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【100おく駅】10年続いたパーカッション時代

それは小学校4年生のある放課後、突然にはじまった。

学校の用事が終わると一目散に帰宅していた私。
それを網に引っ掛けられるようにして5、6人のクラスメートの集団に囲まれた。

「一緒に行こう」と拉致羽交い締め状態で、音楽室に連行され、何が始まるのかよくわからないまま現地に行った。

そして、30分後にはトランペットのマウスピースをビーブー吹いていた。

「やりたい楽器はありますか?」
との先生の言葉に、かっこいいトランペットは大人気。

私も、心底、トランペットが良かったけれど、熱烈なパーカッションの勧誘にこれも半ば強引に、連れて行かれた。

体が大きめだった私に、次期大太鼓候補として、きっと目をつけられたんだろう。
10kgもあって、お祭りのパレードではなが~い時間、それを担いで歩かなければならないしね。

そんなんで、なんだかんだパーカッションに振り分けられ、それまで思いもしなかった音楽と向き合うことになった。

10年も。

漫画でよくあるシーンが、振り返ると私にいっぱいあるな、と思う今日この頃。

「金管バンド」の説明会から、短大でドリル演奏をやるまで、10年間、パーカッション人生は、そんなふうにもたらされた。

メトロノームの振り子と真剣に向き合った中学時代。
楽譜通りにやることからなかなか抜け出せなかった高校時代を経て、結局楽しめばいいじゃんと、私にとっての音楽を位置づけた短大時代と、途中アクシデントにもあいながら(高3の時コンクール4日前に事故って、4人いた1年生に分担してやってもらった)音楽を楽しんだ。

短大卒業後はすっきり太鼓はやめてしまったけど、放課後の音楽室の空気は、ときどき懐かしくなる。

そして、私なりのリズム感は身に染みついて、歩くときにぴょこぴょこしてるらしい。

たまに太鼓の達人をやってみるけど、個人ではあのヘンテコ空気感も出せないんだよね。(あれはあれで楽しいけど)

私たちが学生の時は、人が周りにあふれていて、思ってもみないチャンスがいっぱい転がっていた。幸せの世代だと思う。

もちろん苦しいこともあったし、うまくいかないこと、周りになんとか合わせていたこと、いっぱいだった。

だけど、人数が多かったから、いろんな人がいて、自分とあう人も中にはいた。(私の周りには陰湿ないじめもなかったし。ただ過激な時代で、表立った衝突は多少あったかな)

今の子たちは私が拾ったような機会がないのだなぁ、と、人数が4分の1以下の娘の学年(小学校5年生)をみてつくづく思う。

発達障害グレーゾーンで、怖がりで入れないところがたくさんある娘に、学校や社会で居場所を見つけてあげたいと思っている私にとって、私が過ごした音楽室のようなところが公共にあって、そこで青春なんかを感じてくれると嬉しいと思うのだけど。

安全で安心な家以外のまったりできるとこ、あるといいなぁ。


小学校「金管バンド」中学「吹奏楽部」


高校「吹奏楽部」短大「吹奏楽研究会」


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