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心の大きさ

  こんにちは。前回のnote書いたのいつだっけ?みたいなところあります。1ヶ月ぶりですね。お久しぶりです。本当はパッキングのこととか載せようと思ったんですけど忙しくて無理でした。忘れてた訳ではないんですよ?…うん。ちなみに今回も話が飛びます。許して。

  前回の話の通り私は今、アメリカに来てます。もうアメリカに来て結構経つしもう終盤。それにしても遠かったアメリカ。自分のチケットの取り方が悪かったから8日の最終目的地であるインディアナポリスまで新千歳空港から最短18時間で行けるものを(それでも十分遠い)なんと36時間かかってるんですね。36時間て冷静に考えて頭おかしい感じしますね。まぁシアトルでニューヨーク行きの便に乗り継ぎの時、乗る便が4時間も遅延したのは完全にアメリカを感じました。最初は遅延1時間だったはずなんですけどね?おかしいなぁ。

  そんなわけで時間かけてアメリカ来て思ったのが、みんな寛容。寛容すぎてびっくりするぐらい。体格の大きさと比例してるのかな?って感じ。私のとてもとてもvery goodなネイティブも聞き取れないくらいの流暢な英語もだいたい笑顔で聞こうとしてくれる。コミュニケーションをすごい取ろうとしてくれる。それって結構難しいことだよなって思います。

だって人と会話するのってすごい体力消耗するじゃないですか。

相手の話を聞き取って考えて、自分の意見を話すっていうのがコミュニケーションの基本だけど、それをすごく速いスピードでキャッチボールしていく。それを何回もやるのってとっても労力を使うことなんだって身をもって感じました。

日本人同士で喋ってる時でさえ結構疲れるのに相手はアメリカ人。

話す言語は英語。

相手も同じ。

初めましての相手が訳のわからんイントネーションと辿々しい文法で話しかけてきたらそりゃもう大変。いつもより聞くのにとっても労力を使わなければいけないし、相手に簡単にどれだけわかりやすく伝えるかって言うのも考えなければいけないから。
日本だったら確実に冷ややかな目線をかけられますね。

  冷ややかで思いましたが、冷奴食べたいですね。私豆腐食べれないから食べたことないけど。

  アメリカは日本みたいに空気をしっかり読んで察するって言う文化があんまりないから相手の口から出てきた言葉が全て。意思疎通には声を発しなければいけないんです。
それって人同士相手と意思疎通を図るツールが言葉、声として存在するなら当たり前のことで、日本みたく相手の気持ちを考え、察して気遣う。それもいい文化だと思うけれど、人の気持ちって完璧にはわからないから自分自身からして欲しいことを発信しなければ気持ちって伝わらない気がします。
自分でさえ自分の気持ちが理解できないことの方が多いのに相手に何も言わずに察してもらうって無理じゃないですか。わかったらもはや超能力。
だから言いたいことはしっかり言う。大事。溜め込んでるといつかどこかで爆発しちゃいますからね。しっかり好きでも嫌いでも正直に言いましょう。喧嘩になったらそん時はそん時です。私は責任は取りませんが。

  まぁそんな感じで偉そうに分かったかのようにだらだら書きましたが、あくまでも自分に向けてのノートなので、この時はこう感じていたんだなぁってぐらいな感じ。

だからこういう考え方もあるよっていう軽い感じで今後も読んでくれるといいなぁって思います。

ふわって終わったけどまぁいいや。終わり方わかんないもん。無理。


それでは










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