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組織の不文律と意味生成について


大学のレポートは書き終わったら用なし!!?

私は、大学生なのでレポートをこれまでたくさん書いてあるがレポートを書いて終わりとなっており、書き終わったレポートはもう用なしになっている感じがする。また。パソコンの中でもどこに行ったか分からなくなっている場合もあり、それは勿体ないので、ここに残しておくと、社会人になったときなどに、役に立つかもしれないと感じた。

レポートの論題 

 教科書『経営組織』第Ⅰ~Ⅸ章の中から一つの章を選び、講義で学んだこととご自身の体験を関連づけながら、論じてください。

なお、これまでに提出した感想と重複してもかまいませんので、感想をさらに広く深く考察してください。経営組織の理論を日々の実践に役立てることを念頭において、レポート作成に取り組んでください。

私が書いたレポート

私は、第 6 章の組織文化についての章に興味を持った。
ここでは、不文律分析というのを習った。これは、「文書化されていないが、暗黙の内に組織に存在している組織
の掟、ノウハウ」というものだ。
その中でも、意味生成の特徴と過程について説明を受け、この腑に落ちるプロセスで大事なのは、多義性や曖昧性への対処だと習った。今まで私が感じた組織の不文律にはどのような意味生成の特徴があるのかを考察する。

1 つ目のサークルでの事例


1 つ目の事例を述べる。私が所属している華道・フラワーアレンジメントサークルでは、お稽古前に事前に行われる出欠確認に記入しなければならないが、

「月に 2 回行われるお稽古は絶対参加という訳ではなく、行っても行かなくてもいい」という不文律が存在している。


私が、入部した 2 年前からこの不文律が存在しているため、いつどのようにしてこの不文律が存在するようになったのかは定かではない。
ここで、この不文律を、講義で習った意味生成の特徴を踏まえて考えてみた。
意味生成の 7 つの特徴の中で言うと、これは 3 つ目の、「理解可能な環境を創出する」に当てはまると私は考え
る。もし仮に、サークルでのお稽古が毎回必ず出席しなければならないというものだとすると、お稽古という楽しい
事に対して、プレッシャーを感じてしまい、楽しめなくなる人が出てくるかもしれない


参加してもしなくてもいいという不文律があることで、アルバイトなどの予定を入れたい場合、オンライン授業を主に受講している実家暮らしの学生で、キャンパスに通ってお稽古をすることが時間的や距離的な問題で難しい時に、自分でお稽古に行くことを選択できる。


また、「理解可能な環境を創出する」ために、生け花サークル内では、お稽古するのに都合がいい決まった曜日を一度決めたとしても、お稽古が終わった後の時間に「現段階でお稽古を行っている曜日よりもっと好都合な曜日はないか」を

 3 回生が 1 回生に聞いている。このように、一緒にお稽古をする色んな人の意見や希望を取り入れて、
次のお稽古でそれを反映するという構図が出来上がっている。
以上の考察により、この組織では皆が気持ちよく楽しくお稽古をするためにこの不文律は必要だと考える。


2つ目のゼミでの事例


2 つ目の事例を述べる。私が所属しているゼミでは、終わりの時間を授業のチャイムによって区切るのではなく、きちんと定められておらず、実験が終わり次第帰るという感じになっている。
これは、意味生成の特徴を踏まえて考えると、6 つ目の「環境から切り取られた合図や目印に向けて、またそのキューのおかげで、焦点が合わされている」に当てはまるのではないかと考える。


この研究室は、分子栄養学と言って、人間が普段食べている食べ物が腸内でどのように消化されているのかをマウスの骨や免疫などを使って実験している。
実験の工程の 1 つである染色では、6 つの染色液や試薬にマウスの組織をつけるのだが、その際に試薬によっては 2 分間や 3 分間待機せねばならない。例え、終わりの時間をチャイム通りにしても、

チャイムがなった瞬間に、
その日の内に終わらせなければいけない実験が終わっていない可能性もあり得る。そのため、終わりの時間を定めないほうが、都合がいいという事で、このような不文律が存在しているのではないかと思う。

終わりに

これからも、たくさん色んなレポートを書いていくことになるだろう。

私には、大学の講師をしている知り合いがいるが、「大学や院の授業でのノートをまだとって、今の研究や仕事の参考にしている」

と言っていた。

今は、大学での課題としてこのレポートを書いたが、

将来これが何の役に立つのかなんて、分からないので、ここに定期的に残しておこうと思う。


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