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AC|日常に潜んでいる小さな「毒」

こんにちは。hamuです。

昨日、久しぶりに美容院へ行きました。
体調を崩す前に行って以来なので、3ヶ月ぶり。

カットとカラー、ついでにクーポンでトリートメントもしてもらってスッキリです。

シャンプーしてもらってたとき、ふと隣の席のお客さんと美容師さんのやり取りが聞こえてきました。

内容は他愛もないことで「美容師さんの反抗期がこんなだった」という話。

最初はどこにでもある話と思って聞いていたのですが、ふとした拍子に、その反抗期エピソードの中に小さな「毒」があると感じたのです。

今日はそんな、日常に潜む小さな「毒」のお話。

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美容師さんの反抗期エピソード


まず美容師さんがどんな話をしていたかについてです。

その美容師さんは男性で、年齢は20代半~30前ぐらい。
手慣れた手つきでお客さんのシャンプーをしながら、こんな話をしていました。

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お客さん「わたし、反抗期らしい反抗期がなかったんですよね。」

美容師「そうなんですねー。僕は結構はっきり反抗期ありましたよ。めっちゃイライラしてて。」

お客さん「どんなことでイライラしたんですか?」

美容師「特にイライラしたのが、部活から帰って晩御飯を食べる時。肉が食べたいのに、魚や煮物しかないとイライラしてましたね!」

お客さん「わあ!なんか男の子っぽいですね。ちなみに部活は何を?」

美容師「野球部でした。」

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なるほど。食べ盛りの男子中高生野球部の部活から腹ペコで帰って、メインが魚や煮物。
そりゃ「腹いっぱいにならねえ!」とイライラするだろうな…。

美容師さんとお客さんのやり取りは続きます。

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お客さん「結局、そのイライラは解決(解消)できたんですか?」

美容師「えっと、言ってみたんですよ自分で。肉が食べたい!って。そしたら、魚とかの日は自分だけ肉料理も出してもらえるようになって。」

お客さん「すごい!良かったですねぇ。」

美容師「そうなんですよ。ふつうだったら、きっと『文句があるなら食べるな』って言われるんですけど、うちの親は優しかったんですよ。」

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そこまで聞いて、わたしは違和感を覚えました。
その場では違和感の正体が分からず、なんとなくモヤモヤ…。

確かにお母さんは優しい。メインが魚の日に、別で息子のためだけに肉料理を出してくれるなんて、息子思いのいいお母さんです。

でも、何か引っかかる…。
単なる反抗期のエピソードとは、どうしても思えなかったのです。


「文句があるなら食べるな」の違和感


帰り道もずっとモヤモヤの正体を考えていて気付きました。
そうか、モヤモヤしたのは美容師さんのこのセリフだ。

ふつうだったら、きっと『文句があるなら食べるな』って言われるんですけど」

モヤモヤの正体を突き止めるべく、内容を分けて掘り下げてみました。


①「肉が食べたい」は文句だったのか

今回、美容師さんが感じた「肉が食べたい!」というイライラ。
そもそもこれは「文句」だったのでしょうか。

わたしには美容師さんとお母さんの関係性は分からないし、当時どんなやりとりがあったかも知りません。

でも、食べ盛りの男子中高生が、部活から帰ってきて晩御飯のメインが魚や煮物だったら、量が多かったとしても物足りなさを感じるのではないでしょうか…?

