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私の耳が遠くなる日 

私の週末は忙しい。若いころからの趣味が高じて週末はサーキットに出かけているのだ。かといって、片山右京ばりに走っているワケではなく、オフィシャル活動なるものをしているのである。オフィシャルって何じゃ、と思われる方も多いかもしれない。
テニスコートを思い浮かべてほしい。プレーヤーが戦うなか、審判とボールボーイ・ガールたちは試合が円滑に進むようにサポートしている。オフィシャルとは、まさにこの役目。レースがルールに従って円滑に運営されるよう、監視したり、レスキューしたり(レースではとにかくクルマやバイクがコースを飛び出す)、旗を振ったりして、ドライバーやライダーたちを支えている縁の下の力持ちなのだ。
そんなオフィシャルたちの朝は早い。朝5時から受付が始まるため、地元福岡を出発するのは午前3時すぎ。朝とはいえ、イメージとしてはもはや“丑三つ時”に近い。レースが終わり、結果が出るまで数時間かかるときもあるので、サーキットをあとにするのは夜8時をまわることもある。とんでもなく体力・気力を使う“ボランティア”なのである。
しかし、毎週そんなレースがあるわけでもなく、レースのない週末は自宅でまったりしたいところ…。が、だ。

高齢の両親を持つ娘としては、そうも言っていられない。レースを遊びと思っている親世代にしてみると、実家に来ないときの娘は「遊んでいる」と思われているらしい。高齢の親にとっては難しい家事も多いため、レースのないときはせっせと実家に通うことになる。ご飯を作ったり、庭の木を切ったり、切れた電球を変えたりと、それはそれでとても忙しい休日になるのだ。
「今日は買い物はいいわよ。お弁当がたくさんあるから」と、ある日、母が言った。母はたいそう料理が上手な人で、家で天ぷらを揚げるときなど、私と弟はテーブルに座ってツバメの巣のヒナのようにピヨピヨと天ぷらが揚がってくるのを待つだけ。母は立ちっぱなしでてんぷらを揚げ続け、子どもたちに揚げたての天ぷらを食べさせてくれていた。おやつもドーナツを家で揚げたり、杏仁豆腐を作ったり、それはそれはマメな人だった。そんな料理上手、料理好きな母がお弁当を買い込んでいるという。冷蔵庫を覗いてみると、そこにはコンビニのお弁当や総菜のパック、プリンなどがぎっしりと詰まっていたので、えらく驚いた。

そう。母は90歳を過ぎたころから料理ができなくなった。幸い近くに大きなスーパーがあるため、総菜や弁当を買うことで、日々の食事をしのいでいた。父は刺身とビールがあればご機嫌な人なので不自由は感じていないようだったが、母はきっと寂しい思いをしていたに違いない。昔母がよく作っていたチャーハンや、スープ、シチューなどを作って持っていくと、「料理を教えたことはないのに、おいしく作れているねぇ」と褒めてくれた。その言葉の裏に、何とも言えない寂しさを感じたのは数回ではない。
体力もどんどん落ち、スーパーに行くのもしんどい、と言い出した夏。なんだか会話が通じにくくなった。話しかけても反応が鈍い。

(もしかして耳が遠くなった?)

それから気をつけてゆっくりと大きな声で話すと、会話はどうにかつながっていた。遂に母の耳が遠くなったか、と私は時計の残り時間を感じずにはいられなかった。その感情はとても辛くて悲しいものだった。あと何回、こうやって母と食事ができるだろう。こうやって会話ができるだろうと、感じることが多くなった。
実家に帰るのがつらいなぁと感じだしたころ、ある人からこんな言葉をもらった。

『耳が遠くなるってことは、もう人の嫌事を聞かなくていいよ、と言われているのよ。おんなじように目が見えなくなるのも、世の中の嫌なことはもう見なくていいよ、と言われていること。年を取ると、もう嫌なことはせず、ゆっくりと休んでいいよと神様が言っているんですよ』

その言葉を聞いたとき、私の目から文字通り鱗が落ちた。ああ、母ももうゆっくりしていい時期なんだ。朝、家族の誰よりも早く起き、ご飯を作り、掃除をし、洗濯をし、PTAではいざこざに巻き込まれ、社宅の噂に胸を痛め、転勤のためにたった一人で引っ越し準備に奔走していた。夏休みなんて来なければいいと何度も思っただろう(40日間連続で三食作るなんて地獄だったろう)。
今は料理もしなくていいし、洗濯だって2人分だし、ここ20年洋服なんて買ってないからクリーニングだって出さなくていい。父の嫌事も耳が遠くなったから、きっと半分も聞こえていないだろう。
そう。耳が遠くなって母はやっと休息の日々を手に入れたのかもしれない。そう考えると耳が遠くなのも、悲しいことじゃない。もしかしたら幸せなんじゃないかな。

「来週もレースなんね? 今度はいつ来るん?」

父の言葉にちょっと視線を逸らし、私はその声が聞こえないふりをしてみた。私の耳もどんどん遠くなる。そんな日は近い。

#創作大賞2024 #エッセイ部門


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