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今年は帰ろう。

私は父のことを人に話すことは
あまりしてこなかったが、
この広告を見た時に、頭に浮かんだのは父だ。

JR東日本の広告

父は私が6歳(多分、、)の時に事故にあった。
正直、物心がついて間もないってのもあるけど
6歳ぐらいの記憶があまりない。
父は建設業を営んでて、
"鉄骨製作管理技術者"というらしいが、
(名前だけ聞くとめっちゃかっこええが、
要するに多分家とか建てる人(笑)
家を建ててる時に2階から転落
運悪くヘルメットが切れてしまい
外れた状態のまま頭から落ちたらしい。

救命救急センターへ搬送され手術。
私は母(メンタルゴリラ)と姉と祖母と
4人で高島屋に居た。
鮮明に覚えてるのは、ハイブランドの階の
ふかふか〜な絨毯の床を歩いてる時に
館内放送がかかって呼び出された。
今でも、ふかふかの絨毯と館内放送を聞くと
少し嫌な気持ちになる。なんて贅沢な悩みだ。
(でも、何か買ってもらう時に
そこを歩くのは嬉しい(単純)

普段は下道で行き来するのですが
分かっていたかの様に、
父は朝母に高速の割引券を渡した。
それを、使い病院に急行。

手術は奇跡的に成功。
私と姉は手術後の父には会わせてもらえなかった。
でも、最近母から聞いたが
(母もあんまり記憶ないらしい)
"包帯ぐるぐるのミイラ状態で
ほんまにパパかわからんかった"と。

奇跡的に命は助かったが、
車椅子生活、言葉も出にくい、
一生介護という身体になってしまった。
なので、元気な父との思い出は、
写真、ビデオの中だけだ。
父らしいと言うと語弊があるが、
父らしい事はしてもらった記憶がない。
私がまだ旦那と結婚する前に
実家に一緒に帰った事がある。
その時、なんと父は寝たふりをしていた。
母から聞いたが、緊張していたらしい。
普通の父親なら、どーんと構えて
「よく来たな、お父さんと呼ばれる筋合いはない」
と言いそうなので(ドラマの見過ぎ)
やっぱり父らしい事をしてもらった事はない。

43歳で障害者になってしまった父。
車が大好きで、旅行、釣りも大好きな父
なによりも娘のことが好きだ。
今でも母に私たちが怒られてると
味方をして母に文句を言っている(笑)
(100%私たちが悪いのは確かだが、、)

来年私は30歳になる。
30歳からしたいこと、出来ることが
出来なくなってしまった父のために
私は色んなとこを経験して失敗して、
いっぱい自慢するために毎日小ネタを探して
今日も生きている。

父に今年の年末年始は会いに帰ろうと
思いながらこのnoteを書いてたが、
リハビリ入院中で家におらんとのこと。
いや、おれへんのかい!!ってなったが、
実家に帰れば何もせずご飯洗濯が終わってるし、
菊乃井のおせちと道頓堀の今井のうどんすきが
あるとの情報を得たので
今年は帰ろうと思いました。(下心)

わかると思うが右のゴルゴ13は父ではない

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