母親が「若年性認知症」になったら|その3|後編  徘徊・警察・トラブルの毎日…未来はあるのか

中編に続いて・・・


治験を断られ、大学病院巡りをあきらめた。
3回目にたどりついた「コウノメソッド」の医師は
発達障害と認知症の関係、を言及して病院を去った。

要介護は2のまま、
施設も長続きせず、ほとんど毎日「親を」連れまわす日々を送っていた。

仕事はネットで物を売る仕事を始めたが、
次第に動きは取れなくなっていった。

親戚はただ一人を除いて、連絡もつかなくなった。



次の「コウノメソッド」の医者を選ぶ・・・


次の「かかりつけ医」を選ばなければならない。
薬だけは複数の病院からもらっていた。


最初の「認知症学会専門医」に何年もかかり、
ドネペジルだけを処方されたあげく
「あんたみたいなのが治るわけないでしょ」と放逐され、

治験を受けられることもなく、
治療の機会も、介護者が楽になる未来を得る機会も奪われた

その時点で医者は信用できなくなっていたので、
複数の医者を同時に受診していた。

医者の指示もあった。
元々薬が効かないので、自由に加減してくれ、といわれて渡されていた。

コウノメソッドの医者が近くになかったため、
他県から選び、行くことにした。

大きな考え方は、一人目の「コウノメソッド」の医師と同じ。

ただ薬が効かないのは相変わらず。
ウィンタミンだけでなく、副作用の少ない鎮静剤や眠剤を次々と試していった。


こちらの医者には現在もかかっている。
他に精神科医と訪問医療を並行してかかっているが、決め手はない。



ある日、突然、顔がわからなくなった・・・


ある時、夜遅く、車で他県に移動していた時のこと。

親が突然
「どちら様ですか」
「以前お見かけした方でしょうか」といってくる。

本気でわからない顔で、半笑いで質問してくる。
夜中で暗いせいかと思って、
明るいところに連れ出しても、こちらのことがわからない。

不穏な兆候。
祖母のようになるのか、敵対するのかと思ったが、
その場はしばらくして収まった。

ただ、その後も一週間に一度のペースで
「子供」の顔がわからなくなった。

こちらのことを
運転手か、
学校の先生か、
親だと思い込んで、

子供のいる場所を聞いてきた
そのペースは次第に増えていった。


こちらへの呼び方は「名前」から「先生」に変わった。

その後もしばらく連れ歩く日々は続いた。



顔を忘れる・・・元の家に戻る・・怒り


母親は信仰にはまり、浪費癖、借金癖もあった。
その結果、先祖から受け継いだ家を失ってしまった。

その後長いこと、
アパート暮らしを強いられてきたのだが、、、

その家に戻りたい、
その家がまだあるはずだと「主張」するようになった。


正気ならあり得ない話。
自分がもっとも怒る話。


今いる場所に引っ越すときに
「もともと学校で勤めていた場所だから、ここにしたい」
と自分ですがって頼んだのではなかったか??

こちらが引っ越したい場所もあったが、
親の希望に合わせたのではなかったか。

それをひっくり返すような暴言。

こんな汚いところにはいたくない。
こんな危険なところにはいたくない。

戻るんだ。戻ります。



そのたびに叱り、激昂した。

そのたびに、
家に帰ると出て行った。

子供を探すと出て行った。


当然、戻れない家に戻ろうとし、
居もしない小さな子供や両親を探しているので、
会話がおかしいので、
通行人に通報された。

通報されるたび、
警察に「保護」された。

引き取りに来いと言われることもあったし、
パトカーで届けに来ることもあった




質問攻め・・・薬も効かない


黙って聞いていれば、
「質問攻め」が待っていた。

・なぜこんなところにいるのか、早く帰らせろ
・子供はどこにいるのか
・あなたは誰なのか

・親はどこに行った
・カバンはどこにいった
・仕事の書類はどこにいった

怒って思考をキャンセルさせ、やめさせる以外の選択肢がなかった。
薬は効かなかった。

医者の処方する薬を
2~10倍までまとめて飲ませても、
たいして効果は見られなかった。

やがて、質問攻めのペースは上がっていった。


物忘れの状態には「波」があるので、

わかる時間?とよそよそしくわからない時間?と
往復する状態だったが。



もう限界、と引き取らなかった日・・・


ある日の午後、家から車で1時間ほどかかる
ホームセンターの駐車場に寄っていたところ

あなた誰ですか
わたしの家に戻りますので、が始まった

こちらも疲れ果てていたので、

それなら好きにしろ、と吐き捨てて店内へ。
10分ほどして戻ったところ、
ドアが開きっぱなしになっていて、

親の姿はなかった。


数時間後、暗くなったころに、警察から電話。
いつも保護される、地元の警察ではなかったので、

・あなたどういうご関係?
・なんでこんなところにいるの?
・なぜ自宅で大人しく見てないの?

