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4 仙台2日目(前編)

 あの時は仕事をしていて、喫煙室でタバコ吸いながらケータイでTwitterを(青い鳥はどこにいった!?)見てたら、地震が起きて、かなり大きいと。
 仕事を終えて、妻が住んでた家に行ってTVを見てたら、ただ事ではないことになっていて、映画でも見ているような感覚だった。もはや現実離れしていたし、こんな事が起こるなんて思ってもなかったのかもしれない。
 連日、流れる報道番組での映像を見ていると、自分自身がどんどんキツくなっていってしまって、見る事をストップした。当事者でもないのに、キツいってなんだよ。と今にしてみれば思う。しかし、当時の私はまだ若く経験も浅く、自分の事しか考えてなかった(今も自分のことしか考えてないが)
 そこからの出来事はきっと読んでいる人も知っていると思うが、さまざまな事が起こった。自然現象も人々が行う運動も。
 あれから12年経ったけれども、いつしか私はもはや忘れていたように思う。あの時に必死に運動していた(当事者ではない)人々は今どんな風に思い、どんな風な生き方をしているのだろう。
 ふと今、書いていて思ったが、あの時から(政治に参加する事)が「おしゃれ」になったのかもしれない。頭の中でいろいろな言葉が渦巻いているが、今はこれを書く時ではない。私が書く(打つ)べきものは、仙台旅行2日目に行った事と思った事だ。果たして今回で2日目を終わらせる事ができるのか?

 はっきり思い出せないが、多分7時過ぎくらいに妻が起こしにきて「散歩に行くぞ」との事で、ホテル周辺、というか球場付近を散歩することに。左中間くらいか?観覧車がある付近にホテルがあるからそこから出発。まずはローソンに向かってコーヒーを買ったか…。多分…。これまた思い出せない。
 球場真横に、東北楽天イーグルスのクラブハウスがあったりして、「あそこから選手は球場入りするんだろうね」なんて言いながら歩く。

 ホーム付近まで来た時に、恒例!私の便意発動が発生。流石にオフシーズンで朝、球場のトイレなんて使えない。これはホテルに戻るしかない。しかし、もう出てきそうである。唯一の救いはお腹が痛くない。そしてあっちではなく、いつもの方だったので、お尻に意識を集中させて気持ち早く歩く。 小学生の時に学校から家(歩いて3分くらいか)に帰っている時に、便意を催した。ヤバいと思い、家まで猛ダッシュ。力が緩んでいく。やっと家に着いて、玄関を開けた瞬間…「ただいま!お母さん、うんこ漏れたぁ!」という事件を経験している為、便器に座るまで気を緩めてはいけない&走ると力が抜けるから走らないをマイルールにしている。しかも、初日に小の方で失敗しているから、今回こそは確実の任務を遂行しなくては…。

 無事ホテルに到着し、トイレに駆け込む。他の人が入っていなくてよかった。地獄から天国。安堵感と仕事をやり終えた感が出て、ふうぅーと息を吐く。我ながら小だの大だのの生理現象を書きすぎだ。しかし、事実だから仕方ない。(本当に事実なのか?もしやこの旅行記は物語かもしれない。写真は人が撮ったものを使って、それっぽく見せている…)

 車2台で朝ごはんを食べに塩釜水産物仲卸市場へ向かう。今回もTの運転する車に乗り込む。一体どの辺りまで行くのだろうか?とマップで確認する。なるほど海岸沿いか、ちなみに全体的にはどんな感じなのか?とびよんびよん拡大して行くと、このままこの45号線を走っていけば、石巻や南三陸、気仙沼などに行ける。なるほど。

写真はT


 塩釜水産物仲卸市場に到着。私が住む街の近くにも(他県であるが)
水産物の市場があり、9月くらいに知人家族と行ったのだけれど、いろいろ種類が豊富でパニックになってしまう。一体なにを買ったらいいのか?なにを食べたいのか?思考が停止してしまい、もういい!めんどくさい!状態に突入してしまう為、大変苦手である。なので、お買い物はみんなに任せて、私はただただ見る、通称見る専に徹するわけである。と言いながらも、「めんたいこが食べたい」とボソッと告げ、買ってもらう。
 フードコート的な場所でごはんと味噌汁を買い、みんなで買った海鮮たちをごはんに乗せて丼にしたり、お刺身を食してごはんを掻き込んだりと様々なスタイルで食べる。丼に憧れるも、盛り付けのセンスが全く無い私。掻き込むスタイルで完食。多分盛り付けセンスがあればもう少し思考停止状態を回避できるのかもしれない。Hは盛り付けが上手だった。こういう盛り付けをして掻き込みたいのだ。近い将来、綺麗に盛り付けて言ってみたいものである。
「憧れるのをやめましょう」


写真はH。 上手に盛ってる。

 朝ごはんを食べ終えて我らは松島市へ。
散歩散歩散歩散歩散歩食べて散歩。松島五大堂へ行ったりする。
遊覧船に乗ってる人々に手を振る我ら。向こうからも振り返される。
「達者でなー」とか我らの誰かが言った気がする。遊覧船に乗っているのは当然知らない人だ。向こうからもなにかが返ってきた気がする。松島でコールandレスポンス。遊覧船に乗っているのは当然知らない人だ。
 海岸沿いにあるお店ゾーンを歩いていたら、入り口の扉のところに、当時津波が来たところに線が引いてあるお店が何軒かあった。私たちは何事もなかったかのように暮らしているけれども、震災に限った話だけではなく、いろいろな体験をした人々が日々生きて生活している。その体験をもちろん私自身はしてはいないから、その人たちの気持ちなどは当然わからない。しかし、想像することはできるのではないだろうか?少しだけでもなにか力になれることはあるのではないか?ただ、そういった人々が場所は違えど、今この瞬間も生きているということをふと思う。そして思い出す。ということは大切なんじゃないか?思ってなにになるのか?確かに無意味かもしれない。けれど、私は思うし、思い出す。そして、また忘れて、思い出す。それを生きている間に繰り返す。そんなことを松島を歩き、見て、感じた。
 