学校で勉強して部活もして、腹ペコで帰ってきてメインのおかずが魚。
反動で「肉食べたい!」と感じても仕方がない気がします。

美容師さんは「文句」ではなく、当時の年齢や生活からごく自然な感情を抱いていたのだと思います。


②「文句があるなら食べるな」は正しいのか

このワードが一番引っかかります。
これは美容師さんは言われていないことですが、仮に言われていたと想定して考えてみました。

部活帰りで腹ペコの美容師さんが魚のおかずを見て、「肉が食べたい!」と言ったとします。

それに対しお母さんが「文句があるなら食べるな」と言ったとしましょう。

でも、モヤモヤ①で書いたように、そもそも美容師さんが言っていたことは文句というより、自然な感情。

仮にワガママな言い方をして「文句」に聞こえたとしても、なぜそこで次にくる言葉が「食べるな」なのか。

「文句があるなら、何ならいいのか教えて」
「文句があるなら、肉が食べたい理由を教えて」

とかなら分かります。文句に対して、解決するためのアプローチにつながる言葉だからです。

でも「文句があるなら食べるな」は、有無を言わさず相手に従わせる言葉です。

この手の言葉には身に覚えがあります。
わたしの母がよく使っていた構文だからです。

「文句があるなら〇〇するな」
「(そもそも)文句を言うな」

この言い方をされたとき、わたしは「文句をいってごめんなさい」という気持ちになり、自分の気持ちは我慢し、母の言いつけを守っていました。

仮にそれが正当な主張の場合でも、「〇〇するな」と言われると、わたしは自分が間違ったことを言ったから禁じられたんだと感じていました。

親の庇護を受けている子どもにとって、親の言葉は絶対です。「文句があるなら〇〇するな」と言われれば、弱い立場側にいる子どもは従わざるを得ないです。

もちろん、そう言われても自分の意思を通す子どももいると思います。

でも少なくともわたしの場合は、この言葉を繰り返し言われることで「自分の気持ちの抑圧」と「親に逆らってはいけない」という思考を覚えてしまいました。

どちらも罪悪感や生きづらさの素になるものですね…。


③「ふつうだったら言われる」ことなのか

最後に気になったのは「ふつうだったら言われる」という言葉です。

他愛もない話で「ふつう」と言われるほど、「文句があるなら〇〇するな」は「ふつう」と思われている言葉。

長い年月いろいろな場面で使われてきて、みんなの中でごく自然なワードになってしまっているのかもしれません。

でも少なくともわたしは、これが「ふつう」とは思いません。
モヤモヤ②で感じた「抑圧」を助長する言葉。
それが「ふつうだったら言われること」なのでしょうか?

むしろ「それがふつうと思われていること」が、ふつうではない気がします。

ここまでのまとめ

ここまで、モヤモヤを分けて掘り下げていきました。
改めて整理すると、わたしがモヤモヤと感じたことは次の3つでした。

  1. 素直に感じたこと、正当なことを「文句」で片づけられてしまう

  2. 「文句があるなら〇〇するな」という言葉が気持ちの抑圧につながる

  3. 抑圧につながる言葉が「ふつう」のものとして存在している


小さな「毒」は日常に潜んでいる


今回感じた一連のモヤモヤ。
わたしはこれを「日常に潜む小さな毒」だと感じました。

人によっては違和感も抱かないし、気づいたとしてもスルーできることかもしれません。

でも、育った環境や度合い、親や他人に受けてきた仕打ちによっては大きな「毒」になりうる要素。

わたしの場合は過去の経験から「大きな毒」となっていたため、違和感を覚えてしまったのだと思います。

小さな毒はこの言葉に限らず、日常にたくさん潜んでいます。

「ふつう」「あたりまえ」「〇〇するべき」「〇〇じゃないとダメ」

どれも「ふつう」に存在していて、ふとした拍子にわたしたちを苦しめる存在だと思います。


「毒」を食らわないために


生活に根付いてしまった小さな毒は、たぶん消すことができません。
でも毒におびえ続けていると、生きづらさになってしまいます。

すでに毒を受けてしまった人、毒を感じやすくなってしまった人にとって大切なことは、

・過去と向き合い、「毒」の存在を知ること
・もし自分にとって「毒」になりうる出来事や存在がある場合は、
 早めにその場から立ち去ること
・「毒」を感じた場合の、自分なりのモヤモヤ解消法をつくること

だと思います。

わたしは今回、他愛もない会話から「小さな毒」を感じてしまいました。

しかし、しっかりと検知し(毒の存在を知る)、noteに書き出す(モヤモヤ解消法)ことで、うまく気持ちを逃がすことができました。

もし今、過去の「毒」や日常の「毒」でつらい思いをしている人がいたら、同じようにできるか分かりませんが、参考にしてもらえたらと思います。

日常に潜む小さな毒に振り回されることなく、健やかに暮らせる人が増えることを祈りつつ…

今日もこんな感じで終わりたいと思います(˘ω˘)スコヤカ

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