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母と私〜共依存を添えて

私は親から褒められた記憶がありません。
幼稚園で描いた絵が入賞しても、テストで100点を取っても、エレクトーンのコンクールで金賞を取っても、褒められませんでした。
全部、「できて当たり前」。

妹はテストが80点で褒められ、苦手な野菜を食べて褒められ、なにかする度に私と比べては「この子はできない子だから」と褒められていました。

母は、妹に何も言わない代わりに、いつも私に口うるさくしていました。
どこかに行く時は誰とどこに行くのかを伝えなくてはならず、門限もありました。

私が真面目に話を聞くからか、祖母の愚痴を私に言うことも多かったです。

幼い頃から、母のことは可哀想な人なんだと思っていました。
迷惑をかけないように、怒られないように、ずっと「良い子」を演じて母の顔色を伺いながら生きてきました。

顔色ばかり伺う生活だったため、反抗期はありませんでした。
妹が母に「クソババア」と言うので、ショックを受けた母の慰めと、妹のメンタルケアを8年ほどしていました。

不調が出始めたのは20歳になる頃でした。
大学1年生の春休みに自動車学校に通っていたのですが、その頃から原因不明の腹痛と吐き気に悩まされており、その年の夏休みについに動けなくなりました。
かかりつけの内科では夏風邪と言われたものの、一向に良くなるどころか悪くなるばかりで、車の距離の胃腸器科に行きました。そこでも胃腸炎としか言われず、やはり悪くなる一方。
私が心理学科に通っていたこともあり、まさかね、と思って心療内科に行ってみると、うつ病になっていました。
そのままうつ病がどんな病気か説明され、診断書を書いてもらい、「これ読んでみてね」と渡されたリーフレットには「共依存」と「アダルトチルドレン」と書かれていました。

その頃にはぼちぼち毒母という言葉が世に出てきていたので、体の痛みでぼんやりする頭で「私の母は毒母だったんだ……」と思いました。

動けなくなって、母が私の事なんて見てなかったことに気づきました。
トイレに行くのもやっとで、食事はおろか水も飲めません。
起き抜けにベッドの上で嘔吐くのを必死にこらえて、何日も寝て過ごしました。

母は当たり前のように仕事へ行き、私の到底食べられない肉や寿司や刺身を買ってきました。
元気がない時は好きなものを食べるのが良い、と言っていましたが、一日中洗面器を抱えて酷い吐き気に耐えている人間に与えるものではありません。

この人はこんなに私のことを見てなかったんだ、と悲しくなりました。

起き上がれるようになってからも、母の奇行というか、理解できない行動は度々ありました。
今でもよく分からない理論というか、自分の機嫌次第で私に強く当たります。

私はアダルトチルドレンの事を調べ上げ、親にとらわれなくていい事、好きに生きていいことを知りましたが、それでも母は私を押さえつけようとします。

不思議なことに、妹には強く出られないんですね。
母は昔、私のことを子供として見てない、自分の同士のように思っているし、自分の分身のようにも思っていると言っていました。
ものすごくショックでした。
思い返せば、「子供だから」と子供らしく扱われたことがありませんでした。
今でも、私は母の分身なのでしょう。
離れようとするのが気に食わないのか、反発するのが気に食わないのか、最近は散々私に喧嘩の仲裁をさせていた妹との仲良し自慢をしてきます。

先日、あまりに私と妹との対応の差に違和感を覚え、ネットで色々と検索した結果、愛玩子と搾取子というワードを知りました。

私が将来1人にならないように妹を産んだという香ばしい発言を聞いたこともあったので、昔は私が愛玩子だったのでしょう。
幼い頃は、勉強だけは出来たし、真面目で非のない子だったので、自慢の子だったのでしょう。
それが鬱になって、自分にも反発するようになって、こんなはずではなかっただろうなと。

母は、私が夫に懐くのも嫌がっていました。

私にとっての夫は、私のダメなところもそのまま受け入れてくれる人で、彼の前だと媚へつらわなくても良かったし、無理に良い子を演じなくても良かった。とても自然体な私でいられる相手でした。
(未だに長年人の顔色を伺ってきた癖が抜けず、相手の出方を見て自分の出方を決めては怒られていますが……)

私が夫の愚痴を言うと(人間なのでどんなに良くしてくれる人にも受け入れ難い部分はある)、二言目には「なんでパパみたいな良い人を選ばなかったんだ」と言われてきました。
父に不満はありません。幼少期、母に育児を任せ切りだったと言うか、父親が叱るべき部分も叱らず、褒める部分も褒めず、我関せずを貫いていたのは未だに疑問に思っていますが、なにかマイナスな事をされたこともなければ、夫を紹介した際にニコニコ笑って受け入れてくれたので、父のことは好意的に思っています。
が、私には私の好みがあり、私たちのやり方というまのがあります。
愚痴を言ってしまう私も悪いのでしょうが、暗に父みたいな人を選ばなかったお前は愚かだといった言葉をかけられるのはいつも不満でした。
父みたいではないけど、夫は良い人です。
10年交際してきましたが、母より私のことを理解しようと努力してくれたし、私のどうしてもダメで改善できない部分は「そういうもんだ」と「出来ないんだから期待しない」と目をつぶってくれました。

夫と過ごす時間が増えるにつれ、私は少しずつ生きにくさを感じにくくなってきています。
夫といるときの自分は、とても自分らしく振る舞えていると思うし、のびのびとしていて好きです。
やっと、私が私らしくいられる場所を見つけられたと思いました。

私がいなくなっても、母には妹がいます。
妹には申し訳ないけど、私には母は重すぎました。
幼い頃の満たされなかった愛情は、これから夫と埋めていこうと思います。

これから先の未来、もし私たちに子供がうまれたら、たくさんハグをして、たくさん好きだと伝えていきたいですね。
夫がずっと、ずっと、根気強く私に伝えてくれているように、たくさんの愛で子供を包んであげたいです。
もちろん、夫も。

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