オートメーション

自動ドアに、全自動洗濯機に、ATM。。。

自動なものは様々なテクノロジーの発展に支えられている。

技術開発というのは非常に実際的で、実現したいことを、実現できる方法を試行錯誤しながら実現していく。

そんな実際的なオートメーションでも、人々の選好のアルゴリズムによる自動生成、、、とかなると事情が複雑になる。

オートメーションは比較的怠惰な人、その開発にはほとんど関わらないで専ら利用するだけの人、にとっては便利な反面ひょんなことから猜疑心などを生じさせられるもの。なぜなら、オートメーションの仕組みを知らないで、故障や誤作動などで被害を被ることも珍しくないから。

すぐに思いつく対策は、別に開発者よろしく細部に精通する必要もないけど、基本的な仕組みぐらいは学んでおく、というもの。

すぐに思いつくぐらいだから、「それぐらいやってなきゃ不利益被っても当然で、オートメーションに文句言うもんじゃない」ってえのが世間の常識的考えになりやすい。

私は、ここを変えたい。

オートメーションを怠惰に利用する人々は、怠惰に利用し続けられるようにするべき。自習によって社会全体の知識ベースが豊かになり底上げされるのは理想だし、別に妨げるものでもない。とはいえ、オートメーションがほぼ不特定多数の利益のために実現されるのであれば、開発側は「これぐらいは新たに学べ」とまでは言えない。実際は、完全なるオートメーションというのは非現実的で、ユーザー側も使いつつ慣れていく、というのが普通なんだけれども、そういった「慣れていく過程」というのは、まあ開発者側からすればラッキーだととらえられるべき。間違っても「ユーザーばぁーか」とか言ってはいけない。

では、どうすれば変えられるのか?

オートメーションとは何か?についての理解を変える。

オートメーションというのは非人道的行為である。いくら不特定多数の利益になっても。

理由その1。

オートメーションなんて導入されて、反発する人が少ないから。(半強制)

理由その2。

やり方がそろえられるため、生来の資源の不均衡を均す方策が限定されてしまうから。

誤解して欲しくないのだけど、私はオートメーションを否定しているわけではありません。ただ皆にとってよいオートメーションを振興したいだけ。もっと言えば、オートメーションに抵抗・反対することは不可能と思っている。

いわゆる理工系に分類される知識というのは実は人間としての幸せというものから程遠い位置にある。そもそもの「実現したいもの」というのが、実は人間の幸せとは?という問いから必ずしも始まっているわけではないのだから、当たり前といえば当たり前。自動車のように今となっては明らかに便利なものであったとしても、「どこへでも速く移動できる」「重いものが運べる」、、、で?それでなんで幸せ??となると色々と解釈を加えていかなければならない。当たり前すぎるけど、だからこそ、乗らない自由みたいなものがある。つまり、必要ない人にとっては必ずしもその人の幸せとは関係ない。だけでなくて、騒音とか大気汚染とかエネルギー問題とか、、、問題の方が多かったりもする。

そういった意味で、医学はかなり幸せ問題に密接。健康第一!でも考えてみると”自動”な要素はそれほど多くはない。

じゃあなんで私たちは今現在こうして科学技術の恩恵に満ち満ちた暮らしを送っているのだろうか?

それは、オートメーションがいくら非人道的行為だといったって、私たちは必ずしも非人道的行為を忌み嫌っているわけではないから。

人道/非人道なんて実は私たちにとってはかなり優先順位の低いこと。

なのに「非人道的」と言われれば、かなり不愉快。

すごい矛盾だ。普段気にしてないのに言われたらムカつく。

そんなもんなんだ。人間って。

理屈みたいなもんは全部後付け。

生きてて不快なこと不安なことなんて無数に現れては忘れ去られていく。

オートメーションの非人道性というのは、二重の意味が含まれている。

オートメーションのパワーの強さは、本当の意味での人間の弱さ=気になることは放っておけない、この”放っておけない””放っておいてもよい”ようにしたいという欲望に基づいているのだ。言い換えるなら、人間っぽいものを敢えて人間っぽくないもので実現したい、という私たち一人一人の欲望。私たち一人一人が、私たち一人一人を人間たらしめているものを否定している、という意味で非人道的なのだ。決して科学技術自体が本来的に非人道的パワーを持っているわけではない。そっちは結果論。結果としてそうなる、というだけのこと。なんだけども、アプローチの仕方として、わりかし注意を向けやすいのが実用化された後の結果やそれらに基づく運用面の方。だから、結果論を元に対策を練るのが実際的。

人の内面的動機に関わることは、いくらそこに根源的な原因がありそうだ、としても、なかなか変えられはしない。それを無理矢理、「絶対変えられる。意識あるし知性もあるし、、、」なんて言い続けるのはあまり得策ではない。人類全体として見るなら。勿論利益はある。個人レベルでの信条としてもっておれば、できる人間はますます社会へ利益をもたらしてくれることだろう。また、同じような資質をもった人々の集団内の規範としても同じことが言えるだろう。ただ、それは非常に限定的な場面でのみ有効ということ。

「絶対変えるべき!」派が考えないといけないのは、そんな自然に実行できる道徳なんかじゃなくて、もっと難しいこと。できない人にダメ出しするのではなく、全人類の幸せについて考えること。オートメーションの非人道的パワーって別に非人道的だなんて感じない。この「感じない」ってのが圧倒的多数の人々に及ぼす影響力がバカでかいという指標だと肝に銘じることが第一かな。



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