ハイキュー‼︎という漫画を追った女の話

高校生の時、「バレーボールのアニメがやるんだって!」とどこかで聞いて、調べた。
予告映像を見て、必ず観ると決めた。私は典型的なバレーボール一家に生まれ、中学の間だけバレーボール部に所属した、要は「一応」の経験者であった。


アニメ一話を観てからは、もう止まらなかった。漫画を買い、単行本だけでなくガイドブックやファンブック、特典DVD付きや小説版も買った。今はもう無くなってしまったが、池袋にあったJワールドにも通った。初めて行った時には烏野高校の部室や坂之下商店に感動したものだった。グッズを集めたり、劇場版も初日に観に行った。

どんどんハイキューの虜になっていく自分がいた。

そんなハイキューが、完結した。

追い始めてから7〜8年くらい経っただろうか。
こんなにちゃんと追った作品が終わるのは初めての経験だった。

物語が終わりに近づいていることは知っていたが、寂しさと怖さで最終巻を中々読めずにいた。

最終巻の内容を読んで、私は大泣きしてしまった。
「この瞬間も、バレーボールだ」

この言葉が胸に突き刺さった。

私がバレーボールを始めたのは、単純になんとなく興味があったからだ。祖母は元々とても有名な選手、祖父は昔オリンピックの候補生まで登り詰めたような人。母は中学生から母になってもずっとバレーボールをしていた人で、私から見ても上手だった。そんな環境で育った私は、なんとなくやっぱりバレーボールに興味があった。

小学生の私は、バスケットボールをしていた。
叔父がバスケが上手な人で、やってみたいと思った。小学二年生から始めたが、楽しいと思える瞬間は少なくて、ずっと、六年生になってキャプテンになっても毎日怒られて泣いてばかりいたように思う。卒業が迫ったある日、監督に言われたことがある。

「お前は優しすぎて、バスケは向いてない。
お母さんと一緒にバレーボールとかやった方が向いてるよ」

今でもこの言葉は忘れられない。私は、そのまま引退までバスケットボールを続けた。最後まで怒られっぱなしだったように思う。中学生になった私は、幼馴染が入っていたバレーボール部に入ることにした。セッターをやった。今思えば、部活自体がすごく嫌いだったり、バレーボールが嫌いになったわけじゃなかった。

私は部活以外の場所でもボールを触りたくて、ママさんバレー(母と祖母の所属チーム)の練習に参加させてもらうことが増えた。

ある日、練習が始まる前にチームメイトのおばさんに言われた。

「○○さんのとこのお孫さんでしょ!?お母さんも上手だし、絶対上手くなるよ!」

その言葉がすごく嫌だった。その後もそういう言葉をよく言われた。良かれと思って言っているのだろうと思えば思うほど辛くなった。

あの日を境に、部活も競技も嫌いになっていった。キャプテンも部長もやっていたのに、なんとなくバレーボールが嫌いな自分が嫌だった。

私は、なんとなくバレーボールを三年間続けた。

結局高校生になってからはバスケがまたしたくなって、バスケ部に入ったのだ。


こんな風にバレーボールを辞めてしまったのだ。

そんな私が、バレーボール漫画の最後を読んだ。バレーボールを好きだと、努力を続けたキャラクター達が、愛おしくて、カッコよかった。

あんな理由でやめたバレーボール。
今では身体の怪我の都合でバレーボールもバスケットボールも中々出来なくなってしまった。

あの日、あんなことで挫けた私。
でも当時の私にとってはあんなことじゃなかった。始めるきっかけも終わらせたきっかけもそんな私だったけれど、また少しバレーボールをやりたくなった。

バレーボールを続けたキャラクター達。
努力と、努力と、努力。
才能だけではないプレー。

私はなんとなく、自分が辞めてしまったバレーボールをまた好きになれた気がした。
ハイキュー‼︎という作品に感謝の意を込めて。


ありがとう!!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?