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一般人に俺はなる。

「私は絵がかける一般人だ」と思ってTwitterをしてきたが、それは少し間違えていたことに気がついた。

元来、私は調子に乗りやすい性格であった。
すこし褒められただけでいい気になって「なんでも私に言ってちょうだい。なんでもしてあげる!」と、褒められたそばからノリノリでいろんなことをやってきた。
そして、ちょっとばかし器用だった。
一通りのことは事も無げに出来たし、出来て当然だと思っていた。

そして私は貢ぎ体質でもある。
昔から妹が喜べばいいな、と自分の少ないお小遣いで妹にポーチを買ってあげたりハンカチを買ってあげたりしていたし、彼氏ができると、彼の好きな飲み物をリサーチしてそればかり買っていた(出かけたときに一緒に飲めるように)。家族と外出するときも、なぜか私が飲み物担当で、お茶とジュースを一本ずつ買ってかばんに忍ばせていた。
そればかりか、父と彼氏のパンツと靴下のヨレ具合を見て、補充していた。
ちょっとお金が入ると、妹や彼氏へのプレゼントにお金を使ってしまうので、母から何度となく「あの人たちにプレゼントしても見返りがないんだから、お金は自分のことに使いなさい」と注意をされた過去がある。
私が見返りを望んでいないことを伝えたら、母は何も言ってこなくなったけれど……。

そんなこんなでTwitterに参入し、すこしばかり絵が描ける奴だと認知されると、色んな人から褒めてもらえた。それがたとえおべっかだろうが、褒めてもらえた事実が嬉しかった。
次第に、自分が楽しいから描くのではなく、フォロワーさんたちに喜んでほしいから描くに目的がシフトしていった。
これがとてもつらかった。

フォロワーが少ないうちはまだ自由に描けていたが、だんだんフォロワー数が増えていくに連れ、彼らの好き嫌いに翻弄され、「Aさんは〇〇が嫌いで、Bさんは△△が苦手。Cさんは……」と表現に制限が増えていった。
こんなこと普通は考えなくても良いのだろうが、当時の私は「みんなに好かれたい。誰にも嫌われたくない」という気持ちが強く、だいぶムリをしていた。


そんなときに思いついたのが「私は絵がかける一般人だ」という思想(?)だった。

私は一般人なので、人の意見に左右される筋合いはないし、人に忖度する必要もない。
私はプロではないので、需要を考えなくても良い。
一般人なのでムリにオタクムーブをしなくても良い。
一般人なので日常ツイートをしても良い。

というのを常に自分に言い聞かせながら、Twitterで振る舞うようにした。
最初こそ肩の重荷が取れて清々しい気分だったが、それも次第にうまく行かなくなった。


ひと目があるのって怖いねっていう話になるのだが、当時、私はTwitterにいくつかのアカウントを持っていて、趣味の投稿をするものと彼氏や病気などの愚痴を書くものの2つを常時稼働させていた。
その愚痴アカウントで趣味のフォロワーの愚痴アカウントをフォローしたのが間違いの始まりだった。

愚痴垢はほぼ趣味垢からの避難で使っていたので、私は趣味垢でのことはほとんどつぶやいていなかった。
というか、趣味垢のフォロイーに対してほとんど不満がなかったので、愚痴ることがなかった。
愚痴垢でつぶやいていたのは、彼氏への愚痴やノロケや母との関係のこと、病気の関係で調子が悪いことなど。

しかし、私がフォローしていた人で気になる発言をしていた人は、どちらかといえば表の趣味垢で言えない不満などを愚痴垢で言っている人だった。
私にかすりもしない人への不満なら気にならなかったが、「え、それ私のこと?」と思ってしまうような、身に覚えのある発言に対しての苦言だったりがだんだん増えていった。
正直、この人裏ではこんなこと思ってたんだ……と引いてしまったし、表では仲間と楽しそうに振る舞っていた姿のギャップが怖くなった。

