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「おばさんがドッチボールをする」ということ

小学4年生の息子は、最近ドッチボールにハマっている。
都心の学校の短い休み時間、その中でも貴重な「校庭遊びの時間」をほとんど費やされるほどドッチボールは人気だそうだ。

そうなると「その中でてっぺんをとりたい!」と思うのが、小学生男子の胸の中。

夕食後の我が家では「お母さんドッチボールやろう」と誘われることがここ最近の日課となった。

灼熱の夏が終わり、季節は秋。
おばさんだって、気持ちよく身体を動かしたい季節である。

「鬼ごっこ」の誘いも「ドッチボール」の誘いも、彼からすれば同じ「1回」。
飛んだり跳ねたり全力疾走したりする「おにごっこ」はアラフィフの私には負荷がきつすぎる。
なにかと理由をつけては断ることにしているが、「ドッチボール」のときには夫を差し置いてでも応じるようにしてる。
口うるさい母親が「楽しい母親」としての点を稼ぐ貴重なポイントだからだ。
夫には譲れない。

夜七時ころの自宅前。
メンバーは私と息子の2人のみ。
ドッチボールというよりは、「激しいキャッチボール」といったとこだろうか。

息子から剛速球をくらうことはまだないが、私の眼の都合で突然ボールが見えづらくなったする。都会の夜は明るいとはいえ、中高年の鳥目にはなかなか厳しい。

さて、ここで問題です。
「家の前でドッチボールをやる時に一番避けたいことは何でしょう?」
チッチッチッチッチ・・・・・・・・・
ポーン!

それはずばりっ!
「ボールが遠くに転がること」です。

おばさんは、何より走るのが辛い。
ましてや、走った先で屈んでボールを拾い上げるなどは、絶対やりたくない。
では、どうするか。

息子のノーコンで私を超えていってしまいそうなボールには全力で当たりにいく!
息子は、ボールが私に当たって「イエーイっ!」、私はボールを取りに走らず「イエーイ」。

全力で止めるくらいならば、キャッチすればよいのでは?と思われるかもしれないが、そう思った方はまだ若い。
身体の位置をなるべく変えず、手や足を伸ばして当たりに行くほうが、回り込んでキャッチするより遥かに疲労は少ないのだ(って、運動する気あるのか?!)。

息子が放ったボールが「やばい、これは走って取りにいくことになりそうだ」と判断すると、私はまるでネット際でボレーを決めるテニス選手のように、体幹を保ったまま四肢を伸ばして当たりに行く。

息子は「イエーイ!」
わたしも「イエーイ!」

しかし、サボっている風を悟られないように、全力で悔しがることは怠らない。
そいういう姑息な演出は全力でやる。

とはいえ自分が投げるときはそこそこ全力。
私の投球もなんだか様になってきて、息子がキャッチできない場面もしばしば。
昔取った杵柄、というやつか。
幼少期、わたしはドッチボールが得意であった。
野球を除いては、球技全般得意だったと思う。自分の年令を忘れ、しばしドッチボールに心酔した。

すると、息子が、やらかした。

ボールを向かいの家の塀の上に上げてしまったのだ。正確に言うと、ボールは、「向かいの家の塀とその家の何かしらの建造物の間」に挟まっている。
いずれにしても大分と高いところにあがってしまった。

息子は「お母さん、肩車して!」という。
確かに、肩車すればなんとか手が届きそうな高さである。

わたしは、よし!と34キロの息子を肩車して、壁にアプローチ。「もうちょい右!」「もうちょい前」などと、息子の声を頼りによろよろと微調整を繰り返す。さすがに重い。。。

すると暗がりから、自転車の少女が近づいてきた。
バレエ帰りの息子の同級生らしい。
「なにやってるの?」
「ぼ、ぼーる、とってるの・・・。」

って、これ、ここいらの地域で繰り広げられる光景ちゃうやろ?
しかも、肩車してるのが「おかん」って、どないやねん?

息子を肩車したまま、わたしはその娘さんと少し話し込んだ。

彼女は中学からは外国へ留学することを夢見て日夜バレエの練習に励んでいるそうだ。
立派だ。
「コンクールに出ると成績が良い子は賞を貰えるんだけどぉ、わたしは出るたびにもらえるからぁ、賞がいっぱいになってしまって、、、。
どこに置いたらいいかな、、、。
棚作ったほうがいいかもな、、、。」

と、小4少女からナチュラルな自慢をうっすら受ける。
わたしは、「アラフィフにして息子を肩車して人の家に入ったボールを取っている自分」が、あらためておかしくなった。
「あんた、サイコーだよ!」

ほどなくして、その少女は去っていった。

「頑張ってるね。◯◯ちゃん・・・」と私。
「さぁね」と息子。

そして息子を下ろした直後、背中に違和感。違和感から痛み?
痛みから激痛!!!

ドッチボールで下手な芝居をうってサボっていたことが罪なのか、人の家に入ったボールをいい年した大人が肩車で取ろうとしたことが罪なのか、それとも頑張る少女の話を「うっすら自慢だな」と思った心の狭さが罪なのか、、、、

どれもイケナイ気がしたし、どれもOKな気がした、秋の夜でした。

中高年 肩車には 要注意
ー読人知らずー

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