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漏斗胸手術体験談

高校1年生男 2022年12月に香川の病院で漏斗胸の手術をしました。漏斗胸の患者さんがブログなどで術後の状態などを書いているのを見て自分もなにか書き残したいなと思い書いてみました。

手術後から1年半たった今でも正直息苦しさは変わっていません。むしろ手術前よりも息苦しく感じています。

確かに人より疲れやすかったり、たまに息が苦しくなる時もありましたが、僕が漏斗胸の手術をしようと決めたのは、体調が悪いとか見た目を気にしていたとかではなくただ単に手術というものに興味があったからとか自分だけの個性が欲しかったからとか一番大きかったのはもっと息がしやすくなったら吹奏楽部で吹いているトロンボーンがもっと上手く吹けるようになるんじゃないかと思ったからとかそんな理由でした。今ではしっかり考えて手術を決めなかった事を後悔しています。

手術が終わり退院するまでに手術を後悔するようなことはありませんでした。むしろ自分はそこまで手術が苦ではないと思っていました

入院前日香川で1泊してから香川病院へ行きました。前日はお母さんと映画を見たり(ワンピースフィルムレッド)漫画喫茶に行ったりしていました。手術が怖いというよりむしろ非日常が待っているぞという楽しみがありました。

入院してからは親の同伴は距離的にも不可能だったしそもそもコロナの影響で面会すら許されませんでした、が特に1人でいることで困ったことはありませんでした。
手術前日は前検査を済ませてからは暇だったので持ってきた青チャートを解いたり本を読んだりゲームしたり(病院のWiFiが弱かったので程々に)他は看護師さんが検診のついでに話しをしてくれたり勉強してるのを褒めてくれたり看護師さんの名前をスマホのメモに残してたり(日記みたいなのが書きたかったのとバーを抜く手術へ行く時に看護師さんの名前を覚えておきたいから)などなどしてました
手術当日、朝8時ぐらいだったと思います。看護師さんがくるまで好きな音楽を聴いていました(この曲を聴いたら手術直前の事を懐かしめるかなと思って)キツキツの白いタイツ(血行が悪くならないためのもの)を履いて白い服を着て手術室まで行きました。手術室にはコンタクトを外して行くので手術室がよく見えず逆にそれで現実味が無くそこまで緊張はしてませんでした。手術直前「僕は医者たちにとっての実験体だ、豚みたいなものだ。」とずっと頭の中で繰り返してたりもしました。
手術の台に乗せられ脊髄?に注射して麻酔をするみたいでした。背中に注射されるとビリッとして結構怖かった。その後体が震えるけど大丈夫ですかと医者に言ったけど問題は無いと言われた。仰向けになり腕に注射(多分麻酔の注射)をされ腕になにかが逆流するような痛みを感じながら意識が無くなりました。

目が覚めたら15時頃、そこにいた男の先生に簡単な質問をされ意識がしっかりしてることを確認された。自分の部活(吹奏楽部)の話などをした記憶があります。個室に運ばれて自分の体についてる管の数にびっくりした。尿管カテーテルとか胸腔ドレーンとか背中にも管が入っていてその管に麻酔が投入されててボタンを押すと麻酔が流れる仕組みらしい。

部活の同期の人と酸素マスクをつけたまま電話したりしました。胸の感覚がほぼ無く腕や足以外動かせず胸の辺りに置いた本やゴミ箱の場所やナースコールのボタンなど探そうとする時スマホで周りを録画してそれを確認するという方法を取るしかなかったので大変。初日の夜こそ痛みはあまり感じなかったものの2日目からは大変だった

2日目3日目 背中がずっと動かせず暑いので氷枕を背中の間に挟んでもらった。体を浮かすことすらできないので背中のちょうどいいところに氷枕を入れるのにすら手間がかかった。これを一日三回ぐらい変えるためにナースコールを押すのは躊躇いがあったけど仕方がなかったかな。これから退院までは一日中ずっと寝てばっかりだった。食事の時に体を電気ベットで起こすと頭が痛くなり鼻血が出ることもありました。病院食はあんまり食べてなかったような記憶があります。夜は痛みが増してきてももう打てる点滴もないようで(一日何回か決まってたらしい)じっと耐えるしかなかった2日目の夜中2時3時辺りになると痛みが強すぎて唸り声を出しながら耐えていました。友達に連絡してみたりしたが当然誰も起きてなくて寂しかった。ナースコールして痛みが強いと泣きながら言ったが看護師さんができることもないらしくそれを聞いてパニックになった自分を慰めるみたいに○○くんはこの年齢で1人で偉いね、とかほかの患者さんはどうだったとかそんなことを言われた気がする。睡眠薬としてゾルピデムというなんとも悪魔っぽい名前の薬を飲んでなんとか眠ることが出来ました。
3日目の夜も同じ感じでした。ずっと骨を硬い何かで擦られてるような痛みがあり、その痛み自体は問題なく耐えられるレベルなんですがいちばん辛かったのはその痛みが絶え間なく続くことでした。
4.5.6.7日目 痛み自体はそれほど変わりないように感じましたが眠れるようにはなりました。ブログには色んな人の体験がありましたが僕はその中でかなり症状が重い方でした1週間たっても歩くことが出来ず立とうとすると何故か背中が痛みました背中の骨が折れそうな痛みでこの痛みは今まで感じた中でもかなり激しい痛みでした。鼻血が出てしまい歩行練習が中止になった日もありました。鼻血が出ると頭を下に下げられず血がかなり喉に入ってしまってこんなことも出来ないのか…と不自由に感じました。看護師さんや耳鼻科の先生に来てもらいどうにかなりました。日中は寝てばっかりで痛みを少しでも和らげるため音楽を聴いたりもしていました。病院食は美味しくないとお母さんから聞いてふりかけを持ってきたりしましたが香川の病院の病院食はとても美味しくクリスマスにはチキン大晦日には年越し蕎麦など献立も面白く食欲がなくても何口かは食べれました。7日目に手術後初めて歩くことができるようになってそれと同時に部屋も移動になりました。手術前は患者さんが多かったのですが年末だからか患者さんは数人にまで減っていました。

