冬が好きな理由は地元を思い出すから
地元を思い出すときは、だいたい冬の季節であることが多いと思う。
この記事を書いている今、私は仕事を休んで家にいる。
子供が朝から熱を出し、午前中に病院に連れて行き、帰ってご飯を食べてお昼寝の寝かしつけがひと段落した午後2時。
この時間にもなると、太陽はもう既に傾いていて、弱々しい日差しが窓から入ってくる。
それを見ながら、静かなリビングで何となくぼーっとしてると、いつのまにか子供の頃を思い出していた。
私の地元は市の外れにあって、周りは山と畑と川、あと採石場がいくつかある。
いくつかあるといっても、使われてないところもあり、小学生の頃は友達とよく無断で入って探検していた。鉄骨が剥き出しの廃屋だったので、今思えばとても危険すぎた。
採石場が多いせいで街は少しほこりっぽく、夜になっても遠くから夜間作業の音が聞こえてくる。
寝る時でももちろん聞こえるけれど、慣れてしまったのかうるさいと感じたことはなかった。たまに帰省して、夜聞こえてきても変な安心感がわくくらいだ。
山は東と西の両脇にあるから、日の出も遅いし日の入りも早い。冬は5時くらいで星が見え出し、部活もやっていたので真っ暗な中友達と一緒に帰っていた。
家から学校までは歩いて30分くらいで、ずっと田んぼ道が続いている。小学校も中学校も近くにあるので9年間同じ道を通っていた。過疎化していたので空き家も多く、人とはほぼすれ違わない。たまにパラレルワールドに迷い込んだみたいだねと友達とよく話していた。
こんな寂しい町だったので、冬が来るとその哀愁のような感覚がより一層強くなる。曇りの日は特にそうだった。
冬によく思い出すのはそのせいかもしれない。
大学は県外の雪国だったので、そこからは一人暮らしになった。標高の高い山が多いところで、雪が多いせいかいつも空が暗い感じがした。人口も少なかったので、それが地元に似ていて安心感があった。大学時代は本当に居心地よかったと思う。
今は全く違う県の、人口も地元の何倍も多い都会に住んでいるけれど、大人数が苦手だったり自然が好きだったり、自分の根本的なところはやっぱり変わってないと感じることが多い。
このルーツあっての私だから、もっと自分の声に耳を傾けていきたい。
そのためにはもっと心に余裕を作らなければ、、
と思ったある日の午後でした。
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