ねこんでるたま

ことばの話、読書の話など、日記のように書き続けます。 ときどき短歌を詠みます。 「めだま帳」という、引用と短歌のマガジンを作っています。

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ことばの話、読書の話など、日記のように書き続けます。 ときどき短歌を詠みます。 「めだま帳」という、引用と短歌のマガジンを作っています。

マガジン

  • 今日の一文(2023年)

    一日一文引用。 二文以上のことも、たまにあります。 出来るだけ絵もつける予定。 ↓こちらでも書いています。 https://dakkimaru.hatenablog.com/

  • うちの朗読日記

    本を音読する日記です。

  • めだま帳

    ことばのメモ帳です。 1.視界に入っている本を適当に選んで、無作為にページを開く。 2.好きな文を抜き書きし、それにちなんだ作文か、お絵描きをする。 3.抜き書きした言葉を使ったり、イメージを借りたりして、短歌などを詠む。 こんなルールで、きまぐれに記事を増やしていきます。たぶん。

最近の記事

  • 固定された記事

めだま帳

noteのアカウントを取ったのは、2019年5月31日。 ROM専と思っていたし、ブログは他でやっているので、自分で記事を書くつもりはなかった。 でもあれやこれやと拝読していると、楽しそうで、自分でもnoteに書きたくなってきた。 とはいえ、健康に問題を抱えているので、負担のかかることはできない。 パソコンの前に座っていられるのは、せいぜい30分から1時間程度。それ以上は体力的に無理。 (既存のブログは寝たままiPhoneアプリで書いている) 時間をかけずに書けて

    • 今日の一文(一月五日)

      三好達治。 自分のブログもそんな感じ。

      • 今日の一文(一月四日)

        ヒルティ。 何を有益とするかについても、自分で決めたいし、それを自分で決めて疑いを持たないような人生なら、そもそもあっさり不眠と縁付いたりもしないだろうな、と思う。

        • 今日の一文(一月三日)

          ジョルジュ・バタイユ。 伏字が多い。 ・の数は正確ではない。(数えるのがめんどくさかった)

        • 固定された記事

        マガジン

        • 今日の一文(2023年)
          5本
        • うちの朗読日記
          2本
        • めだま帳
          7本

        記事

          今日の一文(一月二日)

          又吉直樹の俳句。 死ぬと思う。

          今日の一文(一月二日)

          今日の一文(一月一日)

          宮沢賢治の短歌。 ひらがなばかりでぬるっとしているので、漢字をあててみる。 一気に怖くなる。 宮沢賢治は明治29年生まれ。 この歌は、15歳くらいの時に詠んだものということになる。 何に睨まれていたんだろう。 明治四十四年(1911年)の3年後の、1914年には第一時世界大戦が始まる。 殺伐とした時代に追い立てられるように大人になっていくことへの不安が、「われらをにらむあおきもの」として感じられていたのだろうか。

          今日の一文(一月一日)

          入眠朗読日記「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ

          就寝前の朗読タイムで、「笑いと治癒力」という本を読んでもらった。 朗読者は末っ子(15歳)。 冒頭からスムーズに読んでくれていたのだけど、ある箇所にきたところで、とんでもない誤読の魔球が飛んできた。 「しかしともかく、わたしが重症の……ちんばらびょう……にかかっているという点では意見は一致していた」 読みが想定外すぎて、訂正するいとまもなく、爆笑に沈められた。 正しくは「膠原病(こうげんびょう)」である。 しかしともかく、わたしが重症の膠原病(結合組織の疾患)にか

          入眠朗読日記「笑いと治癒力」ノーマン・カズンズ

          朗読

          我が家で行われている二種類の朗読について、書いてみる。 朗読でコテッと眠る人私には不眠の傾向があり、病院で睡眠導入剤(ゾルピデム)を処方してもらっているのだけど、近頃では薬だけでは眠れない夜が増えてきた。 それでいろいろと工夫をしてみた結果、私にとって一番効果があるのは、「本を読んでもらうこと」だと分かった。 自分で読書していると、脳が活性化してしまって、せっかく飲んだ睡眠導入剤が無効になってしまう。 けれども、誰かに本を読んでもらうと、どんなに本の内容が興味深くても

