手の届く範囲にすべてを置いた結果、目の前が散らかってしまうとき
今日もごきげんよう♪MAIです^^
前回の記事では【片づけしたいなら、片づけをやめる】ことについて書きました。
モノが溢れる、片づけが進まない原因の一つに、その人が”だらしない”というより、”心の状態”とモノの状態がリンクし、心の葛藤や悩みやごちゃごちゃが、目の前に具現化する、ことがあります。
特にその中で・・・仕事は問題なくこなせるけれども、机の上・家の中で、手の届く範囲に自分が使うものを配備していった結果、身の周りがいつも散らかっている、状態になってしまうことってないでしょうか。
それで効率よく生活できればいいですが、そうとも言えない気がする・・・
こんな風に散らかってしまったとき、当時の私はすぐに気づけませんでしたが、
本当は、心の底で感じていたことというのが、
こなさなければならないと思っていることが多く【本当はタスク/義務に負担を感じている】とき
だったと思っています。
最初からその場所はそこまで散らかっていなかったのに、気づけば・・・
いちいちしまって、もっかい取り出す時間がもったいない
毎日使うからこの方が効率がよさそうだ
手の届く範囲にすべてのものがあると楽(でも何か気になる)
そして目の前を片づけるため収納道具を買い、なんとなく整理された気がして、ホっとする(でも何か気になる)
こんな感じで、モノが出ている状態は変わらず、散らかっていきました。
でも逆に言うと、(自分なりの)効率化をしないと、やることがあって心が忙しい状態なのだと思います。
タスクを抱えすぎというか、学校や職場だけではなく、家の中にいてもタスクをつんでいる状態でした。
でも心の中は、”本当は負担を減らしたい”から手の届く範囲にモノをおいて、ちょっとでも負担を減らそうとしている、心のサインだったのかな、と思っています。
要は忙しすぎたのです。
でも実際、目の前がモノだらけになると、
探す時間/認識する時間/(選択・判断に)迷う時間によって時間が浪費されます。
その一瞬は大した秒数ではないかもしれませんが、それが長期間続くと、自分の人生の時間を「探す時間」についやすことになっていました。
目の前のモノに認知が奪われ、生産性も下がる。私はずっと探している。
おまけに、散らかっている部屋に嫌気がさす。それから片づけられない自分をじんわり責めてしまう。
ということで自己肯定感も下がる、というループでした。
こんな状態のときは、忙しすぎる自分を休ませてあげて、”片づけしなくていいんだよ”と自分に言ってあげ、片づけをやめて、
デジタルデトックスしてみたり、心に効くような詩や本を読んでみたり、落ち着く音楽を聴いてみたり、ゆっくりお風呂に入ってぽかぽかしてみたり、ホっと一息つかせてあげる時間が効果的だと思っています。
目の前が散らかりはじめたとき、何か抱えすぎているものがないか?ココロにスッキリしないものがでて疲れてるのかもしれないなぁ、ということに気づいてあげてください(*^^*)
誰よりもまず自分のことをもっと尊重しちゃいましょう。
そうすることで、頭も心もスッキリし、空間は自然と整っていく、と思います。
♪人生で一番若い今日を機嫌よく♪
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