多分完全に絶望することはない

お慰み程度とはいえ、実際に困難に直面している人々なんだから、どや顔で支援活動にいそしんでいる”ようにみえる”人たちに、少しぐらい悪態ついたって構わないだろう。しかもとびっきりの打撃を与えるような文句で。

悪態の受け手側の「熊本のためというよりも自分の仲間のため」というのも限られた割り切り方、いわゆる苦肉の策ととらえたい。(本気で考えたら、これって結構危険な考えにもなりうるから。)

人はともかく生きているうちは生きなければならない。

その点はみな同じ。

ただ境遇は様々だから。。。

一つ何かをしたらお終い、ではなく、つねにつながり(特に将来的に良い方に変わる可能性)を思い描きやすい世の中になればいいと思う。

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