          正餐

          京都市左京区平安神宮の西、六勝寺の一つ尊勝寺の故地に六盛(ろくせい)という料亭がある。ここでは、一九九四年の平安建都千二百年を機に、平安貴族の正餐(正式の献立による料理)を蘇らせた「創作平安王朝料理」を開発し、提供している。 献立は『類聚雑要抄』に近く、食前酒の「薬酒(くすざけ)」に続く一進は「祝菜(ほがいな)」といい、中央に「御物(おもの)」と呼ばれるご飯を高く盛り付け、その周囲に金塗の器に彩られた「おまわり」(そ・ほしじ・すわやり・むしあわびなど)が円周上に並ぶ。横には

          麻薬

          ぼくはしょっちゅう手をぱたぱたさせたり、繰り返し変な叫び声をあげたり、口にふくんだ水をぺっと吐きだしたりする。 こういう行動を自己刺激行動、もしくは「スティム」という。 スティムはぼくの頭にとつぜん飛びこんでくる。そうなると、手をぱたぱたしたり、変な声を出したり、水を吐きだしたりしたくてたまらない仕様ドウにかられる。 眠気や空腹に逆らえないような感じ、といえばわかってもらえるだろうか。 スティムをするのはむずがっているからだと思われているようだけれど、まったくそんなこ

          子ネコ

          マサチューセッツ工科大学の二人の研究者、リチャード・ヘルドとアラン・ハインは、内壁に縦縞が描かれた円筒に二匹の子ネコを入れた。どちらのネコも、円筒内を動くことによる視覚入力を受ける。しかし両者の経験には決定的な違いがあった。一方の子ネコは自分で歩いていたが、もう一方の子ネコは、中心軸に取りつけられた吊りかごに乗っていたのだ。この設定ではどちらの子ネコも同じものを見ている。同じときに同じスピードで動く縦縞である。視覚に関係するのが目に当たる光子だけなら、二匹の視覚系は同じように

          還暦

          昨日の記事で引用した倉橋由美子の「白い髪の童女」の続きを読んだのだけど……。 「あの植物園のおばあさんですが」と、老人は好奇心を抑えかねて早速話を切りだしてみた。宿の主人はゆっくりと茶をすすって動じないけしきだったが、あるいはそれは、話好きの人間が、語りなれた話を始める前によくみせる、ことさらに口の重そうな態度とも受けとれた。 「みたところ若そうですが、かなりの年のようでもあるし、一体いくつくらいのかたでしょうね」 百歳(ももとせ)の姥といわれて驚倒したい気持ちもあった

          自己紹介など

          こんにちは。 ねこんでるたまと申します。 noteでは、主にことばと読書についての記事を書いています。 ときどき短歌を詠んだり、お絵描きをしたりもします。 目玉の絵が好きで、よく描きます。 マガジン「めだま帳」を作り始めました。 https://note.com/hamushima32/m/m83a631a04089 普段の日記ブログは、こちらで書いています。 「湯飲みの横に防水機能のない日記」 https://dakkimaru.hatenablog.com/

          伝統

          三島は文武両道をいう。これは日本の伝統ということになっている。それならその伝統がどこへ行ったかというと、よくわからない。ここでは私なりの視点で、まずそれを追求したいのである。そもそも文武両道とはなにか。      養老孟司「身体の文学史」新潮文庫 p167 奥付には、 平成十三年一月一日発行  400円 とある。新刊をみかけて買ったはずなので、平成十三年(2001年)に買った可能性が高い。 2001年といえば、長女が五歳、息子が四歳。 育児戦争たけなわのころだった

          放縦

          「年をとると情けないもので、体は自在に動かないのに、心のほうは放縦に動きすぎて、あやしげな妄想がそのままことばになって、しまりもなく口に出るものですね。あなたのような不思議なかたのそばでは一段とそれがはげしいらしい。まことにお恥ずかしいことですが」 倉橋由美子『反悲劇』「白い髪の童女」より引用 新潮文庫 p152 手元の本の奥付には、 昭和五十五年八月二十五日発行 十月二十五日発行 二刷  定価320円 とある。 高校三年の時に買った本だったと記憶している。文庫本