と電話で何度も追及され、こちらも怒っていたため、電話を切る。


その後何度か電話があり、
夜10時過ぎに「引き取りに来てください」

こちらは「もう疲れてるので無理。今日は行けない」と伝えた
署員は「そうですか。なら結構です」と電話を切った。

その後車中泊をしつつ、自宅に戻った。



「やむを得ない措置」での保護、そして・・・


翌日、市役所から電話で、該当する市で保護したと。

行く場所がなかったので、
有料老人ホームに入れたが、場所は伝えられないと。


こちらが「虐待」をしていることを疑っている。

ということを、知らされた。


厚労省、県、市、などを連絡するうちに、この措置が
「やむを得ない措置」

と呼ばれるもので、

高齢者の生命や身体に関わる危険性が高く、放置しておくと重大な結果を招くことが予想される場合、市町村が老人福祉法に基づき実施する(空き枠を利用し、介護サービスを利用する)もの、とわかった。

老人の、身体の保護ばかり。
介護者や家族は。どんなに疲労しても一切保護されない


虐待していると疑っているのだから、
携帯などの連絡先も教えない。収容した施設も教えない


ただ、その日数分の費用は請求するといわれた。
前頭側頭型は「顔から」忘れる。
顔を忘れれば今度は祖母のように「敵対」する。

その状態で家に戻されても、今度こそ行き場がない。
行政はそのまま預かってくれるのかと言ったら、それはないという。

病院に入院はさせるが、最大3カ月で戻す。


連れまわした結果が無駄になる。
保護中の費用も請求される。


色々話した結果、2週間ほどで自宅に戻すことになった。

自宅に戻す条件として、
・認知症対応デイに入れること
・訪問看護を入れること
・訪問医療を入れること

が要求された。
その間、親との一切の連絡手段は絶たれた。


一時保護されたのは有料老人ホームの空き枠。
行政権限で入所させたらしい。


その後分かったのは、通行人に通報され、
警察に保護された場合、

警察署に保護されてから24時間以内、
または深夜0時を過ぎるまでに

家族が引き取りに来なかった場合、
行政に連絡して施設に放り込む、

その場合、有料施設の空き枠(生活保護枠)を使い、行政権限で入所させるため、症状に関わらず入所できるが・・・

子供に費用を請求するということが分かった。


警察に通報する人は気楽だが、
家族は限界でフラフラになっていても引き取らないと
こうなるということだ。


後日、1日あたり3万円分として請求が来た。



徘徊・・・警察の保護・・


やがて騒ぐ回数も増え、
わからなくなる回数も増えていった

在宅時はずっと、特に昼間は延々と家から出ようとした。
火が付いたように騒ぎ続け、外に向かって叫び、帰ろうとした。

家から出ていけば、すぐに車を止めて、通行人を引きとめて

「家に帰りたい
「子供を探してくれ

と大騒ぎした。



通常のアルツハイマーの場合、

徘徊はだまってフラフラと何kmも歩いて、
はるか遠くで発見されるようだが、


うちの親の場合は、
元気でしゃべりまくり、
足腰も頑丈だったうえ、

「家に戻る」
「子供を探す」

という明確な目的があったので、すぐ通行人に絡み、
会話の受け答えがおかしいので通報される。ということが多かった。

早ければ家を出て10分後には警察が来た。


気づけば警察の保護の回数は、1年間で100回を超えた。

引取り書類にサインしない回数を入れれば、もっとあった。

1年に、200~300回は警察に行っていたと思う。
1日3回警察と往復した日もあった。


ただ、警察の引き取りを拒否すると、
前回同様「やむを得ない措置」で有料ホームに送られて実費請求、

一定期間経過後は自宅に戻す
その間にどんなに症状が悪化しても責任を取らない


となる以上、
引き取らないわけにはいかなかった。

人相は元教師だったと思えないくらい、
熱に浮かされたような腫れぼったい目と、
殴られたような形相になっていった。




警察とも何度かもめたが、
地元の警察署ではほぼ顔パスで身分証などがなくてもこちらのことがわかる状態になった。



ところかまわず大小便・・・


その頃からトイレが異常に近くなった

最初は頻尿かと思ったが、薬も効かず、体にも異常がないとのこと。

トイレを一日数十回も往復した。
やがて外では思いついたらすぐパンツを下ろすようになった。


車から降りてすぐ小便。
駐車場でかがんで小便。
他人の家に入って小便。看板の影で小便。たまに大便。

トラブルになった。
そのたびに喧嘩になった。

自分にどうしろっていうのか?