8日目以降 8日目が1番痛みが強かったです。夜の8時ぐらいいつものように痛みを我慢して寝ようとしてたら痛みがどんどん強くなり気絶しそうで意識が朦朧とするような痛みでした肋骨で木の棒で火起こしされてるかのような痛みでした。間違いなく今まで感じた中で一番の痛みでした。ほんとに痛いときは声がでなくなるんだなと知りました。胸腔ドレーンや背中の管を抜き胸の感覚も少し戻ってきましただんだん体を動かせるようになっていき最後の管の尿管カテーテルを抜くことになりました。それを抜いた後は自分でトイレに行か無いと行けなくなり1人で立つのが怖かった自分にとっては結構不安が大きかったです。それに尿管カテーテルを抜いてから尿がでないと尿ができなくなる可能性があるらしく、しかも自分はなかなか尿が出ず結構困りました。寝転んだまま看護師さんの前で尿を容器に出せと言われてびっくりしたのを覚えています。術後9日目これまで何度か病室まで来てくれた漏斗胸の手術で有名な先生が胸の写真を撮ってくれました。胸の凹み自体は初めからあまり気にしていなかったのですが、見た目が良くなっていて嬉しく感じました、あと心臓の形が大きくなったのも見て分かって漠然と体が良くなっているのと感じれて良かったです。

 

術後10日目で初めて自分でトイレに行きました。それまで通じが1度も無かったので心配だったけど問題はなさそうでした。シャワーもこのくらいになって初めてしたと思います。自分の体臭や髪の不潔感は10日シャワーを浴びなくても全然問題なかったのにびっくり。
本来ならもう退院できるはずの日にちになりましたがまだまともに歩けず、しゃがむことも自分で起き上がることもできなかったので入院の日程は長くなりました。漏斗胸患者のブログに書いてあることと違って少し腹が経ったけど入院自体非日常感があって楽しく感じていたこともあったのでそこまで嫌ではなかったかな。11日目この日は12月31日でしたが特にやることも無く今まででいちばん寂しい年越しでした。年越しの瞬間は東京の街のLIVEをYouTubeで見てました。
具合も良くなっていき1月2日に退院となりました。

今思えばすごくしんどい経験だったのに入院してる時に手術しなければ良かったとか、耐えられないとか思ったことはありませんでした。それどころか自分でもびっくりですが思ったよりも苦ではなかったなと感じていました。僕もこの手術を受けた人が手術の痛みを「この世のものとは思えない痛み」などと言っていたのでどれだけしんどいものかと心構えていましたが想像していたよりも痛みには耐えられるものだなと、なんなら8日目の痛みをもう一度感じてみたいというかなんというかその痛みに耐えた達成感のようなものを感じていたのでそれほど苦を感じなかったのだと思います。この自分の文章だけ読むとしんどいように思うかもしれませんが実際に手術してみれば思った程ではなかったと思うかもしれません。それに自分は治りがかなり遅い方で症状も重かった方なので手術を受けるか迷ってるなら怖気つかなくてもいいと思います。

退院してから部活(吹奏楽部)を1ヶ月休み少しだけ楽器を吹いたりしましたがやっぱり上手く吹けませんでしたもう1ヶ月ぐらい休みました。退院して1ヶ月ぐらいは笑ったら痛いとか起き上がれないとかたまに鋭い痛みがあるとかそんなところでしたとにかくブログで書いてあった3ヶ月で咳をしたら少し痛み息もしやすくなるという言葉を信じて回復を待っていました。