そうして一旦Twitterを休止して今に至る。


Twitterを休んでみて、メンタルが擦り切れていたうちは日に日に目に見えて回復していく自分に驚いた。
もうTwitterで絵を描かなくて良いんだ、ひと目を気にしなくて良いんだと思うと、嬉しくて踊りだしそうだった。
やっとほんとうの意味で一般人になれたんだな、と思った。

そして、また少しずつ絵を描いてTwitterの投稿も再開した。
休止した当初はもうTwitterなんぞに戻らんぞ!という気持ちが強かったが、自分がうまく距離を掴めるようになったら戻っても大丈夫かもしれないと思うようになった。
一度辞めることを決意した身だ。嫌になったら今度はすぐに消せばいい。そういう気持ちもあって、再びTwitterに戻った。

2週間ほど、絵だけ投稿して日常ツイートは投稿しないのを試してみた。
言いたいことがたくさんあってすごくソワソワした。
以前ならTwitterにつぶやいていたことを彼氏のLINEに送るようになった。
日常ツイートをしないのはちょっとしんどいなと思い、次は気が済んだらツイートを削除するようにしてみた。ポジティブなツイートならいいが、消すことを考えるとネガティブなことも言えるようになってしまった。

そして、私は一体何を目指しているのだろう、と思った。

絵は好きなときに描きたいし、もう人の目を気にするのは辞めた。
反応だってこないことがわかったからもう気にしてもしょうがない。
ネガティブなツイートに影でチクチクものを言われるのが嫌で日常ツイートを制限していたが、ネガティブツイートに苦言を呈していた人だって表で割と病弱にも取れるツイートをしているじゃないか。


なんかもう、気にするだけ無駄なのかなって。


愚痴垢を見ていてひしひしと思ったのだが、人に苦言を呈している人の苦言って、その人にも案外当てはまることなんですよ。
自分のことを棚に上げて言っているのか、気づいていないのかはわからないけど、あなたもそういうところあるよって思ってたんですね。

そもそも、顔も知らないネット越しの人に対してあーだこーだ言うのもなんか違うんじゃないかと。
お前も愚痴垢で彼氏の愚痴を書いてたって書いてあるじゃないか、と思われた方がいるでしょうが、私の愚痴垢は彼氏と相互フォローだったので、愚痴垢に書き込んだ彼氏への愚痴は隅々まで彼氏に見られていました。というか、Twitterに書き込んだあと、内容を整理しなおして彼氏に直接LINEをしていたので、直球ど真ん中真剣勝負でした。もちろん、母への愚痴なんかも母に直接言ってたし。

なんだろう、めちゃくちゃ脱線してしまった……
顔も名前も知らない人に直接言えないことは書き込むもんじゃねえなと思った、ということですね。
私の話はどこまでが本当でしょうね。


さて、そこで私は考えた。
一般人って呟くことを厳選するのか?と。
確かにネガティブなツイートは、見た人もつられてしんどい気持ちになってしまうかもしれない。
しかし、自分のいるジャンルとやらに迎合したツイートしかしてはならないのか?

私は萌えツイートや考察ツイートや妄想ツイートが苦手だ。
そんなもん、二次創作をするなら原作読んで自分の中だけで解釈して作品として出せばいいと思っている。
「Aが〇〇だったらいいのにな~♡」というツイートにいいねをもらったところで何も面白くないと思ってしまう。
それなら「Aが〇〇」な漫画なり絵なり小説なりをかいた方が良いじゃん。

そして、ジャンルにこだわらなければならないような風潮も苦手だ。
その作品だけが好きなわけではないし、四六時中も好きと言っていられない。
それよりもっと楽しいことがたくさんあるのだ。
猫ちゃんとかわんちゃんとか虫とか金継ぎとかお香とか。
そういうことを言っていかないともったいないような気がする。
絵はそのジャンルのものが好きだから主に描いていくが、絵以外の好きなものの話だってしていいだろう。


別にプロでもなんでもないんなら、好きなことを好きなようにするのが一般人じゃろJK。

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