3人目妊娠にてトーラックを希望します①
「今までの出産は帝王切開での出産だったけど、今回は経膣分娩で産んでみたいんだ」
この一言を主人に打ち明けて実際に行動してみようと思えるまでに数年かかりました
私には5歳と3歳の娘がおりますが長女出産時逆子が治らず帝王切開での出産となりました
当時、妊娠中はテレビドラマのようなイメージで経膣分娩で出産することを疑わず
自分が帝王切開で出産するとは夢にも思っていなかったのですが
医師からも周りの人からも「安全の為」ということで手術を承諾し無事に長女が産まれ私も今こうして元気に生活をしています
当時の自分や周りの人の意見を否定するつもりはないし、その時の出産に×をつけるつもりもない
ただ、本当は心の中では手術を受け入れたくなかった
子どもが“今産まれて来よう”と言う意思を無視している気がして
自分の意志なのか子どもの意思なのか?が交わっている感覚
だからって自分が知ってるあらゆる手を尽くしながらも逆子をなおすことも出来ず
「あのときのあれが悪かったのかなぁ」などと自分を責め続けてモヤモヤしたまま手術当日を迎えました
手術は無事に終わって母子共に健康
赤ちゃんが元気、私も痛い痛い夜を過ごしましたが元気
自分も家族も一番望む出産をしたのです
当日の夜は一晩中、後陣痛と傷の痛みとの戦い
手術前に尿道に管をつけられ排泄はそれで
下半身麻酔で動くことも出来ず悪露の処理に助産師さんが何度か様子をみにきてくれます
その日の夜は立て続けに出産があったようで向こうの部屋から他の妊婦さんのうめき声や「痛いー!」の声が響いていました
そりゃそうだ 後陣痛だけでもこんなに痛いんだから本陣痛は…。
と、想像すると怖くなります
意識がもうろうとしている中でも「お母さんたちがんばって!私もがんばる」と心の中でエールをおくってみました
我が子はどうしているかな…。
早くこの手で我が子を抱っこしたい
お乳を飲ませてあげたい
お母さんの声で子守唄を唄ってあげたい
そんなことも考えながらの夜でした。
翌日は点滴を打ちながらも自立歩行をします
傷の痛みと産後の骨盤ガタガタの中で座位になるのも至難の技
リクライニングベッドの力や何回かやっていくなかでコツをつかんで点滴カラカラ引っ張りながらなんとか歩きだします
病院のベッドで産まれた赤ちゃんが並べられて寝ている姿をみられる窓
そこまで歩きます
いってみるとそこに寝ていたのは我が子だけ
昨夜、後から産まれた子達はお母さんと一緒にいるのでしょう
なんのこともなくすやすや寝ている小さな我が子
自分が帝王切開で産んだからお母さんと一緒に過ごすのもままならないんだ
産後のホルモンのバランスが崩れていた影響もあってか自分を責めるのは簡単でした
退院してからも傷の痛みの中、はじめての育児
自分が保育士だった経験なんていとも簡単に打ち消されるほど身体的にも気持ち的にも無理をしていたと今の自分なら思うのですが当の本人は「我が子の為に」「自分はまだ大丈夫」で頑張れてしまうのですよね
でもそれは、根性論とは管轄外の領域です
今だから思うこと
そんなこんなでその2年後に次女を授かりました
2人目を授かった時点でトーラック(前回の出産が帝王切開からの経膣分娩にトライ)をする選択肢も知っていたのですが、
リスクをおかすことが正しいのか?
自分になにかあったとき、まだ2歳の長女の生活は?
帝王切開なら日程も事前に決まっているから家族の負担も少ないのでは…。
などの想いから早い段階で帝王切開で産むことを決めました
次女は処置が終わった後、助産師さんが母の胸元に抱っこさせてくれてしばらく過ごしました その間に決めていた名前を呼んでお話をすることも出来ました
その日の夜は赤ちゃんがよく泣いている声がして
母はもうろうとした意識の中で「大丈夫だよ お母さん居るからね」と小さく語りかけた記憶があります
翌日の午後から母子同室になった次女
同室でベッドに横になっている次女とパッと目があって赤ちゃんの顔つきが変わりました
「あぁ!お母さんいた~!あなたよ!あなた!」
と言ってくれた様な気がしました
後に助産師さんに聞いた話で一晩中泣いていたのはやっぱり我が子だったみたいです
母と子の通じるものってあると思います
同室になると落ち着いたのか昨夜の様に泣かなくなりました
そして現在第三子妊娠中です