トイレに入るとパニックになった。
やり方がわからない、早く出せ、ここから出せ。


元々、症状の初期からリハパン(リハビリパンツ)をずっと履いていたため、すぐに漏れることはなかったが、あまり意味はなかった。

毎回パンツを下ろすから。


なぜこんなことをするのか聞いたことがある

答えは
「一人が怖いから、人のいるところでしたい」


小便を理由に店から追い出されることも増えた。
その頃から、駐車場ではなく、公道に車を止めた。
公道なら私有地ではない。
何をしてもいい。

ドアから降りて
小便したらすぐに逃げた。

事情を説明したところでわかってはくれない。
わかったところで改善できなければ、追い出されるだけだ。


施設は、認知症デイを週2回・・・


行政の指示もあり、認知症デイは続けていた。

毎回、初めましての状態だった。車で迎えに来ても抵抗することもあった。

朝9時から午後4時まで。
週2回。

3年目になるが、
地域での施設が他にないため、常に満室で、空きもない。
時間が増えることもない。

認知症対応デイということで、
昼間のスタッフが多い時間帯だけは、良くやってくれてはいるが、

最近は薬を増やすように、
これ以上騒ぐようになったら出て行ってもらうとも言われている。


基本的にはずっとしゃべっていて、
出ようとするか、職員(老人の利用者ではない)
相手に被害を訴えたり、文句を言ったりしているらしい。

最初のころは円満に読み書きなどのカリキュラムに取り組んだり、
絵を描いたりしていることもあったが、最近はそういうのも減ってきたらしい。

正直、こちらは親の施設の暮らしぶりや、
進捗状況をみたことはない。

そんな余裕もないし、見たくもないし、
今後もそんな気分にはならないだろう。


デイからの帰宅時、最初は出迎えていたが、
その後すぐにバネで弾かれたように出て行こうとする。

その頃はもう、連れまわしても
認知症の進行は止められなかったし、

あなた誰?戻ります、で喧嘩になるので、
連れまわすことがストレスになっていた。

デイの日だけでも一人になりたかったので、
交渉して、戻ったときにすぐ出られないよう、
ドアをブロックで固定するように頼んだ。

ブロックは合計で120kg以上もあった。

厳密にいえば虐待?なんだろうが警察も行政も黙認した。
だって他に手がないから。
家全体を座敷牢にする以外なかった。



包丁で内鍵を破壊、門扉を体当たりで破壊・・・


ドアについては最初は内鍵をかけていたが、
出ようとして、包丁を扉のスキマにねじ込んで折るなどしたため、内鍵が壊れて、外から開かなくなった。

そのときはたまたま開けることができたが、
業者を呼んだり金がかかるので、
外からコンクリートブロックで固定することにした。


親を一人で置いておくときは。
デイからの帰宅時は。


最初は軽いレンガをいくつか使ったが、
体当たりを繰り返して、ずらして動かして割られて、
外に出てしまうため、

最期は大型のブロック
(1個17kgくらいある)を何個も積み上げて、
合計100kg以上をドア前に積み上げた

少しでも積み上げるブロックが足りないと
体当たりでずらしてスキマから出た。



ただ自分が中にいるときは、
内側から閉じ込める方法がないため、

外に放り出した。


そうしないとこっちが持たないからだ。

貴重品を捨ててこられると面倒なので、
補聴器や現金などは興奮したら取り外した。

スイッチさえ切れれば大人しくはなったのだけれど、
薬を使っても目に見える効果はなく、

徘徊するか、第三者(施設の人や、警察など)と話すか
もめたうえで、スイッチが切れることが多かった


門扉も体当たりで壊されて
鍵がはじけ飛んでなくなったので、
締めるのはあきらめた。



奇行の数々・・・


バイクの後部座席から通行人に絶叫・・
草むらで小便・・
真昼間のスクランブル交差点で小便・・

夜中の3時まで起きっぱなしで騒ぎ続ける
駐車場であおむけに倒れて騒ぐ

オムツを頭からかぶる
風呂に入らない、入れない、トイレの場所がわからない

毎日引っ越しの準備、
荷物をデタラメに袋詰めして、
玄関に積み上げる

カバンの中身を外にばらまく
道路にばらまく

道路の真ん中に出て行って車を止める
ヒッチハイク、途中で通報され保護、
電車に乗り、降りられなくなって、駅構内で保護、

家の中でも外でも大小便した


