小さなせかいの、細かな問題 #ランダムおひねり
カラン……
グラスの中で氷が小さな音を立てた。
手の中には、iPhone 。
最近ハマっていたSNSはもう最初の頃の勢いを失ってしまっていた。
「なんかイイことないかなぁ……」なんてさもしい一言が心の壁に爪を立てて滑り落ちていく。軋むように啼くのはゲンキンな胃腸。刺激が欲しいの、と哀れみを誘う眼差しであたりを睥睨していやがる。
優先すべきは健康か、ダイエットか、それともいっときの充足か。
日々の小さな選択はそれぞれが大きすぎるくらいの命題を孕んでじわじわと胎齢を重ねさせているからやりきれない。
カラン……
グラスの中から、また、音がした。
春先だというのにこの部屋にはストーブが欠かせない
じりじりと忍び寄る床上5センチの冷気が、いつも、そこにあるから。
どうしようもないほどに冷やされていく足元と
どんどんと暖められてしまうアタマ。そしてそれを冷やすためのレモンティー。
遥か遠くの国からここまでたどり着いた化石たちの成れの果てはこんな風に火葬されてしまうのだ。
さあ、どうしよう。
私を満たしてくれるようなモノは今日は簡単には手に入ってくれなさそうだ。
停滞
そして、安寧が、ここにはあった。
あんまりにも嫌になってしまった仕事と、逃げ出して次の行動をするまでのタイムラグがパズルのように組みあって出来上がってしまったエアポケットのような、時間。開放感と、後悔と、そして希望と期待の中でぷかぷかと浮かんでいるかのような私には、この時間を有効に利用するなんてあんまりな高望みとしか見えていない。
ただ、その日を過ごすこと
それだけを、自分に許していた
最近やめてしまった仕事は、ひとつも惜しくなんてなかったなんて言ったら嘘になる。続けていればほぼ確実に手に入るシャカイテキナタチバやら、ホショウやら、収入やら。いや、収入くらいはわかるよ。それは大切なものだ。私だって、お金は欲しい。でも。
最近やっと気づけたのだ。不味いマズいのど飴をずっと、終わるまで舐め続けられるような根性なんて持ち合わせてないし、そんなもん持つ必要なんかないってことに。いつも通りのなんの変化もなかったあの日、いつもの休憩室であの子はそこにあったのど飴をおもむろに口に入れ、途端に「コレは、コレを旨いと思えるヒトが食うべきものだ。そうでしょう?」と言って表情から嫌悪感を隠そうとすらせずにバキボキゴリンと派手に噛み砕いて飲み下したのだ。「噛んでさえ更にまずいな」と、ガブガブと水を飲むその指に引かれた真っ赤なマニキュアがバチバチと火花を散らしたかのように見えた。鮮やかな、残像。それは新体操選手の持つリボンのように、空間の中をひらり、ひらりと舞い、私の心に焼きついた。蔓延った錆びた鎖を優雅に斬り伏せた、あの真っ赤なリボン。私の飲んでいるのは、あの時とおんなじレモンティー。
「いっつも鳩が豆食ったみたいな顔してるよね」
そう言われて咄嗟に「それって、幸せそうってことですか?」と返してしまった私に「なんで?」と問い返してくれた彼女は、「え、鳩って豆好きですよね?」という返答に爆笑してくれたのだ。深い信頼は、あそこに私がいられたヨスガは、ずっと彼女の中にあった。
あの人は、今も、あの職場で、働いていることだろう。
連絡先は聞かなかった。
またいつか、が相応しいように思えたからだ。
ふと、目をやると氷はもうなくなってしまっていた。
音を立てることのなくなったグラスを、反射的にぐるぐると回してしまった
混ざりはするかもしれないけどね、と、ふっと息をつくと、手の中には回る感触
聞こえなくたって、音はしているんだよね、多分。
狭くなりきってしまっている視界は微細な観察を思考にまであげてくれてご苦労なことだ。
小さなため息をついて、私は戸棚に何か食べるものを探しに行った。
今日食べるこのクッキーの一枚が私の人生にどれほど影響するのかを熟考しながら
そのパズルを解くのはきっと、もう、彼女のリボンじゃなくていい
シナモンにするか、ナッツにするか
それがたいした、問題だからね
No.1766 のど飴
No.4648 新体操
No.388 パズル
サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。