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句読点は、文章を決定するのだ(締め切りのお話

ずっと、「なんでやりきれないんだろう」って思ってた。
・やり始めたことを終えることができない
・やりたいなと思っていることを始めることができない
・継続できない

このようなことが多発していたからだ。


逆に、今までやり切れたことに何があるのかと考えてみる

高校受験
大学受験
卒論
資格試験
は大きいものとしてある

ほかには
自由研究や夏休みの宿題
課題
ライティングの依頼案件
仕事上の検査依頼など

考えてみたら、意外とある。


例えば、書類提出などもその中に入っているのではなかろうか


うん、意外とある。


できないまま、ずっといってしまっているものもある
やったほうがいいのに、やらないまま締め切りが過ぎ、もらえなかったものとか
この賞に応募しよう!と思ってもいつのまにか締め切りが過ぎてしまったもの
思い出すのが痛いようなものも、いくつも、ある
そういうものだけじゃない

ピアノが弾けるようになりたい、だの
小説を書き切る、だの
小綺麗な部屋にする、だの
そういう「のぞみ」を計上したら、もっと、もっとある


……最近、気づいちゃったんですよね
やり切れる、できる、のに「締め切り」って、超大事だってことに

いや、この年でようやく気づくの? みたいなやつなんだけど
もう、シリーズ化したいくらいそのシリーズなんだけど

「締め切り」
めっちゃ大事です。

わたしにとっては、ほんとに


ちょっと、最近大事件に巻き込まれてしまったせいで更新がとまっているけど
最近、「なろう」に小説を上げていたのですよ。
(再開したらお知らせしますね)
それも、ずっと温めていたネタを、ようやく書いた形なんですけど

私、小説のネタ、多分500本分くらい持ってるんですよ。
とりあえずこれだけ書こう!で1日に一本はネタ出ししていた時期があって……
いや、書けよって話なんですけど
ほら、心と頭でお話づくりしてるだけで楽しいし、というのと怖いのとで……
なんとなーく、書いても出さずに持ってたんですよね。
書いたとしても、長くなってしまったものはいつの間にか書かなくなってしまう
そんなかんじで、お蔵入りというか形になっていないものがめっちゃあるんです


そんなことを人に話したら
「じゃあ、今月中に世に出そう!」みたいなことを言ってくれる人がいまして
そのとき、なんか、やりたい!やれる!っていう気分になることができて
子供が熱を出したり仕事が大変になったりでめっちゃしんどかったけど
やれてしまったんですよね……ちょっと書き溜めてから、公開して
現状、全体の半分は超えた状態くらいまで、書き進め、公開できています


自分でやってるだけじゃきっと、ここまでいかなかったと思うんです。
いや、確実にできませんでした。


でも、ライティングの案件に関しては、ちゃんと締め切りは守ります(当然)
どんなに気になったり、修正したり、もっといいものが書けるなと思っても
”この締め切りだから、もう直せない” と思えるから、出せるんです。
これ。
すんごくだいじ。
思った以上に。


”「ここまでにやらなきゃいけない」が自分の力の届く範囲の外にある”
これが、本当に大事なんだって、おもいました。

「書く」ことは、とくにです
それを、もっとよくしたい、抜けやアラのないものにしようとおもうこと
その行動自体はやろうと思ったらいくらでもできてしまいます。
限りがないです。
”これはこれでいい” って、 ある種の「見切り」を付けないといけない
それって、自分の中から自然につけるのって、難しいことが多い
私には。ええ、ワタシには

それができる人もいるのでしょうけど
私には、それが必要だったのねーって、すんごく思いましたというお話。


ずっと、ずっと悩んでいたことが
こうやって、ちょっと気づいたことでスルッとまとめて解決するようなことって
じつはけっこう日常にたくさんあって
そういうことを一つ一つ重ねていくことが成長なのかな、って思ったりします


とはいえ
気づくの遅くないか……俺様。


遅咲きなんて言ってられないような年齢にもうなってしまっていますが
いいんだもん。
今からだって気づいてやれるようになったほうが絶対いいもん!だ


……書類とか、提出物とかは締め切りあっても難しかったりするけどね
…ダメ人間や


こっちも、もうひといき、なにか鍵が見つけられるように
日々には目を凝らしていきたいものです。

サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。