 
 汽笛がなる。動き出した遊覧船にまた手を振る。
「達者でなー」
また我らの誰かが言った気がする。

 松島を後にした我々は晩御飯の買い出しにと巨大会員制ストア「コス○コ」へ。ここで2日目最大の事件パート1が起こる。
 巨大カートの手を握る棒のところに両肘をついて体重を乗せて押していた義理兄貴。妻が「そんなことしてたら、コケるぜ?」と注意したその直後に義理兄貴が押していた巨大カートの前輪が天を向き、カートがウイリー走行状態。両肘をついてた棒が急になくなり、義理兄貴、正面から盛大にコケる。「ほら、言わんこっちゃない」と妻。さすが兄弟。なのか?
しかし、あんな盛大にコケるだろうか?動画を撮っていたら、間違いなくTVとかでやってる、動画見ながら芸能人がゲラゲラ笑う番組で使ってもらえていたはずである。義理兄貴に大きな怪我は多分なく、我らは爆笑した。
 結局、コストコでは晩御飯に使うものはそんなに買わず、別のスーパーへ移動し、晩御飯の鍋用の食材などを買い込み、ホテル近くのドラッグストアでお酒やおつまみ、備品などを買い、ホテルに食材を置きに行く。

 2日目のメインイベントその3を行う為に、ラウンド1へ。
と、その前に、トロフィー用のペナントを書く為に先ほど買った油性ペンがなぜか消えたので、コンビニに寄って買う。袋詰めした私は「店員さん通し忘れたのかも?」と自分の非かもしれないのに、人のせいにしようする発言をする。クソである。クソに悪い。クソ以下である。こんなにクソクソ言うのはクソが可哀想である。クソっ!

 「ファミリーボーリングチャンピオンカップ」の開催である。この大会は、私、妻、義理兄貴の三人で義理兄貴の住む街に遊びに行った際に開催されていたボーリング大会である。大会なんだからと、第2回の時に義理兄貴がトロフィーを作ってくれた。ここまでの優勝者は私、私、妻、私。義理兄貴のところに遊びに行く際はトロフィーを持っていき、また持って帰るという行為を繰り返していて、当然、今回もトロフィーを持ってきていたのである。
 トロフィーが初めて仙台という土地に置かれる。なにがなんでもまた住む街に持って返ってやる!前回大会優勝者ではあるが、スコアをほぼ下手くそレベルである。

写真はH


 順位別にポイントが付けられる。3ゲーム投げて、一番ポイントが高い人が優勝。だから決して毎ゲームいい成績じゃなくても優勝の可能性はあるのである。最近のラウンド1のボーリングは進化しており、遠く離れた場所の友達などともオンラインで出来るみたいだ。昭和の人間は、もうついていけない。義理兄貴の住む街のボーリング場(大会開催会場)が一番安心する。
 8人みんな参加で開催した「ファミリーボーリングチャンピオンカップ」
優勝はT。泣きながらTにトロフィーを渡す前回大会優勝者。今頃、トロフィーは新潟の空気を吸っている。次こそは持ち帰らなくてはと気持ちを引き締める。
 大会終わりも無料でもらえたコインで遊んだりしてラウワンを満喫する我ら。妻が「プリクラが撮りたい」と言い出し、みんなで撮ることに。
 私が小学生くらいの頃にデビューしたプリント倶楽部は長方形のシールが12枚?ついた1シートだったんじゃないか?サンリオキャラクターがテーマのもので、友達がいないから1人で今は無きダイエーで撮った記憶がある。しかも撮り方がわからないから真顔だったはずで、今思い出すと急に切なくなってきた。当然10代後半のお盛んな時期には、当時イチャイチャしていたお相手(本当に?妄想じゃない?)と撮ったりしたのだが、あれから約20年くらいか?進化に次ぐ進化を遂げており、昭和の人間にはもはやプリ機の中は地球ではない。たくさんのバリエーションを撮ることにもびっくりしたが、やはり撮った後のあの顔が変形する加工具合には絶句である。やはり、プリ機の中は地球ではなかった。彼処は異空間であり、私たちは異星人に変身するのだ。なんとか異空間から脱出し、地球と異空間の間に位置するラクガキコーナーに導かれた我々。顔を変形させるだけで飽き足らず、さらに盛りに盛りまくらなくては地球に帰れないのである。Kが「濱崎隊員一緒に書こうではないか」と誘ってくれて、ここは私の力でみんなを地球に帰すんだ!とペンを握るも、機械の操縦ができないのとセンスの無さに早々に退散しなくては時間が無くなり、地球に帰れず、無を彷徨い続ける羽目になるので、妻とバトンタッチ。Kも妻も途中で変わったHも抜群の操縦で、無事地球に帰還。思い出の品にと異空間に行った記念のシールが出てきた。今はこうやって撮ったものをスムーズにSNSなどにあげれるようになっていて、もはやシールはいるのか?と思ったが、このシールという物質がこうなんだか、撮った当人たちの中では大切なものになるのだろうか?イマノチキュウジンニキキタイモノデアル。

 遊び疲れた我々はホテルに戻る。そして、最大の事件パート2が起こる。

5 仙台2日目(後半)→3日目に続く。
次回で終われるのか?!

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