今の神様昔の神様
伝統的宗教の信者がその信じている神様のすごさというか抱くべきおそれみたいなものを長い歴史や伝統、そこから(根拠薄弱ながら)夢想される普遍性などなどに求めるという傾向はある。
昔の神様ってスゴイのか?
神様って人間の発明だから、大したことないんじゃないか?
現代人って昔の人よりも進んでいるって思いがちなくせに、神様となると古い方が威厳があるのかな?
昔の人を敬う方法というのは、思い切って言えば、今生きている人間とそれほど大きくは違わない、と思うことなのではないか?
人間が発明した神様のすごさだって今も昔も変わらない。
神様に対する理解も今の方が優れていて昔の人々のそれは根拠レスで劣っている、或は、その逆、ということは言えない。
言い換えるなら、神様ではなくて、人間が人間をどう理解しているのか?という問題。
それについて今の今までろくな分析がなされてきていないということが問題。
Know thyselfだの無知の知だの散々言われててもできないんだからね。
いや。多分それらのことって完全には実践は不可能なんだと思う。なんだけれども、できないにしても、もちっと真面目に取り組んでみない??って思う。
「真面目に」ってのは全員が須らく同じように実践できるように目指す、ってことではない。
肝心なのは人間による人間の見方といった通り。
当然様々な面でばらつきがあるものとして見る。したがって全員が同じようになんてのは前提とすべきではない。それじゃあ今までと大して変わらない。
昔々の発明ではあってもスゴイというのは、神様を中心としたさまざまな理論体系は、現代の科学的な分析よりも、断然その辺の「いろんなばらつき」まで包括できるように考えられているところだと思う。なんてったって人々を救うためのものだったわけだし。
まあそうはいっても文字すら読めなかった人間が圧倒的多数を占めていた時代のこと。スゴイっていったって現代にそのまま通用するほどではない。そこまではユニヴァーサルでもなければアブソリュートでもないということ。
学ぶべきところは学ぶ。これ当たり前。
でも基本「学び直し」であって「無条件あてはめ」とか「ちゃんと考えればあてはめられるんだからそのままでOK」とかではない。
みんなもう気付いている。
物量では人間は救われないことを。
だからといって昔々の神様にすがるなんてのは弱すぎる。頭も心も。
今の人間には今の神様が必要。
AIで作り上げられたGODなのか?
その可能性も否定はしない。
でも、人間による人間の見方は反映されなければならない。
正確に。正確に。
一体人間の頭や心で何が起こっているのか?それを人間を取り巻く環境に関係付ける。
私は、それは言葉でできると信じている。
特定能力を備えた人のだけではなく、みんなの言葉で。
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