でも3ヶ月たっても楽器が吹けませんでした。それどころか楽器を吹いたら余計息苦しくなり以前よりも下手くそになってしまったし、新しい塾で自分の勉強出来なさに打ちのめされて塾へ行くたびに惨めな気持ちになり泣きながら帰ったり、精神的にかなりキツかったです。

4ヶ月5ヶ月たっても歩くだけで息苦しくなり部活も上手くいってませんでした。今思えば部活と手術の相性がそもそも悪かったのだと思います。楽器を吹く時に使う筋肉のせいで息が苦しくなって行ったのだと思います。とにかく回復の兆しはなく痛みは引きましたがいつまでも楽器は思うように吹けないし息苦しいし最悪でした。悲しい曲調の曲を聴くだけで情緒がおかしくなり楽器を吹こうとするだけで涙が止まらない日もありました。

部活を9月から10月まで休部して少しマシになりこの時初めて息がしやすくなったと感じることが出来ました。ブログの人とあまりに違う回復っぷりにやっぱり部活がダメたんだと確信しました。が自分が辞めてしまうと吹奏楽部はトロンボーンが居なくなってしまうため辞めることを躊躇っていました。

11月の頭に風邪をひき咳を何度もするのでまた息苦しくなり11月末に行った海外修学旅行でむちゃなことをしてしまったせいで体調がさらにさらに悪くなりました。体調が悪くなったと要因はふたつあってひとつはパラセーリングという胸やお腹周りに器具をつけて海の上を飛ぶアクティビティです。思った以上に胸に負担がかかってしまいました。2つ目は何を思ったのか自分で体を何度も捻ってしまったことです。自分は元々自分で傷を作ったりかさぶたをめくりまくったりしてしまう人で、体調を悪くさせたかったわけではないのですが体調が悪い自分が好きというか、構って欲しかったのかもしれません。自分でもなんでこんなことをしたのか分かりません。当然体を捻ることで体調は悪化し自分で体を捻ったのが悪かったのかパラセーリングが悪かったのか、自分のせいで体調が急激に悪くなったと思いたくないのでパラセーリングが悪かったのだと信じたいですが海外修学旅行から帰ってきてからは手術後1ヶ月と変わらないぐらい体調が悪くなり息苦しさに関しては手術直後よりも悪化してしまいました。

それからの1ヶ月ぐらいは仰向けから起き上がることが出来ずうつ伏せから起き上がろうとすると骨が砕けるような痛みがあり、また笑うだけで痛みを感じるようになり気づけば笑い方が変わったような気もします。
その後痛みが消えても息苦しさは治らず主治医の先生も自分の話を親身に受け止めず「必ず良くなる」の一言だけ納得もできるわけなく部活のためにしたはずの手術のせいで部活もストレスに感じるようになってきました。部活がめんどくさくなって休んでたらついでに息苦しさも回復するかな程度の考えで休部するようになりもうなんのために手術したのかも分かりません。

3月で部活を辞めこれからは息苦しさは治るだろうと山を乗り越えたような気でいましたがそれでも全く体調が良くなることもなく1時間歌っただけで動けなくなる程息苦しくなったり、300mもないぐらいのスーパーの道の途中で息がほぼ出来ず歩けなくなったり、その原因も分かりません。主治医に聞いてもどうせろくな答えを返してくれません。手術してよかったなんて漏斗胸の手術体験談をみると自分との違いに涙が止まりません。

部活が面白くなくなってから一番大事にしてた勉強にすらこの手術の息苦しさや気だるさで手につかない日もあります。手術して何も変化がなく息が苦しくなり普通の生活が送れなくなり、学校を休む日にちが多くなると個人面談で話をさせられ泣きなくないのに嫌いな担任の前で泣いてしまって、心配されるのも嫌だし、学校に来た内科検診で来た医者に漏斗胸の手術は別にしなくたって問題ないよとか言われて頑張りを否定されたみたいな気分になるし、そんなこんなで手術していいことなんてひとつもなかった。僕はもっとこの手術について調べるべきだった。部活もすぐ辞めたら良かった。パラセーリングとかわざと体を捻ったりなんてしなければよかった。もしかしたら自分のせいで体調が治るのが遅くなってしまってるんだと考えるとたまらない。今も体の中にあるバーのせいで胸の周りでベルトをきつく締められてるみたいに感じるし、息がしやすくなる未来も見えない。何よりこの手術で体調が良くなってる人を見るのは辛すぎる。

今度の7月の検診でバーを抜いてもらう手術の日程をできるだけ早くしてもらうつもりです。バーがある状態でも他の人と違って息苦しいのにバーを抜いたら急に息がしやすくなるものか分からないけどもうこんな不自由な暮らしは嫌だから抜いてもらおうと思います。

漏斗胸の手術患者はほとんどの人が手術に満足しているみたいです。満足していない人の体験談はあまり上がっていません。役に立つかどうかは分かりませんがこういう人もいるんだということを知って欲しいです。


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