心が破裂したあの失敗があったから
今日もごきげんよう♪MAIで~す^^
少し前の記事で、自分の心に素直に生きられず、自分の気持ちに鈍感で、とうとう鬱になり、人生が停止した頃の話を書きました↓
【参考記事】
この時の10年間は、生きづらさを毎日のように感じていました。
こんなにがんばってるのに、どうして満足できないんだろう?
こんなにいい子でいるのに、どうして認められないんだろう?
こんなにマジメなのに、どうして他の人ばかり得するのだろう?
こんなに仕事しているのに、どうしていじめられなければならないのだろう?
他にも人はいるのに、どうして私ばっかりがんばってるんだろう?
こんな風に思う反面、
あの人に嫌われないようにうまく立ち振る舞うには・・・、この仕事で認められるためには何をすべきか・・・、家庭も仕事も両立しなければならない・・・、良い評価がほしい・・・、迷惑をかけてはいけない・・・、
それができてこそ自立だ。できなければ情けない。
そしてそれと同じことを他者にも期待し、良い悪いをジャッジし、期待が返ってこなければ心の中で避難する。
一方で他人に少し認められると、少し安心できる。
優等生でいることで自分を保って生きていました。
誰かに認められることに必死でした。
誰かに認められないと自分が成立しない、無条件では自分で自分を認められない・愛せない自己否定の塊でした。
自己肯定感0でした。自分軸もありませんでした。
自分自身を否定する究極の否定の中で生きていました。
【参考記事:もっとも不快なものってなんだろう?=認められない(愛されてない)を感じること】
小手先の手当てで人生の表面上はうまく回っても、心からそれが幸せだと思える結果はいつまでもえられませんでした。
人に与えられたものでは心から満足感をえることはできませんでした。
なぜなら、それは自分の心からしたいことをしているわけではなかったからです。
心と頭と体が完全に乖離していました。
自分にウソをつきつづけて生きていました。自分を適当に扱っていました。
そんな風に自分を扱えば、自分が自分に嫌われるのも自然の流れです。自分が自分であることにくつろげていませんでした。
このような人間が、自分自身から湧いてくる感情をどのように受け止めるようになるでしょうか。
そのころの私は、目の前の事実に対し、
苦しい/悲しい/不安だ/あの人が怖い/どうして私ばっかり/もう死にたい/いなくなった方が楽だ/消えたい/爆発したい/どうして生きているんだろう/嫌いだ/逃げたい
自分の感情にそんな意味しかもてず
やがて
どこにいても落ち着けなくなり、職場が怖い、家庭が怖い、そんな状況に陥りました。
どこにも逃げ場がなくなっていきました。
何かを感じることがなくなり、働きたいと思えなくなり、人に逢いたいと思えなくなり、ご飯の味もしなくなり、お腹もすかなくなり、眠れなくなり、笑えなくなり、
生きてても死んでても同じかもしれないなぁと思いながら生きていました。
でも泣いてはいけない。大人が泣くことは恥ずかしい。
辛いと言ったら、爆発しそうで、
助けてほしい、の「た」の字が発せない。
それを受け止めてくれる人がいない、周りの人は頼りにならない、と信じ込んでいたので、今思えば自ら孤独を作り出していました。
そんな状態のときに「もっとしっかりしろ」「泣くな」という一言で、私の心は破裂しました。
そして体が動かなくなり、仕事へ行けなくなりました。廃人になった気持ちでした。
病院へ行っても薬を処方されるだけでした。カウンセラーの方も話をただ聴いてくださるだけで、自分の人生に起こっていることの意味がまったくわかりませんでした。
何が悲しいのかわからないけど、ただ涙だけが止まりませんでした。
散歩していても、座っていても、テレビを見ていても、横たわっていても、何もしていなくても、ただただ涙がでてくるのです。
でもこの涙は私が今まで泣かせてあげなかった涙がでてきたものだと思っています。
ここまで追い詰められないと素直になれなかった私に、体が気づかせてくれたのだと思っています。
心が破裂して初めて、やっと現実から逃避することができました。その時はじめて自分の感情に向き合う、ということをしました。
感情はその時自然と湧いてくるものなのでとめられません。しかしそれをどのように受け止めるのか、が人生の分かれ道だと思っています。
目の前にはただ事実があるだけです。それに意味を見出すのは自分自身です。
ある経験が「失敗だ」と決めたら、失敗になるかもしれませんが、それを「失敗だった」と意味づけをしているのは自分なのです。
どう感じるか=どう意味づけをするか、です。
確かに辛かった、人生が停止した期間だった、私は長期間何をしていたんだ、と思えば、この経験は「失敗」のように感じてしまうかもしれません。
でもその解釈を「そういう経験があったから」、自分にウソをつかないことの大切に気づくことができ、
今、どこまでも素直に生きることができている、と思えば、これはむしろ「成功」体験とも思えるのです。
自分と真剣に向き合った経験は、必ず、自分だけではなく、同じ悩みを抱えている人の役にたてる日がきます。
自分を癒すことができた人は、人を癒すこともできるのです。
自分を深く癒すための経験だった、と思えば、それは貴重な経験であり、
むしろ「こうしなければならない」という自縄自縛から「自由になるため」の必要な時間だった、と捉えることもできます。
過去を全肯定すれば、自分で自分を認められるようになっていきます。
過去の感情は今のギフトです。それを再解釈して、未来へのモチベーションにする、
そうすることで、あの時感じた重たい感情を解放し、今を軽やかに、そして未来をもっと自由に生きることができるのです。
今、苦しいのは、貴方の魂がまだあきらめていないから、にほかなりません。
大丈夫、今からでも、いくつになっても、自分にウソをつかない人生は始められます。
♪人生で一番若い今日を機嫌よく♪
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