手を出せるものではありませんでした。
また、印刷が可能なデータを作るにもそれなりの知識が必要で、印刷物を作るにはプロの力が必要でした。
一般人には手の届かない高価なソフトを持っていること、そしてそれを扱えることがデザイナーの価値になったと思います。

その後スマホが普及し、WEBデザイナーやUIデザイナーといった職種も増えました。
これらの職種は特にデザインにおける「設計」的な役割が強いと感じます。

ここ20年ほど、デザイナーは、専門知識を持って正しい設計をする、技術職のような側面が強かったのではないかと思っています。

センスは知識からはじまる

これは超超超有名な、アートディレクター 水野学さんの著書のタイトルです。(私は何度も読み返しているし、迷った時にはこのタイトルを頭の中で何度も唱えています。)

よく、デザインにはセンスが必要、と思われますが、実はデザインにおける設計というのは昔から正解と言われるような王道パターンやセオリーがあって、知識を学べばある程度は誰でも身につけることができるのです。
例えば、誌面のレイアウト、色の組み合わせ、フォントの選び方など、知識を身につければある程度は正しい設計をすることができるのです。

デザインがみんなのものになってきた

ここ数年で一気に、「デザイン」という言葉が一般化してきたように感じます。

SNSでもイラレやフォトショの使い方や便利なTipsがたくさんあり、非デザイナー向けのデザイン豆知識なんかが普通にタイムラインに流れてきます。
スマホで簡単に画像加工ができたり、Canvaなどの無料デザインサービスができたりして、誰でも簡単に、それなりの見た目ものが作れます。
ネット印刷も普及して、そこまで深い知識がなくても簡単に印刷物の発注もできるようになりました。

デザイナーでなくても、フリー素材を持ってきておしゃれなフォントを使って適当に配置したら、誰でもデザイン(っぽいもの)を作れる。
それを、デザインの普及と捉えて喜ぶべきか、デザインの誤解・質の低下と捉えて悲しむべきか。

もちろん、わたしたちデザイナーの目から見たら素人の作ったものはすぐわかるし、デザインは見た目を整えるだけのものではないのでこれはデザインではない思うこともままあるのですが、クライアントが「そのレベルでいい」と思ってしまうならそこにデザイナーが口を出す余地はなくなります。

他の人にはできないことってなんだろう?

一般人でもそれなりの見た目に整えることはできてしまう。デザイナーの人口も増えて、優秀なデザイナーも世の中にはたくさんいる。

その中で自分が選ばれるにはどうしたらいいんだろう?と考えたときに、デザイナーの個性が必要なんじゃないかなと思ったんです。
「誰でもできるデザイン」ではなく、「私にしかできないデザイン」をするべきじゃないか、と。

例えば、ある分野で深い知識や資格を持っているデザイナーがいたら、その分野のデザインをするとなったら迷わずその人に依頼したくなりますよね。
極端な例ですけど、公認会計士の資格を持っているデザイナーとか医師免許を持っているデザイナーとかがいたら、ものすごく希少な人材です。
他に代わりがいないから、多少値が張ってもこの人にお願いしたい、と思うはず。
とにかく美容関係のLPに特化しているデザイン制作会社とか、食品のシズル撮影専門のカメラマンとかは、たまに見かけますね。

自分に近いところの話だと、私は趣味でとある分野に特化したイラストやデザインをSNSにアップしているのですが、その活動を初めてから半年も経たないうちに仕事の依頼や、見知らぬ人から投げ銭をいただくことが数回ありました。
今まで20年近く趣味で絵を描いたりしてきましたが、テーマを決めて投稿するまではここまでのことはなかったのでびっくりしています。

デザイナーに個性はいらない

ところで私は、デザイナーに個性はいらないと思っていました。むしろ、私らしさを出してしまったら負け、とも思っていました。

それは、おそらく学生時代に聞いた佐藤卓さんの言葉で、「気付かれないデザインこそ、デザイン」といった趣旨のお話を読んだからだったと思います。(うろ覚えで申し訳ないのですが、近しい趣旨の記事がありました→https://insights.amana.jp/article/24543/ 明治おいしい牛乳の「あれのどこがデザインなんですか?」のエピソードは本当に佐藤卓さんらしさがあって好きです)

少し話が逸れましたが、デザイナーはクライアントの目的な叶える最適な形を提案するべきです。そういった思いから、ある程度どのような要望にも応えられる、オールマイティーなデザイナーこそが目指すべき姿だと思いながら、長い間仕事をしてきました。

武器を持つデザイナーに

そんな考えでデザイナーをやってきたので、デザイナーは個性を持つべきかもしれない、というのは自分の中でパラダイムシフトが起きたかのような発見で、このnoteを書くに至ったわけです。

実は私、30代のうちにフリーランスになって独立したいなと思っています。
10年以上デザイナーをしてきて、ある程度お客さんの要望に叶うものは作れる自信はあります。
ただ、デザイナーに溢れたこの時代で私が選ばれるには、アーティストのように、この人にしか作れない個性を持ったデザイナーになっていくべきなのかなと思いつつ、今は自分の武器を見極めている最中です。






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