司馬遼太郎『空海の風景』から折口信夫『死者の書』

このあいだの短期一時帰国時に立ち寄ったブックオフで印象に残ったのが「司馬さんの本は中古になってもあまり安くない」ということ。中古の文庫でも大して安くないと知ったからということではないけれど、ほぼ迷わずKindleで買って読んだ。『空海の風景』。

『死者の書』の方はTwitterで知り、Amazonにとんでみると0円版があったので、クォリティについてやや懸念しつつもダウンロード。結果正解。普通に読めました。これを読み始める前に同氏の『古事記の研究』のサンプル(こちらは1000円ちょっと)部分を読んで氏の関心の一部なりともが窺えたこともあり、非常に興味深く読ませてもらった。

前者は何故か突如空海(特に口の中に明星が飛び込んできたという逸話)について知りたいと思ったというのが動機。後者は民俗学者として知られている氏の小説ということで読んでみたいと思ったもの。

偶然描かれた時代が近かった(だいたい奈良〜平安初中期頃)だけなのだけど、それだけでかなり読みやすさが違うと感じられた。高校までで習う日本史では既に律令政治が始まってそろそろそれも固まってきた時代に当たるけれど、我が日本国らしく、実情はそうカッチリとは制度化していないところとか、天皇と貴族との関係性(必ずしも中央集権でない体制)やら、律令制よりも遥か以前から存在した渡来人の影響とか、おまじない、呪術的なものと仏教やお寺の位置付け(人々の心理面への影響も含む)などなど。二作を重ねて読むことで景色がより奥行きをもってとらえられる気がした。

千年以上も前の時代のことだし、あくまでも私の想像にしか過ぎないのだけれど、二つの小説が描く絵筆が色を重ねていくごとに一つの絵が出来上がっていくような感じはすごく心地よい。

絵を見て感じ入る能力はほぼないに等しいのに、絵と小説とを比べるのもおこがましいけど、小説は映画よりも絵に近いなぁ。
やっぱり自由に思いのままのペースで読めるからなんじゃないだろうか。
一言一句を精密に読み解いていくという読み方もいいけれど、特に根を詰めて読んでもあんまりよく分からない作品(私にとってのフォークナーとか)なら、ぼんやりと色彩を感じながら読むというのも一つの楽しみ方かもしれないなどと考えるのでした。

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