ゴルフ練習におけることばの役割
「曖昧でいい」
何気ないことばだけれどもこれも積み重ねあってのものではないか?と感じる。
Youtube上に転がっているレッスン動画は本当にバラエティ豊かなので、好みは分かれると思う。
中井学プロは基本的に理論的で細かい。話を聞いていると時々「細けぇな」と感じることもある。
でもその同じ口から出る「曖昧でいい」(スイングの流れが悪くならないように)ということばには説得力がある。「曖昧でいい」っていうのも細かい分析の賜物だからなんだろうと思う。
中井学プロがレッスンの中でわりと頻繁に仰っていることだけど、ゴルフスイングのレッスンにおいては、ことばのニュアンス一つで学んでいる人々に与える影響は違ってくる。学んでいる人々の熟練度や抱えている悩みみたいなものは千差万別なわけだから。
お金をとってレッスンをする側にすれば、自らの技術エッセンスをどのように他者に伝え、習得してもらうことができるか?という観点から、必然的にことばの役割は重視せざるを得ないだろう。
ふと考えたのは、別に誰に教えるわけでもない私のような人間にとっても、ことばって案外大事じゃないか?ということ。
自分で体を動かしてみて感じられる感覚的なものって実はいざことばにしてみようとすると難しい。長嶋さんでなくとも、ビュッ、バッ、カーンと擬音や擬態語が増えることだろう。
そこを敢えてことばで表せないか?と考えてみる。
なんでサッと上げてすーーっと下した時の方がミート率も上がるし、当たりもいいんだろう?
サッととは言うけれど、一体何がどうサッと動くのだろう。そもそもサッとなんて動いているんだろうか?
すーーーっと下すのは単なる脱力とは違う。じゃあ一体どこにどう力が入っているというのか?入っているべきなのか?
様々なレッスン動画を見て、話を聞いて仕入れたことば。これを自分の現状やニーズに合わせて解釈する。私がやっていることはそういうことなのかもしれない。いくら自分の感覚をことばにしてみるといったって、技術用語の語彙は少なすぎるし、自分の知っていることばだけでは自ずと限界もある。
中々体を動かしている中での感覚がイメージできない両腕の回旋も、諦めず「こうゆうことなのか???」自分のことばにしてみることで、自分なりの感覚をつかむことができないだろうか?
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