だがこの状態でも波があり、
一日のうち何時間はこちらのことがわかったというか、
落ち着いてはいたが、

一日のうち何時間はこちらのことがわからなくなり、
恐慌状態になり、
家に帰ろう、子供を探そう、両親を探そうとして出て行った

その興奮する時間さえやり過ごせば、元に戻ったが、
こちらへの呼び方は「先生」のままになっていった。

世の中の居場所はどんどんなくなっていった。


第三者の、それも複数のジャッジ(あなたはおかしいという判定)がないと納得しなかったため、頻繁に警察の世話になった

自分で警察を呼ぶこともあったが、

それだと自分だけを何時間も説得して、親との間に介入してくれなかったため、無駄だった。

他人に通報してもらうように運ぶことが多かった。



テレビを見ない・・本も読まない・・


テレビに興味がない

初期のころはまだ見ているときもあったが、このころは目の前でテレビがついていても全く興味を示さなくなった。

ボケ防止に、
ニュースの記事をノートに書き写したりすることもしなくなった。

本も読まなくなった。
名前を書くと誤字だらけになり、書くことをやめていった。

その分ずっとしゃべること、騒ぐこと、
外に出ることにエネルギーが向いた。



ずっとカバンをひっくり返して中身をもんでいたり、
ノイローゼのように何かを探していたり、

茶わんやハシやトイレットペーパーを
袋に詰めてはほどき、
袋に詰めてはほどき、を延々と繰り返して、

カバンをぼろぼろにして、
部屋をメチャクチャにした。

目の前にテレビがついていても全く見ようとしなくなった。


読み書きもしない。
あれほど熱心に書いていたノートも開いてすぐ閉じるようになった。

そのエネルギーは全部、騒ぐことに向いた。


元々耳が聞こえなくなっていて、
左耳に補聴器、右耳は完全に失聴している・・
それもあって身体障害二級の手帳は持っているのだが

補聴器ではテレビの音が雑音に聞こえるらしい。
補聴器屋で、テレビの音を補聴器に伝えて聞き取れるようにする「アタッチメント」を使ってはみたが、聞こえるようにはならなかった。



留守番ができない・・・騒ぐ・・すぐ戻らざるを得ない


携帯(ガラケー)を使えていたころは、
メール魔で、
メール依存で、
何かというとメールが来ていたので、

それに返信すればある程度留守番することができたが、

メールを操作できない(しない)ようになってから、
すぐにこちらを追いかけてくるようになり、
留守番ができなくなった

家でも一人にしておくと、数分で恐慌状態になり
家を出ようとして、ドア前で暴れるようになった


これは自分が在宅していても
「子供を探す」といって出ていくので、どちらにしろ同じなのだけれど

ここで待っていろ、と伝えても
大人しくしているのが数分になり、1分になり、30秒になった


その後はすぐスイッチが入ってこちらの顔がわからなくなるか、
騒ぎまくって通行人を呼んで警察か、
遠くに出かけていると戻れなくなるので、

スイッチが入らないようにするには、
数分以内に戻って記憶の上書きをするしかない。

これを繰り返すしかない。

目が離せない、というのは
まわりに迷惑をかけたくないからでもなく、
親が心配だからでもなく

こういうことだったのか、と気づいた。


次第に仕事ができなくなる


ネットでの仕事も続けてはいたが、
親を連れまわす中で時間が取れなくなり、また朝出たら深夜に戻る状態は変わらず、放っておけば警察、

疲れて頭も回らなくなり、稼働はどんどんできなくなっていった。

配達の仕事もやってみたことはあるが、
途中で、
数件しかできずに断念した。
騒がれて警察を呼ばれたからだ。

それどころではなかった。

在宅の仕事も同様に頭が回らない。
寝不足やストレスで。

なのでできない。
まだ外回りの体を使う仕事の方がましだろう。

ただ金が出ていくだけの毎日になりつつある。

行政からの支援金は、この10年間、1円もない。

ただの「1円」もない。


行政の支援・・・制度の「穴ぼこ」


行政には再三にわたって訴えたが、
今の状況で、支援する方法は全くないといわれている

・あなたはちょうど制度の「穴ぼこ」に落ちている
・支援する制度がない

・同居しているから、別居も認められない
・親子そろって無一文になって破産すれば、生活保護をうけさせてあげることはできる(子供も破産しないと駄目だそうだ)


