原発を思い出した

記事全体は私の考えることとは随分違っていたけれど、次のフレーズには魅かれるものがあった。

“いかに所有を手放すか、という話になる気がする”

「ゆっくりと呼吸するまち」by 吉村

人間が作るものというのは本当に厄介だ。建物やまちのインフラに限らず家電製品に車にプラスチック製品にしたってそうだ。とっても前のめり。作る時は多分様々な効用が思い描かれているのだろうけれど、その効用が無くなってしまった時、さてさてじゃあ次の何かに利用できるように丁寧に分解しておきますかねなんてことは人類史上起こっていないに等しい。圧倒的にポイ捨てだ。ポイ捨ててもまだマシなのは農産物ぐらいじゃないか?人間が作るものの中では。

まちにしたって歴史的にはポイ捨てで、それでも一時(いっとき)まちがあったような所は様々な条件が揃っている場合が多く再び住みたい人が現れてザザーっと均して新しいのを作る。そんなイメージだ。だからヨーロッパのように人が集まって住むまちの歴史が長いとちょっと掘れば前世代の土管なんかが出てくるし、もっともっと掘れば昔々に建材として使われていたレンガとか装飾用のタイルの欠片なんかが層を成している。予備調査のようなものぐらいはするのだろうけれどよっぽどの歴史的価値が認められないと遺跡発掘なんてことにはならない。ただそこに棄てられたままになるだけだ。

棄てられたまま放っておかれてもいいなら全然OK。ということで思い出されたのが原発なのだ。
こいつらはそうはいくまい。
しかし日本にはあの狭い国土に何基あることやら。。。
まじどうするつもりなんやろ?
福島のことがあって原発止めることにしたってそのまま放っておくわけにもいかないなあということぐらい誰もが考えたはず。特に電力に関わっている人なら間違いなく考えている。
それなのに一向にこうやって処理していきましょうというような話はちっとも聞こえてこない。
折角あるんだしエネルギー事情も楽なわけでもないし使えるんなら使っちゃおう。それも別にハッキリそう言うわけでもなくまさに済し崩し的に使おう使おうというメッセージが事の成り行きから読み取れるだけだ。

大昔の狩猟採集時代とか今と違った機械なんかを使わない農業で多くの人々が生きていた時代ならいざ知らずもう人間がまちに住まないというような世界にはならないだろう。ちょっと考えてみた方がいいと思うのはまちってそりゃ作るんだろうけれども車を作ったり建物を建てたりするのとは一風変わっているんじゃないか?ということ。引用した記事に出てきていた捨てられたまちがその姿で訴えかけてくるようにまちってモノじゃないんだろう。モノとして作ったってうまくいかない。じゃあ普通に人が現に住み続けているようなまちってなんで成り立っているんだろう?

地理的な要素?産業構造?交通システム?
まあそういうスペック的な違いは勿論あるだろう。
ただ私が思ったのはシンプルにまちには人が住み続けているということ。
どんな人が住んでいるかによってまちは違ってくるんじゃないだろうか?

原発の例はただ象徴的な例ということなんじゃないか?
何をするにしてもだまーって重大な問題があるだろうということは分かっていたって当面支障がないならしれーっと続けちゃう。重大な問題なんだから自分だけが考えないといけない義務なんてあるわけがない。そうやって今義務を放棄することで何十年後だか何百年後だかに生きている人たちが困ったところでそれはそれで仕方がない。
そんなメンタリティを持つ人が暮らしているまちってどんな風になるんだろう?

所有を手放す。

私有財産を持つことは基本的人権の一つということになっているからそういう次元で所有を手放すというのは結構難しいだろう。現在有効な社会経済制度法制度が変わらなくたって変えられることはあるように思える。
個々人が各々大切に抱えているものってあるだろう。
そういったもの。
これを大切にするというのはどういうことなんだろう?
大事な人との思い出とか、暮らしてきた場所に対する愛着とか、そういうものは個々人のものだといえばそうだろう。
けれどもそれを大切にするということは「オレにとって大事なんだから他人は土足で踏み込んでくるんじゃねえ」と頑なに守るというようなことではないはず。
かといって各々大切なものがあるのはあなたもわたしも皆同じというような話でもない。

所有を手放すというのは、個々人の間には厳然としてカベがあることを意識しながらも、それぞれが持っているものはそのカベからサラサラザーザーと止めどなく流れ出続けさせるという態度なのではないか?流れ出続けているものがどうなるか?それが分からないところがミソ。大事なものは一人で抱え込んでいてはいけない。大事だからこそただただ垂れ流す。けれどもその大事さを理解してもらいたいなんてことは考えないしせめて上手く使ってくれたらいいやなんてことを祈ったりもしない。

そういう人間が集まって住んでいるまちはどうなるのか?
ちょっと見てみたい。


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