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軽度の知的障がいとなってから 笑顔は失くさないでという願いを込めながら

こんばんは。hamuster&たまです。
今日は天気が早めに崩れ、小雨が降り続いている日となりました。

長男が軽度の知的障害と小学校6年で診断がされました。その影響なのかうちの子言葉が遅くてとか落ち着きがなくて、検査した方が良いのか何かおかしいのかという相談?質問?みたいなことがたまにあります。
正直私にはわかりません。だって専門家ではないから・・・
なので、聞かれたとき言われたときはあまり心配なら相談に行くようにお勧めします。気晴らし的な感じでね。深刻になり過ぎるのも良くないと私自身思ったからです。親からしたら一大事ですけどね。
というわけで今日は長男のことを書かせていただけたらなと思います。

記事でも書いたことがあるので、診断されてから今に至るまでを書かせていただこうと思います。

診断されたのは、中学入学を控えて普通学級に入れるか支援学級に入れるか悩んでる時でした。支援学級の先生たちと親が集まってやる懇親会があると教えていただきました。教えてくださったのは、月一で通っていた支援センターの方でした。その当時、支援センターで積み木を並べたり数字のパズルで遊んだりと楽しく学ぶ練習をしていました。

早速私は申し込みをして参加させていただいたのです。
椅子が円形に並べられていて入った瞬間
「帰りたい」正直そう思ったのを思い出します。一番苦手な形だったのです。話をするのが苦手なので・・・
私はお話を聞くだけだと思っていたのですが、地域ことに分かれていてそこに先生たちと親が座り、自由にお話をするスタイルでした。

私は自分のグループの席に座りました。そこにたまたま候補に挙げていた中学の先生がいらしてたのです。その先生とお話をしていてだんだんと苦手意識がなくなっていくと共に決心していくような気持になりました。
きっと必死だったのかもしれないな私とも思います。

他の先生たちもとても優しくて暖かさを感じる先生たちばかりでした。
最後迷っていた学校の先生がよかったら今度見学に来ませんか?と声をかけてくださったのです。私は子供に一度見せたいというのと先生たちと話をしてもらいたいという気持ちがあり、行く約束をさせていただきました。

後日、予約をし見学に行くと先生は挨拶を交わすとすぐ子供の名前を呼び、
「よく来てくれたね~待ってたよ~」と声をかけてくれました。
久しぶりに満面の笑みを浮かべているのを見ました。

その瞬間、卒業するときにはいらっしゃらなかった小学校の副校長先生の言葉を思い出しました。
「大変だろうけど~くんの笑顔守ってあげてね。あんな良い顔するんだもん」という言葉。私は約束を一時守れなかった。死にたいと思うほど思いつめさせてしまったから・・・

そのあとそこで中学時代を過ごし、特別支援学校職能科に進み障がい者枠で就職し今頑張っています。軽度の知的障害だと何かと生きづらいこともあります。はた目から見たら普通です。言葉をしっかり話すこともできます。
うちの子はだいぶ話をするようにはなりましたが、普通の会話で返答に困ることがあります。言ってることは理解できるけど自分の思ってることを言葉にできないということがあります。

例えば、先に寝るとなったとき、具合悪いとかそういうのは熱があるとかのどが痛いとかははっきり表現できますがだるい、気持ち悪いとなるとうまく表現できません。よくわからないになってしまうのです。
みんながみんなそうではありません。その子その子で違います。

将来のことを考えると不安はたくさんありますが、少しづつでもひとりで生きて行けるように結婚出来ればその人とやっていけるように日々頑張ってます。人に頼るということも苦手みたいなのでそこも最終手段でもよいから受け入れられるようになって欲しいなと思います。

小さい頃は私が、コーヒーが好きなのを理解してコンビニに自分で作るコーヒーの所へ一人で行って小さい手で必死にやってたそうで、その時は、店員さんに
「わからないです。教えてください」と聞けたみたいですが(あとから店長に聞きました)、やはりいろいろ経験してくると何か先入観なのか聞けないことがあるのかもしれませんね。

理解してもらえないこととかあって生きづらいこともあるかもしれないけど、忍耐強いと思うので我慢し過ぎず発散しながら頑張って欲しいなあと願うばかりです。

ちょっと長くなってしまってすみません。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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