見出し画像

ため息


ふーっ
と、ため息をつく。
ひとつくらい何かやらかしても、そう落ち込みはしない。
もう、自分のことをある程度はわかっているし、そんな自分に多くは期待していないからね。
でも、それがふたつ、みっつとなると、しかもどれもみな言葉が関わっているとなると、さすがにへこむ。
もちろん、言葉が悪いのではなくて、それを思うように使いこなせないわたしのせいだけれど。

人は言葉で思考するというけれど、思考以前の思いのようなものも確かにあって、それはなかなか言葉にならないことも。
言葉にすることはやっぱりスキルで、ずっと書くことをしてきた人はそんな思いも容易に言葉にできるものなのかもしれない。
それなら、書くことに不慣れなわたしのような人間は上手く言葉にできなくても仕方のないこと。
そう自分を慰めてみても、気分は晴れない。

やらかしてしまった原因は何かというと、わたしの不注意。
もっとよく考えたり、よくよく相手のことや自分の気持ちを思えばどれも避けることができた、たぶん。
そのことによって誰かを傷つけたわけではないのがせめてもの救い。
ただ、自分の愚かさと正面から向き合わなければならなくなっただけのこと。
まぁ、何もかも完璧にできるほど器用な人間ではないし、おっちょこちょいだし。

もちろん、こんなこと他人には言わないから、いつも通りにっこりと笑って頑張ってみる。
そして、夜は早めに寝る。
さっさと寝る。
すると、夢に、わたしが文章を書くきっかけになった人が現れて慰めてくれる。
 空を見上げようよ。
 空は顔を上げないと見えないから。

目覚めれば青空。
梅雨入り前の貴重な晴れ。
そうして、人と接すれば、誰も優しい。
へこんでいるときはきっと心の土台が乾ききっている。
だから、人の優しさが雨のように染み渡る。
そして、いつの間にか、そこに生えている感情や好奇心や他人も自分も認める力という枝葉を生き生きさせる。


人の優しさの尊さを改めて思う。
そのことに気づけたのだからへこむのも悪いばかりじゃないのかも。
ただ、もちろん、もうやらかしたくはないけれどね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?