Twitterで訴えることも始めたが、その中でNPO法人を紹介され、支援地域ではない、地域が違うと拒否された後、市議会議員を紹介された。


・通所できるデイ等の施設が欲しい
・若年性認知症を見てくれる医療機関が欲しい

・精神病院3カ月限定で休息したいわけじゃない
・特養や老人ホームなどに入れたい、
・施設代は青天井になる、負担が大きすぎるため、親の年金だけで済ませたい

・もし何の制度もないなら、在宅介護している間、支援金が欲しい

一度有料ホームでいくらかかるか聞いたことがあるが、
若年性認知症の場合、暴力・暴言がない場合でも、
一般のホームでは断るか追い出す。
大体目安として、入会金3700万、月70万、別途保証人、という相場のようだった。


市議会議員を伴って地域包括に複数回直訴したのだけれど、
今のところ動きはない。



施設・・・病院・・・


最初、包括は「要介護2」だが
頑張れば「要介護3」になるといわれた

病院は「今を我慢すれば」
症状が緩和して「施設に入れるようになる」といった

すべて嘘だった

訪問医療の職員、そしてケアマネが見たうえで
「特養は論外」

なので制度がないと繰り返す。
話が違う。


やはり自分が最初から訴えていたように、
入れるうちに要介護3にして、
特養に入れて世帯分離するしかなかったのだろうか。


精神病院は何度か薦められたが、
病院の医長は「すすめられない」ということ

事情は色々あるが、
処方した薬がまったく効かないので、大量に投与して廃人化させるか、拘束するしかないと

どんな場合でも
「自傷他傷」の恐れがない認知症の場合は、
最大3か月で退院させる決まりだ。

その後再入院もできない(これは地域によるらしいが、ベッドが足りないこの県では難しいらしい)


国の方針で、長期入院させないように長期入院した患者の医療費がカットされるようになったため、病院側が利益を得られないので、在宅に戻す(放り出す)ようになった、ということ

その場合在宅介護に戻すのは厳しいので、
施設に入るのが自然なのだけれど

若年性で症状が激しいと、
グループホームにも老健にも特養にも入れないので、

顔がわからなくなっても、不穏になっても、
在宅に戻すしかない



その時に家族がおらず、一人っ子だと、受け入れ態勢や仕事が整っていなければ破滅するので、強くは薦めない、でもどうしても休息したければかまわない、といわれている。

そこに入院した場合、
現在の週2の認知症デイはやめることになる。

そして再入所もできないだろう。
入院した時点で、あっというまに待機で埋まる。
他に通所できる施設もない。

こちらはギャンブルをしたいわけではない。
数週間の休息や旅行がしたいのでもない。

解決したい。


責任を持ってくれない以上、精神病院入院=進行=顔がわからない=暴力のギャンブルはできないので、通所をメインに方法を探っているが、いまだに見つからない。


市役所に紹介された
精神病院の「医療デイケア」は

一般の依存症患者もまぎれこんでいたため、彼らからの苦情があって
開始2時間で退去・出禁になった

コウノメソッドに紹介された
「重度認知症対応デイケア」は、
近郊は採算が合わないのかやめてしまったところが多く、
送迎できる場所にはない。

「若年性対応のデイケア」はあるにはあるが、片道一時間以上、
しかも地元民しか見ないとのこと。通所も無理。
そして引っ越しはできない状況。
アパート借りられるのか。今の状況で?


県の「若年性コーディネーター」にも連絡を取ったが、
再三にわたって訴えても、制度がないと話を聞くだけの状態。

県に施設がない以上、紹介もできないので、
引っ越してもらうしかないらしい。


手遅れだといわれても、もがくしかない。
もがいても無駄なら、訴えるしかない。
せめて今までがんばってきた証を、この世の中に向けて刻むしかない。




そして現在に至る。

常に新しい事件が起きるため、制度を模索しつつ、探しつつ、Twitterで訴えてはいるが、今のところ何も変わらない。


随時、このページは加筆、修正、しようと思う。



---------------------------------------------------
~最終加筆:2021年9月28日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?